前書き 私がここに記するのは、妄想であり、虚構ではない。虚構(フィクション)はウソだと分かって創作しているものであり、妄想は違う。真実だと信じている点が、違うのだ。ただし、証明の手段はない。あくまでも、仮説ということであり、推理であり、科学でしかない。 よく勘違いされているが、科学とは、観察されたこと、あるいは、事実として(仮に)認識されたものを、組み立てて仮説を立て、それを検証していく態度をいう。 一般的に認められていないことを発言すると、科学的でない、などの批判を受け
さて今日は、吉野の話をしよう。 私は小学3年の春に、越前大野に引越しして以来、20歳になるまで郷里である吉野を尋ねなかった。 自由になるお金も無かったし、親にせびるには、ためらわれる事情もあった。私達家族はほとんど追われるようにして、はるか遠く北陸の山奥に移り住まわざるを得なかった。 母の恋がその理由だった。 当時まだ幼かった私は、なに分近所付き合いだの、外聞だのと言うことに疎く、それほどのものは何も感じていなかったが、物心ついてからずっと過ごした場所から離れていくの
先日、村を訪問した島根の神楽団の演目を見る機会があった。全部で4つの演目があったのだが、最後の演目が、最も有名な八岐大蛇の話だった。説明の必要はないと思うが、スサノオと大蛇が戦って、クシナダ姫をスサノオが救う物語だ。 そのタイトルが「八咫」だ。 漢字辞典で色々と引いてみたのだが、「咫」とは周の時代の長さの単位らしく、親指から中指を広げた幅で、およそ18cmくらいらしい。八咫だから、およそ144cmくらいか。もちろん八には大きな数字を意味する場合があり、八咫と書いて「大きい」と
平家物語より「壇ノ浦」 登場人物 青い炎の鬼 平家の悪行に対する怨念を取りこんで鬼となっている。そのため今は頼朝に味方する存在として義経に取り憑いている。元々は善も悪もない神の御使い。 山吹 源義仲の愛妾。青い炎の鬼に義仲を殺されたことで復讐を誓い平家の陣にいる 弓の達人で無双の武人 建礼門院 安徳天皇の母。幽霊となってこの物語の語り部となっている 二位の尼 建礼門院の義理の母 安徳天皇 平家一門として皇位に登った八歳の男の子。山吹に憧れている 語り 栄耀栄華を極める
時代背景 平安京にある豊楽殿では、天皇が海外からの使者を饗応するための宴会が行われる。平安時代、唐からの使者も訪れたが、それ以外の国からも、頻繁に使者がやってきていた。その国の名は「渤海国」(698~926)北朝鮮とロシアの極東地域と中国東北部を合わせたような広大な国で、新羅と唐に滅ぼされた「高句麗」の遺民と、その地域の靺鞨人(まっかつ)が共に戦って勝ち取った国だ。土地は寒く、庶民は半地下の竪穴式住居に独自の床暖房の工夫をして、農耕と狩猟で暮らしていた。交易品は毛皮が有名だ
今より3000年ほど前、中国に「殷」という王朝があった。 この時代の政治はシャーマニズムであり、王もシャーマンだ。神に生贄を捧げて祈り、甲骨を焼いて吉兆を占った。生贄は、戰で捕らえた捕虜の人間たちであった。新月の夜と満月の夜、生贄が一人づつ、神へと捧げられた。 1 千里眼の少女 「早急にお返事をいただきたい。」 馬に乗った武官がやって来て、返事を待っている。 都の北部を領している有蘇氏に、娘を差し出せと言う、王の命令だ。 まだ暑い夏の終わりのことだった。 娘の名は申己。(
Cat fish song 「なまずの歌」 階段を降りてみると そこは広い畑だった 青い穂が風にそよぎ 赤い雲が蠢きまわっている 茶色のロバが狂ったように駆け 村人に急を告げる 黄色いトウモロコシは 髪を振り乱して金切り声をあげた 僕は恐ろしかったけれど 知らぬふりをして畑を突っ切った ザクザク ザクザク 多くの穂が倒れ 悲しげな恨み声をあげた 僕だって悲しかった でも知らぬふりが流行りなのだ さらに大げさに手を振り回し ブンブン ブンブン こんどはかぼちゃを踏みつけ
無意識と意識の対応は、あたかも本能と自律的行動の対応のようではないか。 つまり無意識という一つの人格の発展段階において、徐々にその結合、統一性を失い分裂していき、意識はその断片を拾い上げて使っていくという図式と、本能(つまり系統発生的に生じた行動プログラム)がその諸部分の間の強固な結合を失うという意味で「開かれ」、行動主体がその鎖の断片を独立に利用しうるようになるという図式が対応しているように思われる。 無意識は進化の全時代を通じて「本能」と同じように獲得、強化、統合されてき
(十二) 臨安城 パクを護送する船団は臨安の河口へと向かった。そこから川を遡り、臨安へ着いたのはもう初夏のことだった。弥太郎は臨安河口に着く直前に、明州の趙長官に手紙を出した。内々に宮廷工作をしてもらう。清宗の決意に対して、もはや文句はない。今ではむしろ、そんな清宗に敬意を払っていた。朱や夏は友人たちの伝を頼って宮廷内の意見を探っている。この頃、宋の財政は金への多額の賠償で火の車だった。その中でなんとか国家を支えていたのは、専売品の貿易と貿易商を始めとする商人の税金だった。
(十一) 候風島 舷側へと寄せる波の音が響く他は、時折鳴く海鳥の声だけが聞こえている。三月になり、衛山島の湊を吹く風は春の匂いがする。清宗は「王虎」の艦上にあって、舳先に座り、湊を眺めている。 清宗は蓮香の葬儀とその後に起こった事を思い返していた。弥太郎はあの後病床にあり、明州の店に居る。香児が面倒を見ている。山吹は朱との婚礼をつつましく挙げたが、島へ残った。清宗の護衛のつもりだ。いつまた襲撃があるかわからない。だが本心では、清宗が不幸な目に会ったのに自分だけ幸せになる事が
(十) 喫菜事魔
(九)臨安
(八) 衛山島 翌日から情報収集の部隊が編成された。海図を作成する班、海寇の状況を探る班がそれぞれに動き出す。皆、地元の漁師舟に乗って、島までの海路や島の様子を探った。海寇は商船は襲うが漁民は襲わない。上陸作戦は陸戦部隊が担当する。集まりつつある情報を整理しながら、皆で作戦を練った。現場の海域は暗礁も多い。海図には新たに見つかった暗礁が書き込まれていく。海流も複雑で、潮の満ち引きに合わせて変化する。秋も深まりつつあり、冬の季節風がいつ来るかも問題だった。海戦の日取りも風の様
(七) 明州
(六)海洋島(ハイヤンタオ) 弥太郎の船には高麗の荷が山積みされ、出港の準備は整った。見送りの人々が手を振る中、王虎が出港し、商船二隻が後に続いた。富山浦から海洋島までは三日の行程だ。高麗の陸地を右に見ながら黄海へと進む。遼東半島の東南海中に七十二の島があり、その中で最大の島がハイヤンタオだ。風をしのぎ、大船が停泊できる天然の良港がある。海寇たちが集い、宋や高麗、日本の商人も来島している。ペルシャをはじめとする遠国の商人も多い。東洋最大の密貿易の拠点であり、その賑わいは富山
(五) 富山浦