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蓋をする?

言うべきことは言おう!

 諺に「臭いものに蓋をする」というものがある。
 この意味は
   都合の悪いことや
   世間に知られたくないことが
   外部に漏れないように
   一時しのぎの方法で隠すこと
である。

 これは、「匂い、特に悪臭のただようものに蓋をして、外気から遮断してしまえば、とりあえずは嫌な臭いは鼻につかないこと」から来ている。
 しかしこの方法では、一時的な解決になっても、肝心の悪臭のもとを絶たなければ問題の根本的な解決にならない。
 この諺は、江戸いろはかるたの「く」の札にも使われているらしく、日本人に古くからある考えのひとつだということが窺い知れる。

 現代でもネガティブな発想としてとらえられがちなので、あまりいい諺とは言えないかもしれない。
 また「臭いものに蓋をする」と検索すると、関連性の高いワードに「日本人」と出てくるらしいので、この発想は日本特有のものなのかもしれない。
 日本には、このほかにも「言わぬが花」「沈黙は金なり」という似たような発想と思われる諺もあるが、共通しているのは
   何でもかんでも原因究明して
   全てをあからさまに暴くのを
   良しとしない
という日本人独特の美学が関係していると思われる。
 またこれは、日本独自の文化ともいえる「わび・さび」にも通じるものがあるようだ。
 すなわち
   何も言わないほうが伝わる
   静寂のなかにこそ奥深いもの
   がある
という発想であるが、外国人にはなかなか理解できないであろう。

 ではこのような場合、外国人はどう反応するか。
 欧米では「主張しなければ意味がない」と考える国がほとんどで、中国や韓国などの近隣諸国でさえ、異論があれば大声で主張する場面は、ニュースなどでもよく見かける。

 ただ歴史を振り返れば、日本は建国以来2600年あまりの歴史をもつ世界最古の国であり、これまでの間に日本人が育ててきた文化には、他国にはない奥深いものがあるので、日本人として一概にこの諺を否定するわけにはいかない。
 長い文化の積み重ねの先に今の日本の繁栄があるということも、まぎれもない事実だからだ。
 聖徳太子の「和をもって貴しとなす」と言う考えも、長い稲作文化から導き出された知恵のひとつで、この諺の背景としてあるような気もする。
 そして外国人のように、なんでもかんでも声高に主張するのは、日本人の感性としてどうかと考えてしまう人も多いと思う。
 またお互いが主張しあえば、いつまでたっても結論が出ないことを考える時、この諺のもつ奥深さを感じないでもない。
   
 だから日本人が日本のなかで日本人とだけ接するのであれば、同じ感性を持つ国民として、「臭いものに蓋~」や「和の精神」は、ある意味必要なものかもしれない。

 しかし今やグローバル化した世界であり、好むと好まざるにかかわらず、そこに組み込まれなくては日本も成り立たなくなっている。
 ある意味日本だけでほぼ完結していた江戸時代のほうが羨ましくも思われる。

 今中国が、世界で唯一、福島の原発の処理水放出に根拠のないイチャモンをつけており、もはや世界中の笑いものになっているにもかかわらず、自説を曲げずいまだに日本の水産物は汚染されていると吹き散らしている。
 これは、洪水や経済問題などで国内に満ち溢れた不満を日本に向けるだけの手段としていることが見てとれるが、たとえ間違っていても自らの主張を崩さない典型的な例であろう。
 しかし日本産の水産物全体を全面輸入禁止するに至り、逆にその影響が自国内に及んで、むしろ国民の不満が自国に向けられるようになってきており、日本に振り上げた拳の行き場に困っているようだ。
 まさに「因果応報」である。

 これは、日本政府がこれまでの中国に対する対応と異なって、首相自ら、そして外務省も一体となって毅然とした態度で中国に対応し、福島の原発から出た処理水が科学的に安全なものであることをしっかりと主張し、国際社会にも訴えたことが功を奏したのである。
 IAEA(国際原子力機関)を味方につけたことも大きいが、決して「臭いものには蓋」的な発想によらず、自らの立場を主張したからこそ、世界に受け入れられたのだ。
 また国際社会では、「沈黙は金なり」は通用せず、それは相手の主張を認めたことになる。

 なお日本の近・現代史を垣間見れば、残念ながら日本は今だに
   臭いものには蓋をする
という発想から抜け出ていないのではないかと危惧してしまう。
 テレビの歴史ドラマも、江戸時代までの侍ものがほとんどで、その後の日本の近・現代史に関わるものはほとんど目にすることがない。
 たまに目にしても、いまだにGHQが日本人に植え付けた
   日本は先の大戦以前、植民地支配
   により、アジア諸国に多大な迷惑
   をかけた
という自虐史観から抜け出せない陳腐な内容のものばかりだ。
 いつまで反省ばかりしているのだろう。
 過去の歴史を臭いものと思っているからこそ、それに蓋をしているのだ。

 しかし今やグローバル社会である。
 そろそろ日本人も、自国の歴史をしっかり検証して再評価すべき時ではないだろうか。
 明治以降の日本の歴史は、それまで欧米がすすめてきた人種差別を撤廃する歴史であったといっても過言ではない。
 明治以降日本人がいかに粉骨砕身血のにじむような努力を重ねて不平等な条約を撤廃し、有色人種として初めて先進国の仲間入りを果たしたのか。
 そしてその後、それまで欧米の反対によりなしえなかった人種差別の壁を有色人種の代表として国際社会で一人気を吐き、いかに乗り越えようとしたのか。
 その後彼らと対峙するに至り、不幸にも先の大戦に敗れはしたものの、その戦いで多くの同胞(はらから)が犠牲になったことにより、戦後どれだけ多くの東南アジアやアフリカ諸国が欧米の植民地支配の軛(くびき)から解き放たれて独立したことか。
 戦後平和国家として再生した日本が、ODA(政府開発援助)などによって、それら東南アジアやアフリカ諸国の発展にいかに大きく寄与してきたののか。

 日本人には「沈黙は金なり」という素晴らしい文化があるので、これまでそれを声を大にして言ってこなかっただけで、それらの国々から感謝こそされても、過去の戦争責任に言及する国などほとんどなかったのだ。
 未だにGHQの自虐史観から解き放たれていないメディアが、「恩を仇で返す」ことしか考えていないような中国、韓国の声ばかり取り上げるので、多くの日本人が知らないだけなのだ。

 大戦中、鹿児島県の鹿屋基地に特攻隊員の取材に訪れた作家の故山岡壮八氏は、特攻隊員として待機していた西田高光中尉に対して
   この戦いに日本は果たして勝てる
   と思っているのか
   戦死して日本が負けても悔いは
   ないのか
と尋ねたらしい。
 すると中尉は
   難しい質問ですね
と言いながらも、こう答えたらしい。
   我々学鷲(予備学生出身の搭乗員)
   は一応インテリです。
   なかにはこの戦争について疑問
   を持っている者もいますし
   そう簡単に勝てる相手でないこと
   も分かっています。
   でも我々が特攻することにより
   今の戦局を少しでも盛り返し
   有利な講和に持ち込むことはできる。
   我々はそのために突っ込むんです。
   我々の命は講和の条件にもその後の
   日本人の運命にもつながってますよ。
   民族の誇りにも・・・
 かつて日本には、このような気持ちで日本の将来を憂えながらもその命を捧げた英霊たちが多くいたのだ。
 だから今の日本があるのだ。 

 日本の近・現代史は、メディアが考えているような蓋をするような「臭いもの」ではない。
 人種差別の概念を世界から払拭するきっかけを作った素晴らしい歴史なのだ。
 確かにアメリカが押し付けた「太平洋戦争」という名称の戦いではアメリカに負けはしたが、「大東亜戦争」という正式な名称の戦いでは勝っているのだ。
 東亜を欧米の植民地から解放したのは日本なのだ。
 そのことを多くの日本人が知らないだけだ。
 そのことを、まず日本人が知らなければならない。
 世界に誇るべき、そして知らしめるべき輝かしい歴史であるということを。 
 そして、そのことを世界に向けても発信していかなければならない。

 歴史は単なる受験科目ではない。
 後世に活かしてこそ価値がある。
 日本の真の近現代史を世に知らしめることによってのみ、新しい日本の未来がある。
 蓋などせずに、解き放とう!

自国の歴史に誇りを持とう!


 


   
   
 
 

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