男らしさとは
ニコラスが涙を流さなかった訳
先日、テレビ東京系のバラエティ番組である
Youは何しに日本へ?
というものを見た。
この番組では、空港で外国人を見つけて日本に来た目的等を尋ね、面白そうと思った人を密着取材するというものである。
ただ、空港で声をかけた外国人全てが外国から来たばかりとは限らず、なかには日本に長く住んでおり、インタビューに対して流ちょうな日本語で返されたり、今から国に帰る人だったり、外国から来る家族や友人を迎えに来ている人など様々である。
その日番組スタッフが関西空港で声をかけたのは、アフリカのウガンダという国から日本に留学している
ニコラス
という名前の黒人の青年だった。
ただ彼も現在日本に住んでいる高校3年生で、関西空港にいたのは大学受験のためだったということが後に分かるが、その留学先である高校について行って学校生活を紹介するという流れになった。
ウガンダは東アフリカにある共和制国家で、イギリス連邦加盟国ではあるが、他のアフリカ諸国同様先の大戦前までは植民地だったという悲しい歴史を持つ。
現在も経済的には決して裕福な国家とは言えず、世界的にも最貧国として指定されているらしい。
また国内には伝統的な地方王国が存在しているため、つい最近まで内戦状態が続いていたこともあり、治安も悪く日本の外務省がその一部地域に渡航制限を勧告しているほどである。
そのような国から遠い日本という異国の地に留学生として来た目的は何だったのだろう。
番組では、彼の高校生活を通してその真相に迫って行くという流れだったが、彼の言動には今の日本人にはもはや少なくなった生き方や国家観などが凝縮されていた。
彼の留学先は、宮崎県にある都城東高校であるが、来日してから1年間ほどは、日本語の習得や日本人学生との関係醸成に苦労したようだ。
そして大変な努力をしてそれを克服し、2年生になるころには他のクラスメートと同じ理解度で授業を受けられるようになったそうだ。
もともと頭もよかったのだろう。
その後彼は、持前の穏やかで人当たりのよい性格が受け入れられて生徒会長の大役を仰せつかるまでに成長する。
番組では、日本の生活に馴染み楽しい学生生活を送る彼の日常を、そのユーモラスな受け答えも交えて写していたが、来日前のウガンダでの生活は決して裕福なものではなかったらしく、日によっては夕食時に家族全員がお茶を飲んで済ませることもあったということも紹介していた。
彼は、その高校で初めての外国人生徒会長として地元でも有名となり、宮崎ロータリークラブに招かれてスピーチをすることになった。
そのスピーチが秀逸であったので、一部抜粋して紹介したい。
「自分自身のために生きることはとても簡単なことだと思っています。
勉学や仕事、結婚、老いてゆきそして最後は死を迎えるなかで大切なことは、その人生を他人のためにどういう生きたかということです。
死を迎える時に誰を思いうかべるかです。
誰の人生を変えることができたかです。
もちろん自分自身のために生きることに問題はありませんが、それは本当の生きる意味ではないと思います。
私がそのように考えるようになったのは、今こうして生徒会長になったことで、見返りを期待せずに他者を助け、他者のためになることに喜びを感じることができるようになったからです。」
これが一高校生の言葉ではあるとはにわかに信じがたい。
既に自分の一生を通しての生きる意味まで模索しているのである。
彼の頭にあるのは、自分ではなく他者とのかかわりなのだ。
そして、生徒会長といういわば人の上にたつ立場を
見返りを期待せずに
他人のために尽くすこと
と捉えているのだ。
今の政治家に聞かせてやりたい名言だ。
そして彼は、今後の人生について
仕事はみんなのためにすること
今後は、自分の経験を生かして
社会に貢献したい
将来は国に帰って国のために
働き、最後は大統領になりたい
という大きな夢も語ってくれた。
今このような若者が日本にいるだろうか。
国の行く末に自分の将来を投影し、その進路を考える若者がいるだろうか。
確かに発展途上国の将来を憂うる若者が発する言葉としてよくあるものだが、本来人というものはこのような大きな夢を持って前に進むべきものではないだろうか。
彼のように
世のため、人のため
に働きたいというのが、本来若者が掲げる大きな夢ではないだろうか。
日本は若者がそのような大きな夢を持てなくなった国になってしまったのだろうか。
明治以降の日本の偉人たちも、ニコラスと同じような大志があったからこそ、この国がここまで大きくなったのではないだろうか。
しかし学生生活にも終わりがある。
彼は卒業後は、関西にある工業系の大学に進学が決まりもうしばらく日本に滞在することとなったが、高校で出会った友人たちとは別れることになったのである。
卒業を間近に控える時期となり、番組スタッフは改めて彼の住む寮を突然訪問して、彼の今の心境を尋ねるシーンがあった。
突然の再訪にビックリする彼の眼は、なぜか少し目頭が赤く見えたが、スタッフの
卒業が近づいて、
少し寂しくなったのかな?
といういじわるな質問にも、決して泣いたりして感情を露わにすることなくグッとこらえている様子が垣間見れた。
そしてついに卒業式を迎え、彼は生徒会長として流ちょうな日本語で答辞を読んだ。
堂々としてなかなか立派なものだった。
その後は先生等方や友人等と別れを惜しむシーンもあったが、多くの友人が涙を流すなかでも、彼は悲しそうな表情をするものの決して涙は流さなかった。
また彼には、学校で知り合って交際するようになった同じ留学生仲間の中国人の彼女がいたが、宮崎を飛行機で離れる時に彼女と別れる時でさえ、決して涙を流さなかった。
番組的には最後に彼が涙を流すシーンが取りたかったのだろう。
カメラを回しても決して人前で涙を流すことがなかった彼に対して番組スタッフがその訳を尋ねた時の言葉には驚いた。
なんと彼は
私の国では
男は涙を流さない
男が流すのは「血」だ
と言ったのである。
もちろん彼が言った「血」は「戦う」と言った意味であろう。
これまで内戦状態が長かったり、国内の治安も悪いことに対して血を流すことになっても毅然と戦うという決意の現れともとれる言葉ではあるが、究極の男の役割を端的に表したものと言える。
そうなのだ。
どんなに時代が変わっても
武器をとって戦うのは男なのだ。
女にはできないことだ。
「戦う」ということは究極の
男らしさなのだ。
ちなみに彼は、現在大学生として、より充実した毎日を送っていることも後日談として紹介されていたが、大分の大学に進学した彼女とも、遠距離恋愛で愛情を育んでいるようだ。
単に男らしいだけでなく、女性とも真剣に責任をもって付き合う。
このような人が本当に男らしいと言うのではないだうか。
最近世間では
ジェンダーレス
の風潮が強まり、CMでも
聞こえてきたのは、男性の声ですか
それとも女性の声ですか?
と視聴者に問いかけるものがあり、さも言葉遣いだけで男女を差別するような偏見はなくそうと呼びかけている。
一方、化粧品の宣伝などを見ると
女子力アップ
敏感肌
など、女らしさを前面に出したキャッチコピーもあふれており、全体的にみると今の世の中は
ダブルスタンダード
の感を否めない。
確かに性別だけで安易に男女を差別するのはよくないが、しかしいつの時代になっても男性には男性の、女性には女性の役割というものがある。
また男性にしかできない仕事、女性にしかできない仕事というのもある。
例えば、力士や行司は男性にしかできない仕事で、女性は土俵にすら上がれない。
以前大相撲中継時に土俵内で病気で倒れた男性を助けるために女性看護師が上がったこともあったが、この時も相撲協会は難色を示したものの、生命を救うためという特例で認められたにすぎない。
一方、助産婦という仕事は女性だけの仕事である。
過去に男性を認めようという動きがあったらしいが、女性側の猛反対で流れたそうだ。
また、ジェンダーレスの風潮を煽ると社会に混乱をきたす。
以前ジェンダーレスの風潮に乗って、東京都心下のホテルに性別を問わずに利用できるトイレができ、当初マスコミも盛んに持ち上げていたが、利用する女性客から「気持ち悪い」「怖い」という声があとをたたず、わずか数か月で普通の男女別トイレになった。
私は、性の多様性を唱える人がいることに対して、何ら口を挟むつもりはない。
人にはいろいろな生き方があり、そのひとつひとつに目くじらを立てるつもりも毛頭ない。
ただメディアを使ってマジョリティ(大多数)の意見のように喧伝するのだけはやめてもらいたい。
そのような人は、世間全体からみたら少数派だということは理解してもらいたい。
日本は民主主義の国である。
少数派の意見も尊重はされるが、最終的には大多数の意見で物事は決まるのである。
国政しかり、地方自治しかり、そして何も政治に限らずとも世の中の話し合いというものは多数決で決まるのである。
日本でも端午の節句には男の子の、また雛祭りには女の子の、それぞれ健やかな成長を願って
男の子らしく
女の子らしく
育って欲しいという思いで神社に詣でたり祝いの席を設ける。
大多数の国民がそのような思いで子供を育て上げる。
それもメディアがよく言う「民意」というものだ。
それが日本人の大多数なのだ。
語弊を恐れずに言えば、男女の違いがあるからこそ、世代を紡いでいくことができ、人の世の将来があると言える。
それこそ神が作りたもうた究極の男女の役割である。
ニコラスの言ったように、やはり男には男の役割りが、女には女の役割りがあるのだ。
彼はそれを自国の国情に合わせて「血」と生々しく語ったが、言わんとしいてることは「男らしさ」である。
彼は決して女性には「男らしさ」はもとめないだろう。
いつの日か彼がウガンダの大統領として立派に国のために尽くす日々が来ることを願うばかりだ。
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