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小説 〜奇跡の日本人

あの日羽田で何が
~その時乗客が取った行動とは

     プロローグ

「ちょっと待って千尋、あなた本当にもう帰るの?」
「だって明後日から授業よ、あたしをなんだって思ってるの、浪人生よ、今年合格しないとまた母さんたちに迷惑かけるのよ。」
 そう言い残して、彼女はまだ何か言いたげだった母の言葉をさえぎるように玄関のドアを乱暴に閉めた。
    些細なことで母と口喧嘩になったことが悔やまれた。
    本当はもう一泊してもよかったのに
    そう思いつつも自宅近くのバス停に急いだ。
    口うるさい母が後追いして来ないか気になりながらも、今日夕方の飛行機で東京に帰るため飛行場に向かった。 

 昨年春、内藤千尋は東京の某国立医大現役合格を目指したが、力及ばず落ちてしまった。
 地元旭川の高校で
   ここ稀に見る秀才
と生徒指導の先生からもてはやされていた彼女にとって、人生で初めて味わう敗北と挫折感だった。
 この時、決して裕福とは言えない家庭の事情を考慮して、いったんは他の道も考えたが、両親の
   一度切りの人生だ
   再挑戦するなら応援するよ
という言葉に甘えて浪人を決意した。
 ただしこれ以上親に迷惑をかけたくないという強い思いから、来年は絶対合格するために、両親に無理を言って予備校も医大受験専門の東京の一流校に入らせてもらった。
 そして父の
   どうせ東京に行くんだ
   1年先に送り出すと思えば
   どうってことない
という言葉に励まされ、ひとり東京に来て一切の誘惑を断ち、これまで勉強に励んできた。
 しかし上京後、あまり連絡を取っていなかった母からの
   正月ぐらいはゆっくりすれば
という電話に心がほだされ、地元に帰ってきたのが予備校入学後初の帰省となった昨年暮れの12月30日であった。
 でも目的を達成しての帰省ではなく、あくまでもその一歩手前の帰省であり、両親の腫れ物にでも触るような態度にも辟易して、心から帰省を楽しめないでいた。
 そんな折り、開けて元旦早々から
   能登大地震
が発生し、テレビは急きょ震災特番と化して正月気分も吹っ飛んだ。

 被災地の人には悪いかもしれないが、それを見て
   正月気分を味わっている時じゃない
と感じた。
    それに母との口喧嘩が追い打ちとなって、その翌日東京へのUターンを決意した。
  

       1

 新千歳空港に着くと、15時50分発羽田空港行きの日航機に乗り込んだ。
 正月明けのせいか、機内は帰省客等の日本人でほぼ満席だった。
 飛行機は定刻に離陸し、雪景色の北海道上空を一路東京に向かって飛んで行った。
 機内では時間を無駄にせず、問題集を広げた。
 この時隣に座った中年の女性から
   受験ですか?
   大変ね
と声をかけられたが
   おばさんゴメンね
   私あなたと話している暇ないの
と心の中で謝りつつ、会釈だけした。
   なんて心の狭い女だろう
と自己嫌悪に陥りながら・・・
 飛行機は順調に飛行を続け、定刻の17時半過ぎには到着するという機内アナウンスが入ったのを聞いてから問題集を閉じ、早めに降りるように準備を始めた。

       2

 羽田空港付近の海が見え始め、飛行機は着陸のために順調に高度を下げていった。
 そして夕闇迫る羽田空港が見え、飛行機が滑走路に着陸した直後のことだった。
   ドカン
と何かに衝突する音がしたかと思うと、左前方の窓付近の外側が急に明るくなった。
 この時その窓側に座っていた男性の顔が赤くなったことが鮮明に記憶に残った。
 次の瞬間、恐怖感が全身を走って手先が小刻みに震えた。
 その男性の顔が赤く見えたのは、機外が燃えているからということが分かったからだ。
 それから飛行機はまるで何かを引きずるかのように
   ガーッ
という大きな音を発しながら滑走し続けた。
 窓のあちこちからは赤い炎が見えた。
 恐怖に震えながらも、その炎が後方に流れていく様子がなぜか綺麗だった。
 機内のあちこちから乗客の動揺する声があがったが、飛行機はしばらくすると大きな引きずり音を発しながらも止まった。
   助かった
そう思ったのもつかの間、今度はしばらくすると、どこから出たのか分からない煙が機内にただよいはじめた。

 この時、子供が泣き叫ぶ声があがったかと思うと、それに触発されたように、その母親と思われる女性が
   早く出してください
と叫び、立ち上がった。
 皆同じ気持ちにかられたのだろう。
 人によっては、立ち上がって上の収納ボックスを開け、自分の荷物を取り出すものまで出始めた。
 ことここに至って、誰もが命の危険を感じたのだろう。
 機内は出始めた煙から身を守るために口を塞ぐ人や、シートベルトを外して立ち上がる人などが見え、ざわめき、叫びなどもあちこちから出始めた。
 千尋も人生初めて死というものを予感し
   まさか私の人生って
   こんなピリオドだったの
   それってないよ
   私今年受験よ
   医者になる夢がこんなことで
   終わるの
と思うと呆然となった。
 父や母の顔、そして2つ年下の弟の顔が浮かび、涙がとめどもなく流れてきた。
 そしてそのことだけにに心を奪われてしまい、もはや逃げ出そうという意欲さえ失せて、うなだれて泣くだけだった。

       3

 その時だった。
 離陸後に少しだけ話しかけてきた隣のおばさんが、私の左手をそっと握ってくれた。
 突然のことにびっくりして、泣き顔のままその女性の顔を見たところ、にっこり微笑みながら
   大丈夫よ
   日本のスチュワーデスさんたちは
   優秀よ
   きっと私たちを脱出させてくれる
と穏やかに言った。
   スチュワーデスて何?
   CAのこと?
と思いながらも、この事態になって冷静でいられる女性にビックリした。

 すると何人かのCAが、機内の通路を歩きまわりはじめ、まず荷物を持って立ち上がった乗客に対して、大きな声で
   脱出の時に邪魔になりますので
   荷物は出さないでください
と声をかけて荷物を直させるとともに、立ち上がりかけたほかの乗客に対しても
   安全に誘導して脱出させます
   席に座ってお待ちください
と声をかけてまわった。
    しかしCAの必死の説得にもかかわらず立ち上がって荷物を出そうとしている中年の男性がいた。
    ひとりのCAがその男性に気づき
           お客さま荷物はご遠慮ください
と注意したが、その男性は
           この中には大切な物が入ってる
           絶対に離さないぞ
     誰がなんと言おうと持って出る
と怒鳴った。
   しかしCAは、そんな怒鳴り声にもひるむことなく
           荷物がひとつ通路に出ると、お客さま
   の脱出が1人遅くなることになります
           私たちはお客さま全員が無事脱出でき
   るよう全力で頑張ります
   今はお客様の命が最優先ですのでどう
   かご協力ください 
とやや強い口調で言った。
 すごい説得力のある言葉にその男性は言葉を失った。
 さすがに自分の荷物と人の命が同じようなことを言われては、荷物をあきらめざるをえず、彼はぶつぶつ言いながらも荷物を元に戻した。 
 彼女の態度には、いつも乗客に向かって笑顔を振りまいているCAの姿はなく、危機に接した時の毅然とした強さというものが感じられた。
 私はその姿を見て少し安心し
   すごいこと言えるなあ
   むやみに動くより、この人たちを
   信頼して待つしかない
という気持ちになった。
 そう思わせるほど、彼女らには接客業とは異なるもうひとつ別なプロとしての顔があった。
 普段から緊急時の訓練も十分に積んでいるのだろう。

 それを見た隣の女性が
   ほら私の言ったとおりでしょ
と言った。
 彼女が話した「スチュワーデス」の意味が分かった。

 私の前の席には、年老いた老夫婦が座っていたが、二人は微動だにせずに座っていた。
 やはりこういった時は年の功だろうか。
 それともあまり先のない人生と思い、あきらめているのだろうか。

 動揺する乗客や、手を握ってくれた隣の女性、前の高齢の夫婦など、動揺しながらも人それぞれの反応を見ていたが、CAの必死の呼びかけが功を奏したのか、しばらくすると乗客は少し静かになって、皆荷物を元の場所に戻して座り始めた。
 しかしあいかわらず機外に炎が見え、機内の煙も多くなってきており、決して事態は楽観できる状態ではなかったが、乗客はほぼ席に座ってCAの脱出の指示を待った。
 これを見て
   皆なんて辛坊強いのだろう
と感心しながら、CAの動きを目で追っていた。
             お願い
             あなたたちだけが頼りなの
と祈りながら・・・
 彼女らは最初後ろの方のドアを開けようとしていたが、機外の炎が強かったからか、そちらからの脱出をあきらめたようで、前方のドアに走って行った。
 そしてしばらくすると
   皆さま、前方のドアから順番に
   ご案内しますので、もうしばらく
   お待ちください
い言われた。
 その時間はとてつもなく長く感じられたが、気の早い客はもう通路に立ち始めた。
 私はその様子を見て
   通路に立ったら、早い者勝ちみたいに
   なるじゃない
   どうして待てないの
と不満に思いながらも、私自身は隣の女性が握ってくれた手を放す気になれずそのまま座っていた。
 こんな事態でも私を落ち着けようとしてくれた人の好意を無駄にして、自分だけ通路に出る気にはなれなかった。

 しばらくするとCAが
   皆さまお待たせしました
   ドア付近が混雑しないよう
   順次ご案内します
と言った。

       4

 すると前方に座っていた方から入り口に向かって出始めたが、通路に立った人が邪魔になって、自分たちの番になってもなかなか通路に出られずに、その機会をうかがっていた。
 しかしなかなか出られずに躊躇していたところ、先に通路に立っていた男性が、急に私の右手を握って私を通路に引っ張り出してくれた。
 このため、私の左手を握っていたおばさんもいっしょに通路に引っ張り出される形となって通路に出ることができた。
 私はその男性を振り向きながら
   どうもありがとうございました
と言ったが、20歳くらいのその男性は
   いいから
   いいから
とだけ言って、前に進むよう目くばせした。

 この際前に座っていた老夫婦は、まだ着席したままだった。
 2人のことが心配になって、列のなかにいれようと手招きしたが
   私たちはいいから
   あなたたちが先に降りなさい
というようなことを言って、通路の列が途切れるのを待っていた。

 私はその夫婦の言葉に最初耳を疑った。
             こんな時に、譲り合いの精神を
             発揮する? 
 しかし
   もうこの状態では全員は助からない
   それなら
   未来ある若い人を優先させよう
とでも思って言ったことなのかもしれないと感動すら覚え、涙が出てきてしまった。

 私は通路前方に進みながらもその老夫婦のことが気になり、時々後ろを振り返りながら前に進んでいたところ、ちょうどその前を金髪の若者が足早に通り過ぎるところだった。
 私は若い世代ではあるが金髪が大嫌いで、その偏見から彼らに対する嫌悪感を持っていた。
   あんたらみたいな人がいるから
   若者全体が低評価されるのだ
   どうせ老夫婦のことなど目にも
   とまっていないだろう
と思いこみ、勝手に怒りを覚えながら前に進もうとした。
 しかしその若者のあとに誘導のCAさんが入っており、彼女が老夫婦を通路に引き出してくれるのが目に留まり安堵した。

       5

 列は遅遅として前に進まなかった。
 しかし誰も後ろから押しやったりすることなく、普通に降りる時のようにゆっくり前に進んでいることにも驚いた。
   なんでみんなこんな冷静にいられるの
   外は炎だらけ
   中は煙だらけなのに・・・
と不思議に思いながらも、口をハンカチでおおって前方のドアに向かった。

 ドアのところに近づいて開いたドアのところに来ると、今度は逆に足がすくんで立ち止まってしまった。
 いつもなら、ドアを開ければ飛行場まで移動式の通路が伸びてきており、それに移動するだけだが、この時ドアの外に広がっていた景色はいつもと違っていたからだ。
 入り口に立って機外に出るよう促すCAさんの前はほぼ真っ暗になった飛行場で、飛行機の周辺だけが燃え上がる炎のため明々としており、入り口にはいつもの通路はなく、下に向かって緊急脱出用のクッション入りの滑り落ちるだけのスロープがあるだけだった。
 ただでさえ高いところが苦手な私は、CAさんに手を引っ張られるままに目を閉じままスロープに飛び移った。

 数秒間、体がスッと滑って行く感覚のあと、誰かに手を握られる感覚で立ち上がり目を開けた。
 そこには下で乗客を受け止めるCAさんがおり、私はその方が手を握ってくれたことで無事に脱出できたことが分かった。

       6

 振り向いたら、私の隣にいてくれたおばさんがニッコリしながらスロープを降りてくるところだった。
 まるでスロープを楽しむように・・・
   あの人何者?
 そう思いながらも機内で手を握って励ましてくれたことが嬉しく、彼女が地面に着くのを待って
   ありがとうございました
   おかげで冷静になれました
   あのお名前だけでも
とお礼を言った。
 すると彼女は
   今それどころじゃないでしょ
   まだ脱出できない人がいるのよ
と言われた。
           なんて人なの、このおばさん
           自分が助かっただけでは
           満足しないの? 
   世の中にはすごい人がいるものだ
   私なんかと格が全然違う
と感動すら覚えた。
 自分が助かったことだけに安堵したことが恥ずかしくなり、彼女と一緒にスロープ近くでほかの人が降りてくるのを見守った。

 すると私の前方にいた老夫婦が入り口によろよろと立って、CAさんたちに助けられてスロープを降りてきた。
 私はスロープ近くにいって手伝ってやろうと思ってスロープの真下に行った。
 すると、なんとそこには先ほど老夫婦の前を足早に通り過ぎた金髪の若者がおり、CAさんと一緒に老夫婦を下で受けとめていた。
 そして彼はその老夫婦の手をゆっくり引っ張り、火の手が大きくなってきた機体から離れていった。
 私はその若者に対する偏見が恥ずかしくなり、自分の前を通り過ぎる時に下を向いてしまった。
   金髪君、ごめん
   おばさんもすごいけど
   あなたもすごいね・・・
そう思いながら、呆然と彼を見送った。
   
 おまけにスロープ下でCAを手伝っていたのは金髪君だけではなかった。
 十数名の人が、スロープの下でCAの手伝いをしており、お年寄りや女性などで足元がおぼつかない人がいれば、その手を引っ張ったり、肩に手を回したりしてターミナルへ向かった。
 誰も自分だけが助かるのではなく、乗客全員が脱出できることを暗黙の使命と考えているかのように、燃えさかる機体の下で頑張っていた。
 先ほど機体のなかでCAが言った
   今はお客様の命が最優先です
   そのために全力を尽くします
と言った言葉を思い出した。
 彼女のあの一言が乗客を奮い立たせたのかもしれない。
 彼らを見て、千尋は
   日本人ってなんて素晴らしいの
と思い、真っ赤に燃え盛る炎に顔が熱くなるのを感じなからも、自分の心まで熱くしていた。

   私たちの出る幕はなかったわね
   さあ、行きましょうか
結局、隣のおばさんとしか名乗らなかった女性とターミナルに向かった。

       7

 その時後ろで大きな音が聞こえ、機体方向を振り返ったら、機体が真ん中から燃え落ちる瞬間だった。
 その大きな炎と崩れ落ちた機体を背に、CAやパイロットの乗務員が足早に私たちのほうに来るところだった。
 それはまるで映画のワンシーンのようだった。

 おばさんは近づいてきたCAのひとりに向かって
   全員脱出できたのですか?
と尋ねると
   はい
   しかし危機一髪でした
   お客様には大変怖い思いをさせて
   申訳ありませんでした
と述べた。
 危機から脱出するや、いつもの穏やかなCAの顔になっていた。

       8

 飛行場内を歩き始めてスマホの電源を入れると、すぐに着信音が鳴った。
   千尋、あなた大丈夫だったの?
   ニュースを見てすぐに電話した
   けどなかなかつながらないから
   心配してたのよ・・・
 慌てふためいて半ば泣き声の母からの電話だった。
   うん、何とか
   お母さん今日ね、私飛行機のなか
   でたくさんの人に励まされたり支
   えられたりして助かったの
   日本人ってすごいよね
            ヤバイよ❗ 
 そう答えると母は
   よかったわね
           それと、そういう時に「ヤバイ」
           なんて使わないの
           助かったのだからヤバくないでしょ
           逆じゃない言葉が・・・  
   多くの人に支えられて助かった命
   なら、その命を大切にしてしっかり
   勉強しなさい
   そして今度はあなたが人の命を救う
   仕事について世の中に恩返しするこ
   とね
   そのためにも頑張りなさい
 母の言葉が胸に刺さり、また涙が出始めた。
 それを見ていた名前を名乗らなかったおばさんが私の顔を後ろから覗き込んで
   あれっ、今度はうれし泣き?
とからかわれてしまった。
 私は電話をしていた母に
   ねえお母さん
   お母さんが若い頃は、CAのことを
   スチュワーデスって言ってた?
と聞くと
   そうよ
   何当たり前のこと言ってるの
と言われた。
 私は母からの電話を切ったあと、母と同い年くらいのおばさんに向かって
   ねえ、おばさんって
   昔スチュワーデスだった?
と聞いた。
 すると
   さあねえ
   もう昔のことは忘れたわ
とだけ返された。
 今度は私がおばさんの手を握り
   いろいろありがとうございました
   さようなら
   スチュワーデスおばさん
と言った。
 千尋は
   間違いない
   昔スチュワーデスだったんだ
そうひとりごちながら、先に歩き出した彼女に手を振って別れた。
 ところが彼女の行く先には、先ほどの金髪君がそのおばさんを手まねきしていた。
 スチュワーデスおばさんは私を振り返り
   私のバカ息子
   あれでも医大生だよ
   早く医者になって楽させてもらえない
           かねぇ・・・
    しばらく開いた口が塞がらなかった。
 そうか、だから脱出した後も息子が気になりスロープの下にいたのか!  

                  エピローグ

 1月中旬、千尋は予備校から帰宅後、アパートで夕食を摂りながらテレビを見ていた。
 すると、自分が乗っていた飛行機の事故のことを検証する報道番組をやっていた。
 あとで分かったことだが、あの事故は私たちが乗っていた飛行機が羽田空港に着陸した時に、海上保安庁の飛行機と接触したことが原因で起こったものだった。
 テレビでは、何度も衝突の瞬間や事故後飛行機が炎に包まれるところを繰り返し流しており、あの日の恐怖が甦って
   よくあの火の海のなかから
   脱出できたな
と思いを新たにした。
 スチュワーデスおばさんとそのバカ息子の金髪君を思い出してしまった。
 あの親子、あの大変な時でさえお互いを探していなかったなぁ・・・
 大したというか、肝がすわったというか、変な親子だったな。
 もし私が医大に通ったら、私の先輩になるの?
 まさかその頃金髪じゃないだろうな。

 二人のことをいろいろ考えていたらその後テレビでは、専門家がいろいろ事故の原因等を分析するコメントを発していた。
 そしてCAの脱出訓練等を指導する女性もコメントを求められ
   これを奇跡と言うなら
   お客様が奇跡でした
と言っていた。 
 なかないいことを言うなあと思いつつも
   でもCAさんはもっとすごかったよ
   彼女らの冷静な態度や避難誘導が
   なければ、悲惨なことになっていた
   かも・・・
そう思いつつ、食後の後かたづけをして勉強を再開した。

    事故を振り返りって

 この小説は、今年1月2日に羽田空港で起きた日航機と海上保安庁の衝突事故の時に日航機に乗っていたある女性の手記をヒントにしたもので、文中
・隣の女性が手を握って励ましてくれたこと
・通路に引き出してくれた男性がいたこと
・全ての乗客がCAの指示どおり秩序正しく
    行動したこと 
・老夫婦が若い人に道を譲ったこと
・多くの乗客が脱出後もほかの乗客の脱出を
    手助けしたこと
などは、彼女が体験したり目撃したりした実話であり、それを多くの日本人に知ってほしくて執筆しました。

 事故後日本の主要メディアは、事故の悲惨さを伝えるばかりで、CAやその指示に忠実に従って秩序正しく行動したことにより全員が脱出したことを称賛するものはほとんどなく、なぜか
   脱出できなかったペットが可哀想
と日航の責任をあげつらい、それがSNS上でも炎上したそうです。
 一方海外メディアは、このような悲惨な事故であったにもかかわらず、全員が脱出できたことを称賛する報道で満ち溢れました。

 この小説は日本のメディアが報道しない
   日本人の勇気溢れる行動
   危機に際しての秩序だった行動
を紹介し
   日本人も捨てたものじゃない
という気持ちを新たにして、少しでも未来に向かう糧としていただきたいという思いから上梓しました。

 最後になりましたが、今回の事故でお亡くなりになりました
   海上保安庁職員5名
の方のご冥福を心よりお祈りいたします。
    奇しくも彼らは、能登大地震の被災地救援のために現地に向かうところだったそうです。
    おまけにその飛行機は、先の東日本大震災の時に東北で損傷した機体だったとか。
    おそらく彼らの思いは
            少しでも早く能登へ
という思いだったと思います。
    さぞかし御無念だったことでしょう。
    でも天国からこの国の行く末を見つめてください。
     きっと、またきっと大きく復興します。
      神戸大震災がそうであったように
      東日本大震災から立ち直りつつある東北のように
   必ず能登も復興します。
      この国の人々は本当に素晴らしい!
      危機に直面した時ほど強さと優しさを発揮するという、とてつもない国民です。
 おそらく能登で被災された方々も、そしてそれを回りで支える方々もこれからそのとてつもない国民性を発揮していくと思います。 
    あなた方のご意志は残されたそんな日本人が引き継いで行きます。
    どうか安らかにお眠りください。 

 



   
  
 



  


   
   
  
   

 
 







 

 



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