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ライフスタイルに”新宿御苑”をプラスする

こんにちは。夙川生活にも慣れてきて、特に不満はない日々がつづいていおりますが、時々やはり以前の生活が懐かしく感じることがあります。

特に、テレビを見ていますと、住んでいたあたりがよく映るのですよね。いつも気軽に行っていた場所に今はなかなか行けないと考えると変なホームシックにかかりますねw

今回は、ずっと関西に住み続けると幼少時からずっと思っていた人間が、ひょんなことから東京に住むようになった時に、どんな風にライフスタイルが変わったのかを書いていきます。あくまでも個人史の一部ですし、価値観も偏っている可能性がありますが、ご参考になれば幸いです。

なぜ、私は千駄ヶ谷に住み始めたのか

前提として、私は神戸生まれの神戸育ちで、高校・大学と大阪で過ごした生粋の関西人です。社会人になってからも関西から離れたことはありませんでした。

それが転職を機に、一念発起して東京に住むことになりました。急なヘッドハンティングだったこともあり、入社を決めてから引越しまで2週間ほどしかなく、非常にバタバタしたスケジュールの中で新居を決めることになりました。

全く首都圏には縁遠かったので(兄は横浜に住んでいるが滅多に行くこともなく)、地理は不案内でした。どこが便利なのか、地下鉄がどのように繋がっていて乗り換えはどこでするのがいいのか、など全く分からず。

東京で在籍する会社は秋葉原にあり、実際の勤務地は麻布十番にありました。そこで麻布十番で一緒に働く同僚の1人が元々知り合いだったこともあり、どこに住んでいるのかを尋ねると「目黒区」とのこと。そこで、新居探しは最初は目黒駅前の不動産屋さんで始めることにしたのです。

ところが、どこに行っても、予算感も関西とは桁外れだし、土地勘もないから「どこに住みたいか」も明確にならないし、ということで煙たがられました。

結局、何も考えず、以下の2点に絞って候補を探すことにしました。

(1)秋葉原にも麻布十番にも「乗り換えなしの一本で通勤できる」ところにする

(2)新幹線や高速バスで時々利用していた東京駅か新宿駅に近いところにする(神戸の実家に帰る時に便利な場所にする)

そうなると、メトロ南北線か都営地下鉄大江戸線とJR総武線が交叉するところになります。四谷・市ヶ谷・飯田橋は流石に地価が高い・・・ってことで、JR千駄ヶ谷/大江戸線国立競技場前の近くにしようと、千駄ヶ谷に住むことになりました。

その後、結婚。四谷三丁目駅と信濃町駅の間に住むことになりました。

そう。千駄ヶ谷も四谷三丁目に共通の重要な環境ファクターがありました。それが「新宿御苑」です。

東京で「庭」を持とう。そう「新宿御苑」という最高の庭を。

千駄ヶ谷の家は、大家さんが同じ建物に管理人として住んでいました。入居の際に挨拶に行くと、『絶対に、御苑の年間パスは買っておいた方がいいよ』と勧められました。

実は、新宿御苑にはそれまで行ったことはなく。でも新海誠『言の葉の庭』は大好きで、その舞台が新宿御苑であるということは知っていました。実は、その親近感もあって、この地を選んだ、ということもあると思います。(下は、『言の葉の庭』に出てくるベンチ)

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私は、神戸の須磨区出身。ちょっと歩けば海岸があり、山があり、その中に小川があり。割と都市部に住んでいたけれども、休日には自然散策をするのが楽しかった。学生時代に住んでいたところも大きな公園がある街を選んでたし、和歌山に住んでいた時には、家から15分ほど散歩に出たら・・・猪と遭遇したこともあったw

だからなのか、東京でも自然があるところがいいな、と思っていました。庭が広かったり、ベランダが広かったら、そこでゆったり過ごすことも考えたのだけど、やっぱり千駄ヶ谷あたりだとそんな広めの部屋は家賃が高い!!!

そこで逆転の発想をすることに。「東京で庭のある家に住めないなら、新宿御苑を庭にすればいいじゃないか!」と。そう考えると、多少の家賃減額のために中途半端なところに住むよりも、御苑のすぐ横に住む方がいいように思えました。

ということで、千駄ヶ谷門へ徒歩2分の部屋に住むことに。夜は窓を開ければ代々木のドコモタワーが見えて、綺麗でした。東京に住んでいることを実感できました。

グリーン・セラピーは本当にあると思う。(個人的見解)

生活環境が変わるというのは、居住空間や住む地域が変わるというだけではありません。私の場合、職場も変わり、ポジションも大きく変わりました。何より、関西にはたくさんいた友人が東京にはいない。また、仕事は激務を極め、家には寝に帰るようなものでしたし、土日もなんやかんやの残務で出勤することも多い。自由になるのは、深夜の時間帯と土日の午前中くらい。たとえ時間があっても、頭の中は「仕事」でいっぱいでした。

そんな状況下で、「癒し」も東京ならではで味わえるものでした。

土日は、休日出勤前の15分の新宿御苑散歩。(自分の中では『ぎょえんぽ』と呼んでいた。)

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新宿御苑は、代々木公園などと異なり、入園料が必要なことや飲酒禁止、オール遊び禁止などの規制があることもあり、広い割に密にならない、変な人がいない、などの点で環境が非常に良いのです。ペットも入れないので、糞害などもなく、芝生を思う存分裸足で歩けます。

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最近はスタバもできて非常に便利になりました。僕は、ちょっと寄り道になるのですが、『モンマスティー』や『バードアンドルビー』で何か買って御苑のベンチで食べるのが好きでした。

街路樹レベルではなく、自然の中に包まれている感覚。これが重要なんですよね。(といって虫がいっぱいいそうな田舎の荒地とかは生理的にダメ・・・というのが贅沢なのかも。)

で、新宿御苑でリフレッシュしたら、脳内で『ドナドナ』をリピートしながら駅に向かっていました。

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浅草?中野?代々木上原?やっぱり新宿御苑

そんな働き方をしていても、いずれ限界が来ることは覚悟していたのですが。。。いろいろ無理が祟って、体を壊してしまいました。過労です。いくら気分的にリフレッシュできても、体は正直に疲労が蓄積していきます。

麻布十番の職場から、親会社(秋葉原)に職場を移すことになりました。その時に心配してくれたのが大阪にいた時から細々と付き合っていたカノジョであり、今は妻になっている女性です。

結婚して東京に来てくれることになりました。そうすると、一人暮らし用に借りていたマンションでは手狭なので、広めの部屋に住むことに。今度は、秋葉原への通勤だけを考えればいい。その反面、広い部屋を探すとなると現実的な家賃を考えると、郊外も選択肢に入れなければならないし、候補がドーナツ状に広がるわけです。

素直に妻に訊いてみました。『東京だったら、どこに住んでみたい?』と。

意外だったのは「浅草」という答え。僕も仕事で少し通ったことはあったけど(激務だったので短い期間でも東京中かなりの場所に行った)、よく知らない。そこで、浅草デートを敢行。

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確かに、『喫茶マウンテン』みたいな面白い店もあるが・・・思い描いている東京ライフとはちょっと異なる。散歩できるところって・・・スカイツリーは綺麗だけど、川もちゃぷちゃぷできないし。。。芝生はなさそうだし。。妻はこのごちゃごちゃ感は好きみたいだったけど、私が却下。

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あとは、総武線沿線ということで、千葉方面や中野・高円寺あたりも検討。中野は人が多すぎるので却下。そうすると、代々木上原か自由が丘か成城学園前か・・・いっそ、二子玉川あたりか。。。と考えていたが、決め手に欠けた。どうしても、生活がイメージできなかったから。

悩んでいる中、妻の一言。『何が一番近くにあって欲しい?』

その時に、ベッドの次に「世界で二番目に好きな場所」になっていた「新宿御苑」が思いついた。

子育ても考えるとやはり「庭」が欲しくなる。

この時点では、結婚するので、将来的に子どもができた時のことも考えていた。すると、公園で遊ばせるとしても、ちょっと目を離した隙に車道に・・・なんてことを心配する必要がないようにしたい。都会であっても、安心安全に自然を感じるところに居たい。そう考えると、東京で庭を持つのは難しい。なら、新宿御苑を庭にできる距離のところに住もう!とやっぱりなったわけです。

もちろん、「自然を感じる」ということだけなら、他にもいっぱい良い環境の場所はあると思います。でも当時は千駄ヶ谷にしか住んだことがなかったし、通勤のこともあったので、やっぱり選択肢は自ずと限られてきました。

丸ノ内線なら新宿三丁目駅〜四谷駅の間、JR総武線なら代々木駅〜四谷駅の間。この三角形の中での部屋探し。ちょうど上智大学の合格発表直後ということもあり、不動産屋さんはてんてこまい。またその三角形のエリア内に須賀神社があるのですが、『君の名は』フィーバーでそのエリアの物件が軒並み埋まっていく始末。

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午前中に連絡して「午後イチに内見」の予約をしたものの、物件に入る際に「午前中に埋まってしまって・・・」と言われたことも。めぼしい物件(3件ほどがかなり好みだった)は既に仮決めが入っており、これから本契約に進むという。

しばらくは千駄ヶ谷の狭い部屋で我慢するか・・・と思っていた矢先、いきなり電話がかかってきて、候補No.1だった新築物件の、しかも区立公園に面している部屋が「審査落ち」で空いた、と連絡が。その日、無理矢理早退して物件を確認。まだ大阪に住んでいた妻にはFacetimeでリアルタイムで接続しながら一緒に内見。即その場で契約を進めることを決めました。

窓からは公園が。徒歩で新宿御苑と明治神宮外苑が。

それから三年半ほど、その部屋で夫婦で暮らしました。個人的にはほぼ『最高!』と言える生活が手に入りました。

しかも、新居に引っ越してきて半年後に大阪の会社に転職。常時、自宅勤務という働き方を実現。これも大きかった。秋葉原には通わなくても良くなりました。妻も最初は横浜まで通勤していましたが途中で新宿三丁目に事務所開設してそこまで徒歩通勤ができるように。後付けですが、新宿だったら徒歩通勤できるというのはかなり自由度が高くなりました。

この家は隣が区立公園で、私は窓に向いて仕事をするようにしていたので、目の前の木には新宿御苑から飛来しているだろう珍しい鳥たちもきていて、気持ちの良い仕事環境でした。

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お気に入りは新宿御苑の温室。仕事の合間に(主にランチタイム)ご飯を食べに行くついでに寄って帰ってくることができました。その際には大木戸門を利用。門のすぐ横には区立図書館があったり、ちょこちょこと飲食店があるのでお昼ご飯を食べるのにもちょうどよい立地でした。

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南に歩いていくと、国立競技場が建設中でした。(一度、2019年冬にイベントで中に入りましたが、結局転出するまで中に入れないまま。)

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三井ガーデンホテルプレミアもできて、その周囲もかなり明るい散歩道になりました。(1階のパン屋がオススメです!特にフレンチトーストは絶品。)

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新宿御苑は夕方に閉まってしまいますが、明治神宮外苑は24時間散歩できます。正徳美術館も夜はライトアップされていて綺麗ですよ。

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神宮球場の花火大会は有名ですね。我が家はいつも友人宅と一緒にチケット買って神宮球場に参戦していました。家のベランダからも見えるのですけど、やっぱり迫力が違いますし。

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オススメは、東京ヤクルトスワローズの夏の試合です。5回裏だったと記憶していますが、花火を打ち上げていたのですよ。それが、外苑まで行くと真上に広がって見えるのです。その様子は、こちら。

ナイトウォークをしていた頃は、青山一丁目〜表参道〜原宿〜自宅というルートが好きでした。昼間は大勢の人で賑わう表参道も夜はほとんど人がいません。でも、ライトアップされた街を歩くのは気持ちが良いものでした。

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昼も夜も、散歩には事欠かない街でした。

住む場所によって得られるもの。意外な楽しさ。

大前研一さんは、このように言っています。

人間が変わる方法は三つしかない。一つは時間配分を変える、二番目は住む場所を変える、三番目は付き合う人を変える、この三つの要素でしか人間は変わらない。もっとも無意味なのは、「決意を新たにする」ことだ。かつて決意して何か変わっただろうか。行動を具体的に変えない限り、決意だけでは何も変わらない。

私は、仕事の関係で強制的に(3)は変わったわけです。ありがたいことに、東京に来てから多くの方と知り合いました。出会いの質・量は関西に住んでいた頃の比ではありません。東京は「実験City」だと個人的には思います。何事も新しく目まぐるしく変わる。常に街全体が「どうやったら人は集まるか?」「どんな街づくりが文化を生み出すか?」ということを実験的に行なっている感覚。それは大阪で働いていても感じない感覚でした。当然、企業もエネルギッシュ。

で、私の場合、(2)も大きかったですね。通勤に時間をかけない。隙間時間にリフレッシュできる環境を得る。大きな買い物・日常の買い物、ほとんどを徒歩圏内で済ませる。大きなイベントなども時間をかけずに参加する。・・・結局(1)も変化が当然のように起こりました。

街を歩くだけでも、刺激があるのですよ。まず、有名人・芸能人が多い。コロナ禍でマスク姿が一般化しすぎて分かりにくかったですが、それ以前は逆に怪しい雰囲気があり、目元を見ると「あ、○○さんだ」というのは多かったです。また、有名人が町内に住んでいたりもしました。(四谷三丁目の駅前に、サン・ミュージックや太田プロがありましたし。)

映画やドラマの舞台になる場所も多い。テレビを見ていると、ご近所さんがよく映りました。意外とそういうのを見つけるのが楽しい。また、家族・親戚は東京のことを全く知らないので、映っているドラマとかを紹介すると、親近感が湧くようで会話が弾みました。

関西だけではなく全国の友達が、「東京に行くついでに」ということで家に来てくれたり、近くで待合わせしたりすることが簡単に出来たのも、地理的要因が大きいと思います。特に、神宮球場で待合わせして一緒にスワローズの試合を見る、なんていうのも時々ありました。新宿・四谷・青山一丁目にすぐ出て行けるというのは親交を温めるという点でもよかったと思います。

意外に嬉しかったことは、街頭演説や拡声器の音が全くしなかったこと。四谷〜新宿御苑前くらいまでのエリアは、大使館があるので拡声器などの音を出してはいけないのです。ですから、選挙カーでさえ音を出さずに走っています。人も車も多いですが、非常に静かな環境でした。それと、意外と新宿には激安なスーパーやお店も多いんです。

もちろん、残念なところもあります。

大きなイベントがあると・・・駅が大変混雑します。特に神宮の花火大会は、チケットを持っているひとだけが入場待機のために入れる区域があるのですが、毎年、チケットを持っていない人もそこに集まるので大変な混雑をしていました。マラソンの時には交通規制も。

コロナ禍で、「東京に住むメリット」が半減したことも事実

さて、そんな満足していた生活も、コロナ禍で一変しました。

東京が感染者数が最も多かったこともあり、東京、しかも新宿に住んでいるというだけでコロナの心配をされますw  純粋に心配されているだけではなく、「しばらく関西に帰ってくるな」という牽制でもあったと思います。

また、良い意味でいろいろお店が対応したので、行きつけの店は閉店したり時短営業で利用できず。イベントの数・種類の多さも東京暮らしの良いところだが、軒並み開催自粛や人数制限のため、行くこともできず。

取引先や共同研究先はICT系が多かったので、さっさとリモートワーク推奨。(リモートワークへの切り替えは、同じ業種でも、東京の組織は早く、関西の組織は遅かったイメージ。)すると、会議もこれまでは新宿や丸の内や本郷あたりで行っていて、どこに行くにも便利だったのが、全てオンラインミーティングに切り替え。私は大阪の会社とオンラインミーティングをしていたので慣れていたのですが、周囲も慣れだすと、全てがオンラインで完結。そう、移動の利便性という都心に住むメリットが全く活かせなくなる。(2020年の夏頃は、海外に住んでも同じじゃないかな?と思い始めた。)

極め付けは、緊急事態宣言下での新宿御苑の閉園。

何のために、家賃の高いところに住んでいるのかがわからなくなりました。仕事での移動のメリットはなくなった。新宿御苑のメリットも無くなった。友達も遊びに来なくなった。帰省も出張も自粛。アフター・コロナでも東京在住のメリットは半減しつづけたままになるだろうな、と確信しました。

それでも、オリパラのチケットを購入していたので、国立競技場で観戦してから関西に戻ってもいいかも、とか思っていたら、あれ?無観客になりそうだよね?ということで、オリンピックの前に夙川で新築マンションでちょうどいいのがあったので、転居してきました。

ただ、今でも妻と2人で「また、いつかあの街で暮らしたいね」と言っています。私たちにとっては、結婚直後から暮らした街。特別な思い入れはありますが、それを除いても、素敵な街でした。

この長い文章にお付き合いいただきましてありがとうございます。ぜひ、新宿御苑は行ってみてください。そしたら、「庭にしたい!」という気持ちはわかっていただけると思います。

ではまた〜

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