見出し画像

【能登ボランティアの旅 その5】

【金沢ぶらぶら】
自然と6時前に起床。
上半身の節々は痛いものの、まあ元気だし、早朝の兼六園でも散歩しようか。近くで車中泊しているおしょうに連絡してみたら、丁度同じことを考えていたらしく、一緒に行くことに。
トイレに行きたいから先に行く!というおしょうを追うように、早朝の住宅街を歩く。
兼六園近くの上り坂がなかなか急だが、振り返ってみると朝陽に照らされた街並みが美しい。今日もいい天気だな。

早起きは三文の徳というが、まさしくこの金沢ではそれが当てはまる。なぜなら早朝に限り、兼六園が無料開放されているからだ。
6時45分までには出ないといけないのだが、地元の人たちの良い散歩コースとして活用されているのだ。
桜もまだ残っており、プロということもあり、写真にはこだわりを持つおしょうを感心して眺めつつ、散歩する。


宿に帰ると、朝ご飯に老舗のパン屋さんをお勧めされる。折角なのでと買いに行き、美味しく宿でゆっくりと頂いて出発だ!
この日は元々北陸鉄道に乗ろうかと思っていたが、ちょうどおしょうも終点の近くにある神社を目指していることが判明。
じゃ、旅は道連れね!ということで、一旦野町駅近くの駐車場に僕の車を止めて、和尚の車に乗せてもらい、白山比咩神社へ向かう。
途中、行ってみたいと思っていた金劔宮も通るので、まずはそちらへお参り。
パワースポットとして、お友達から教えて貰った神社であり、立ち寄ってみた。
本殿の正面に鳥居がないのは不思議(すぐに階段下は車道)だ。おしょうとああでもない、こうでもない…と考えるも、謎なまま。社務所の方に聞いてみると、実は境内が下まで続いており、そちらに正面の鳥居があるらしい。どうやら僕らは駐車場に停めたため、境内の横から入る形になっていたそうだ。
因みにここ、金運のパワースポットと勘違いされている(僕もそう勘違いしていた)が、そうではないとのことだ。


そしてその奥、白山比咩神社へ。こちらは広い境内。こちらもクルマを止めたところは本殿に近いところで、参道はパスしてしまった感じ。
おしょうはこの先、福井へと向かうので、駅まで送ろうか?とも言われたけれど、時間もあることだし歩くね~と、30分少々駅まで歩いてみることにする。


木立と苔の風景で、雰囲気の良い参道をノンビリと歩いて降りる。
そのまま駅へ向かって歩くと、加賀一ノ宮駅跡が。昔は北陸鉄道がここまで走っていて、おそらく白山比咩神社の参拝客でも賑わっていたのかもしれない。
その廃線跡になるべく沿うような形で歩いてみようか。廃線敷地には畑になっているところもあり、まだ線路が残っているところもある。
白山からの雪解け水のためか、水量の多い水路に沿って歩き、鶴来駅に到着した。


丁度、列車が発車する時間が近く、スムーズに乗車。元京王で活躍していた古い車両だ。(というより、古い車両しかない)
車内に入るとプーンとネギの匂い。真向いのオバちゃんが、山ほどのネギを抱えて乗車しているからだ。
ガタゴトと30分少々、途中の西金沢では新しく開業した北陸新幹線と、第三セクターとなった元北陸本線をチラ見しながら、金沢の下町という雰囲気の野町に到着。
そのままバスに乗り換える乗客が多かったが、僕はそのまま駐車場へ。
楽しい乗り鉄ミニトリップだった。

お昼ご飯は、おしょうからおススメしてもらった金沢カレーのお店、てきさすへ。
リーズナブルなのに、サラダやスープ、さらに食後のドリンクまでついてくるのがビックリ。
濃厚でドロッとした色合いのカレーはとても美味!
金沢カレーはチェーン系では経験があるものの、これはまた別モノだなと感じる。

旅のシメは、昨日も入った金城温泉へ。最初は北陸鉄道沿線の温泉に入ろうかと思っていたが、昨日が良すぎたためと、インターへのアクセスも良いことからもう一度ここでノンビリすることに。

帰りは楽々、高速で一気にホニャラへ。5日間の旅が終わった。


【まとめ】
震災ボランティアというと、少しナーバスなものに感じるかもしれないが、今回の僕の体験記からもわかるように、現地の方々の前向きな姿にむしろ元気づけられたり、感服したりといったことも。
長期で入っている方からも話しを聞いたように、現在、現地では震災直後の途方に暮れているような段階を克服し、日常を取り戻すための動きが出始めているフェーズ。
どうしても、現地の方だけでは高齢化が進んでいることもあって、若くて元気な力が今こそ必要な時なのだろう。

どうしても比較してしまうが、社協主体のボランティア活動だと、正直、地域に根差した…というものではないかもしれない。
以前、長野のボランティアに行ったときはいわゆるボランティアバスで参加したものの、色々と制限も多く、自由な雰囲気ではなかったように思う。
そもそも今回、ボランティアバスは金沢起点で設定されているそうだが、受け入れ能力の問題からか、抽選制で倍率も高いのだとか。
恐らく、そういった状況が続くと、徐々に能登へボランティアに行こう…という意識は薄れていってしまう。
もっと、活動したい人と実際に現地で活動している団体を繋ぐようなシステムが構築されれば、人手不足も解消されそうなものだ。

また、ボランティア団体によっても活動の方針はさまざま。自分にマッチしたところを見つけるのは、なかなか難しいのかもしれない。
そういった面で、今回、活動者同士の交流も楽しみながら、しかし地域の方々ともお話したりしながら活動できたのが僕にとってはとてもよかった。
これは今までRQ能登が、地域に溶け込んだうえでの活動を行おうと蓄積してきた実績のお陰だと思う。

団体によっては、家の片付けをしても、玄関先に被災物を出して終了…とういうところもあるが、そういった状態では心の面でもいつまでも被災者…という意識が抜けず、一歩前に進もうというメンタルにならないという。
そういったところも、このRQ能登ではしっかり考えて活動しているのだな…というのは3日間の活動でも感じた。

もし、どこで活動していいのか?とか考えている方、ぜひこのRQ能登での活動を検討してみてはいかがだろうか?
https://rq-center.jp/category/rq_noto

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?