イチロー選手とルーチン
なんというかルーチンである。
簡単に説明すると、一日のスケジュールや行為を同じにして、重要な仕事や行動に意識を集中させるという方法ということらしく、あのヤンキースのイチロー選手も取り入れていた手法だ。
イチロー選手の場合は徹底していて、毎日のカレーライスやバッターボックスの動作、日々の球場入りの時間まで同じにして、バットがボールをとらえる一瞬に備えたという話がある。僕の記憶が正しければ、たぶんそうだろう。
ルーチン的な行動は誰でも取っているようで、僕も病院デイケアに出かける時間や帰る時間、行くコンビニに買う服のブランドと、だいたい同じ習慣や時間を保っている。
これは人間が安全性を保ちたいという気持ちを持っているのも絡んでいると思うし、行動経済学でも説明できると思うが、あえて危険を冒すよりも、成果の出ている行動を繰り返しがちという側面に現れていそうだ。
イチロー選手はルーチンを上手く活かして成果を上げたが、僕のような凡人はそれほど成果が上がるわけでもない。でも世の中がだいたい決まった日程で動いていると、ビジネス上の時間も合わせやすく効率が上がりそうな気がする。
そうだなー、僕がルーチンを上手く活かそうとするなら、主な目的を決めてしまうのがいいのかもしれない。ただの繰り返しというのではなく、この目的のためにルーチンをしているのだという意識化か?イチロー選手のマネをしすぎてやりすぎとも思えるが。
例えば僕はこのnoteの執筆以外に俳句のネット投句をしているのだが、これがかなりの入選率なのである。だいたい7割ぐらいで入選しているようだ。そこで俳句を作ることに意識を集中させたいという気持ちもあるので、生活をほぼ一定にしてルーチン化させたほうが俳句づくりに集中できるかもしれない。
ところが、以上はいちおう考えた仮説なので、この通り行くかどうかは分からないのだが、規則正しい生活が大切という世の中の言い伝えもあることだし、仕事に集中するには仕事以外の行動や時刻をルーチンにして、余計な意識を使いすぎないようにするのも一種のライフハックになるかもしれない。
昔のサラリーマンは仕事の後に頻繁に飲み会を開いていたようだが、飲み会に意識が行ってしまい仕事に集中できていたかは不明だ。
まあ、僕の場合は短大時代はファッションデザインを学んでいたのだが、ほぼ決まった日程で、休み時間も図書館で読書とほぼルーチン的な日課を送っていて、あんまり特別変わったことをした記憶がない。
ルーチンとはちょっと違うが、人間はだいたい同じメーカーの車に乗り、同じブランドの服を着て、同じ散髪屋に行き、同じレストランに出かけることが多いと思う。安全意識も働くと思うが、間違いのない生活を送りたいという意識が強いのだと思う。
でも、たまには興味の赴くままに新しい行為や行動をしてみるのも新たなチャンスを得られるのではないかと思う。
ルーチンは成果が出るが、ルーチンを破るのはチャンスを呼ぶ可能性がある。
さて、あなたはどちらを選ぶのだろうか?