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就労支援施設の利用時代の思い出と雑感

数年前まで就労支援施設という、名目上は三障害利用の場所で実際の一般就労までのつなぎと思って通っていたのだが、考えが甘かった。

自分が就労支援施設に通い始めた当時は、まだ厚生労働省の就労支援制度がない時代で、心の病の家族会が借りた倉庫の二階でコツコツと内職作業をこなさなければならなくなった。服飾学校卒業後に就職活動を行ったが年齢と病歴で駄目になり、「作業所」という名の付く場所で内職作業三昧の日々に突入した。

その前に、病院の就職担当の精神保健福祉士に相談したり、ハローワークに通ったり、社会福祉協議会に就職相談に出かけたが、障害者就労だといくら短大を卒業していると言っても、与えられる仕事は掃除や配膳的な簡単な仕事しかない。知的障害者がデフォルトで、精神疾患患者の実態というか実際の能力は全く無視しているような感じだった。しかも当時は障害者枠というものもない。年齢と経歴の関係で病気をオープンにして就職活動をして爆死した。そういうことだ。しかし、オープンとかクローズとか言っていたハローワークの職員や厚生労働省自体が精神疾患患者の実情を認識していないのか無視しているのか、徒労のような半年間を送らざるを得ない羽目になってしまった。

「他に行くところがない」という理由で作業所に通い続けていたが、よくあの内職作業三昧の日々に耐えられたのか不思議だ。性格が真面目だったからかもしれない。

数年経ったところで、作業所も移転し就労支援施設B型に名前を変えた。建物も以前よりは立派になった。しかし、なぜか何もできない知的障害者レベル設定である。これを厚生労働省の陰謀と言ったりしているのだが、毎月良くて2〜3万円の賃金と年金では生活費は赤字になるか破産に向かう。親に助けてもらう知的障害者と車をぶっ飛ばしてパチンコに行ったりする精神疾患患者とではかかるお金が違うし、そもそも三障害は差別というか人権侵害に当たると思うし、その設定を現場に下ろして精神疾患患者の能力と仕事を抑圧するのは非道としか言いようがない。いちおう告発しておく。

その後に就労支援A型に移ったのだが、雇用契約はあり賃金はB型よりも高かったが7万円程度で、やらされる仕事は内職作業かパソコンの簡単なデータ入力、それに他人がやりたがらない重労働の単純作業ばかりということで、数年通ったものの調子を崩したと同時にやる気もなくなり退所した。

それからしばらく病院の作業療法棟で作業療法をこなし、今デイケアで過ごしながら、帰宅後に自分で決めた創作活動を行っている毎日だ。

卑怯だと思うのは、厚生労働省の就労支援制度では、社会では働けないということが利用条件になっているらしく、そんなことは一言も聞かされたことはなかった。しかも、就労支援と言いながら一般企業等への就労紹介も行わない。これでは定年まで低賃金の内職作業で飼い殺しの有り様である。しかも、最近は就労支援事業に利益目的で一般企業等も参入してくるし。福祉では儲からないとあれほど言われているのに。

話をまとめると、就労支援制度を利用しても一般就労には絶対に結びつかない制度になっているし、職業に着きたかったら自分で探すしかない。賃金は最高で7万円ぐらいなので、年金と合わせてもほとんど貯金ができない。本当に厚生労働省の役人は馬鹿なのか、精神疾患患者の老後は破産か生活保護まっしぐらである。あれほど勤勉に働いた結果。

この部分はこれからも社会に訴えていこうと思っているが、事務手続き上の利便さと旧全国精神科病院家族会連合会の障がい者手帳交付運動で、無理矢理に三障害にまとめられたようだ。それが就労支援の現場まで降ろされ、いくら病気が軽くて服薬もできて、車で通勤してくる精神疾患患者が知的障害者と同じ程度の内職作業で低賃金というのはおかしすぎると本心から思っている。

いわゆる「知識社会」だし「情報化社会」である。インターネット上の社会運動の効果についてAIは懐疑的だが、情報がインフォメーションされればいいので、実際のデモでも結局はテレビとかメディアに取り上げられるのを期待しているだけじゃん。そこが小狡い。ということで、一人で地味にインターネット上の社会運動なるものを自称して続けているんだがどうなることやらねー。

とにかく、日本の精神保健福祉制度、特に就労支援制度は完全に破綻しており、患者の人生を棒に振るだけだと思っている。それくらいなら、自分を活かせる道を病状に合わせながら探したり作ったりするほうが、金銭的にも能力向上の点からもよほどマシだと言える。できるなら、他の道を進んだほうがいいと思うよ。例えば勉学の道とか。


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