書くことがあった。
今朝、ダラダラと布団の上で寝転んでいると、頭の中に浮かぶ想いがあった。「やっぱり、理数系でも復習したほうがいいのかなー。」と。
この年齢(中年すぎ)に達すると頭の体操としてナンクロやクロスワードパズルといった簡単なパズルや計算ドリルをやる人が多い。特に自分の通っている精神科デイケアでは特に目立つ。
天邪鬼というか本格的な取り組みに憧れがちな自分には「なぜ皆、高校くらいは出てるのに数学ぐらいはやらないのかな?」と思うのである。何もそこまで自分の実力を落として世間に合わせるのもどうかと思うぞ。
というようなことを日頃から思っていたものだから、理数系の基礎ぐらいは分かっておきたい気持ちになったのだ。
そこでAmazonで検索し、数学者の遠山啓先生と物理学者の池内了先生の文庫の入門書を買おうとした。いちおう欲しいものリストに入れて、餅は餅屋ということで元化学者の父に電話で相談した。父からの答えは一言「止めておけ」ということで、「それよりお前は今水彩画を習いに行っているんだから、そっちの方に集中しろ。それから、もう余計な本を買うな」というそっけない話で電話は切れた。
「うーん、どうかなー、病院の相談員さんに聞いてみるか」と思いながら本棚を見てみると未読の本が並んでいる。それを確認していると、幸田露伴の娘で随筆家の幸田文の本をなにげに見つけた。
幸田文といえば高名な作家幸田露伴の娘だったが若くして嫁いだものの嫁ぎ先の商家は没落。中年すぎぐらいから随筆を書き始め、それで文学史でも高名な女流作家になったのだった。
そこで、はっと気がついた。幸田文には随筆を描く文章力が残されていたように、自分もある程度の文章を描く能力はあるではないかと。
学生時代からのメンタルヘルスの不調が原因で理系に進めなかったものの読書をしたり短大でレポートを書いたりして文章を書くのは得意なつもりだ。自分にはなにもないから理系の復習をして科学者だった父を偲ぶようなことをする必要はないのだ。そもそも、世の中には文章を書くのが苦手な人も大勢いる。
そこで、文章をもっと積極的に活用してもいいのではないかな?と思った。小説は不向きだが、随筆や考察を書いてみたり、新聞社や政党に投書する文章を書ける。文章を書くこと自体が自然すぎて、自分の能力の一部だと認識していなかった。
さらに一年経った水彩画教室でも絵が上達してきた。画才とまでは行かないが、そこそこ描ける素質はあったようだ。あの幸田文が随筆だけなのに自分はエッセイも下手ながら書けるし水彩画も描ける。「なんて贅沢な、これで十分だ」と思い直した。
もちろん理系というか数学と物理学には興味と未練はある。でも、今さら学んでも仕方がないというのが父の意見である。半分以上納得である。趣味でやるなら学習しても自由だろうが、文章と水彩画のほうが伸びしろは確実にある。だったらそこに集中したほうが得策だろう。
理系の興味というか、幼い頃に憧れた科学者を目指すのは来世に取っておいて、残りの期間は文章と水彩画、それに余暇の読書に集中しよう。
文章を書くことを活かしたいし、絵も上達させて個展も開いてみたい。それが今のところの望みだ。欲をかきすぎた。もっと文章を書ける能力を大切に扱いたいと思う。
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