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ひとつのことに集中することで、起こる弊害。

 うーん、最近俳優の自殺が凄く目立つので…こういうことを書いておく気になりました。個人的な考えなので、善悪正邪ではないことを断っておきます。

 日本では、古来より

一つのことにひたすら集中する

事が美徳の様に言われてきましたが…。これは日本の歴史的・社会的背景からもこういう価値観で縛られてきた、という側面があります。

 コレはどういうことかと言うと、要するに日本社会では流動性の低い社会構造が歴史的にもずっと長く続いてきたから、という事があるためです。

 代々、同じ土地で同じように連綿とその地で生きていく。時折の飢饉はともかく、基本的に

変化を求めないと死んでしまう

環境ではなかった、というのが影響しています。

 特定個人が利益を独占しない限り、全体を見れば生き抜ける、暮らしていける。こういう社会背景がバックボーンにあるため、自然と

無理をしない、共有する、分け与える

という考えが定着していきます。

 そうすると、代々そこに住まう人々の担う役割を変えない方が長い目で見ると効率的。こういうロジックが意識せずに培われてきたから。これが、代々役目や役割、してきたことを守っていく、という価値観を育んできたと思いマス。

 しかし、現代では日本社会でも海外からの影響(善悪含め)によって、海外との接点を断ってやっていけない構造に変化しています。そうなると、今のままとか、ずっと同じことを続ける、という答えが正解にはならないのです。

 そうなると、個人での人生のリスク管理の観点から見れば…

行き詰らない様に、逃げ道=選択肢を作っておく

事は処世術として重要。この点が、今回の俳優の人たちの自殺において行き詰ってしまったのでは?と思ってしまうのです。

 私の場合、こうした比較論を実体験を通しながら考えると次の通り。働き手としての行き詰らない身の振りというのは…

その場でしか生きていけない、という状態からの脱却

というモノなのだな、と。

 こういう観点から見ると、終身雇用の考えに殉じることがいかに危険か分かります。選択肢が一つしかなく、入ったが最後、一本道。破綻後の結末をここ30年程で当時の若者が見ていたから、避けられるようになった。だから今、完全な消滅への道をたどっているのでしょう。

 そして、俳優の自殺とこれはリンクしていると思う。スナワチ、

芸の道をひたすら究めれば…

といった考え。コロナのせいで、物理的に需要が急減し、その中であおりを食って自分にまで仕事が廻って来なくなった。私が思うに、これは

受け身過ぎた故の結末

ではないのか?と思うのです。

 そもそも、未だに一芸に秀でていれば良い、という考え方が根強いからだろうな…と言うこうした事件は後を絶たない。芸にだけ集中していれば良い、という背景が

現代においては通用しない

事実にいい加減、気づかないと。

 そもそも、ビジネスに俳優が目を向けなくてよい時代背景は過去にはあったといえるでしょう。なぜならば、

明治維新後も、基本的に個人の力量で大きく左右される要素は希薄

な日本社会であったから。それぞれ担う役割が、一つずつかつ固定的であったと思っています。

 こういう組織的な運営に関しても、近代社会の枠組みやシステムを日本的要素によって融合したり、当てはめることで順応してきた。そういう中で、こうした価値観がずっと残り続けてきた。

 しかし、世界がグローバル化していく過程で日本にも流動性を担保する必要性が押し寄せてきた。その波にさらわれ、終身雇用という日本的なシステムも機能しなくなった。その過程で、一芸で生きていける環境も少しずつ無くなって来た。

 そこへ来て、今回のコロナ。奇しくも変化や変更が必要となっている現実を否応なしに直視・変更せざるを得ない状況がやって来た。それが、今回の様な悲劇を生む原因となったでしょう。

 俳優さんの自殺については、その知名度から目立ちやすいともいえますが…。これ以上に、似たような状況で悲観して自殺しないまでも、かなりストレスになってる人は多数いるでしょうね。

 今回のことで露呈したのは、

一つの価値観に集約しすぎる弊害

だと考えています。私自身が多様性のある価値観の方が良い、と考えるのも実のところ好き嫌いではありません。その方がリスクが低く、合理的だから。この場合、当人の価値観に色んなモノが内包していたなら

この価値観は現状で機能しなくなった、ならば…

と自分の中にある違う価値観をベースに据える。こういった内面の”変化”を比較的スムースに起こせる。本人の中に、あらかじめあったものだから拒否反応・拒絶反応が起こりにくいのですね。

 しかし、日本では一つに絞らせがち(同調圧力がかかる)なのでこうした環境の激変がひとたび起こると、その犠牲が極めて大きなものになる。これまで深く考えずにできたことができなくなり、否定すらされる。その厚い壁を乗り越えるだけのモノが当人の中に培われていなかったら…。そりゃ元気をなくしますよ。

 私個人はこうしたところを自ら考えた上で、違いを否定しないという考え方を大事にしていますが…。行動に制約ができても、自分のメンタルに重大な問題というところまでには至ってない。これは、前述の多様性を是とする考え方が貢献してくれているからだと確信しています。

 そういう考えを持てているがゆえに、急に内面の変化を求められる人たちがストレスフルになるのも無理はないと思う。見ている限り、マジメで求道者的にひたすら一筋に頑張るタイプの人ほど、絶望的になって自殺という選択になってしまっているんじゃ?と非常に悲しいですね…。

 記憶の範囲内でも、自殺に至ってしまった人はアラフォーから老人といえる年齢まで様々でしたが…。記事を読む限り

心の逃げ道や、支えてきたものが失われた

からじゃないかな?という印象をいずれからも受けた。先行きに希望が持てない社会背景も問題ですが、その時の状況に翻弄されるだけの考え方しか持てないというのも悲劇です。一芸に秀でることの重要度は不変ですが、

ひとつしか価値観を持てない

というのは丁半ばくちのゼロか100かと一緒。実はハイリスクな考え方なのだという事を知ってほしいですね…悲しい。

いぢょー。

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