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日本的組織で、時短が進まない理由への考察。

 業務改善や時短については、今に至るまで全然変わってないな…と思いますね。というのも、根本的な誤りとして根深いのが

時間をかけることはよいことだ

という考え方があるから。コレは、

時間をかける=それだけ質が上がる

という考え方が根底にあるからでしょう。でも、今現在よく見かける欠落した部分がある。それが

時間を余分にかけることで、具体的にどう質が向上するのか

という見込みがあいまいになっていること。それが主たる要因でしょうね。

 実際、私自身がリーダーしていたころにこういうケースがあった。仮にAさんとしますが、Aさんは仕事が遅かった。スタッフの中でも下の方といえた。改善のために話をすると、

時間をかけてやっているんです

との返答が。

 一見、丁寧にしているから仕方ないと見えるかもしれません。しかし、そこに欠けてる視点が

時間をかけてもよい内容かどうか

や、

それは、対象への満足度を高めるものなのか

や、

全体でみて、時間を取られても価値が高いか

というもの。そういう検証がないままに、漠然とした感じでやっていたのですよね。

 なので、そうした点を根拠を挙げながら指摘すると…

雑にしてもよいということか

のような反応をしたり、

自分の仕事ぶりが気に食わないのか

という感情論にすり替えたり、挙句の果てには

あなたの言うとおりにしろ、というならどうしたらいいのか

と思考放棄してしまう始末。これでは、いつまでたっても改善という道筋に目は向けないでしょう。

 よくない、とはっきりしている点はたったひとつ。

実はすべて自分基準で物事を進めている

に過ぎないから。周囲のために、という名目で我流の正当化をしているだけ。だから、指摘を受け付けなくなる。

 これがそこでやってる期間が長ければ長いほど、受け入れる可能性は減っていきます。

自分には経験がある、長くやってるのだから

という理由だけで満足感と間違った自信を持つから。そうなると、周囲も当人の行動に掣肘を加えることはほぼ、不可能です。できるのは当人が権威を感じている対象だけになってしまいますからね…。

 こうしたことは、私自身にも実体験がある。古参のスタッフがそこにいて、表面的には愛想よい。でも、実際には面従腹背であり、こちらの提案や指示を平気で流す。こういうことが起こりうるのです。

 それを打破するためには、綿密な事前計画が必要になってきます。それには、

それしか選択肢がない

という状況に追い込むのが一番簡単ですが…。いつもその手が使えるわけではない。

 こうした部分は、今回の趣旨から外れるので書きませんが…。

丁寧=時間をかけること

を直列つなぎにしている人は評価に値しないと思う。必要なことは、

時間を圧縮しながらも、いかに質を高めるのか

なのだからね。勤務時間が固定されている限り、この弊害からはなかなか脱却できないでしょうね。だからこそ、変える必要があるのですが。
いぢょー。


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