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掌編小説:ツン

父が風邪をひいた。
寝ていれば治るさと父は明るく振る舞う。
その影に、死の匂いが、ツン。
数日後、結局父は風邪を平然と治した。あの死の匂いはなんだったのか。
思えば父が風邪をひくたびに、死の匂いを感じていた。
思えば父のみならず、家族や友人や知人、誰かが風邪をひけば、死の匂いを感じていた。
思えば私は死の匂いをありとあらゆるものに感じていた。
家族が出かけると、事故に遭うんじゃないか、ツン。地震に遭うんじゃないか、ツン。
そうして思って、心配して、それが当たったことは一つもなかった。
だいたい死というものは唐突にやってくる。
先日祖母も飼い犬も私が寝ている間に亡くなった。
死の匂いを感じない時にほんとうの死がやってくる。
煙草を吸っていると、腸が痛くなってくる。しまいには下痢便をすることもあるのだが自分に対しては死の匂いをさほど感じない。いや、意識すれば感じることはできるがなんというか、ツンとは感じない。
父が一服している姿を見ると、ツンとする。
なんだろうか、この、ツンは。
就職とか入学試験の面接を受ける時もそうだ。面接官に会った途端に、ツンとする。
AVを見ている時ですらもたまに、ツンとしてしまう時がある。嬌声をあげながらセックスに勤しむ女優が汗を拭う様に将来を見てしまうのだ。彼女たちは今はこれでいいのかもしれないがいやよくないかもしれないが引退したらこの後は何が待っているのか。何もないかもしれないじゃないか。そう思うと、ツンとする。
妄想癖が強すぎるかと悩み、医者に行ったこともある。「なんだろうねえ」と医者は困っていた。「まあよくあることですよ」。結局、抗うつ剤の処方とちょっとのカウンセリングをされただけだった。
それでも、ツンは止まらない。
映画を観に行った。
誰も死なない、平凡な男のある一日を追った映画であった。
しかしそういう映画の内容よりこの映画を撮った、映画の向こう側の作者に強烈な死の匂いを、ツンと感じた。
映画を楽しみたいだけの私になぜこんな嫌がらせを?
いや嫌がらせでもなんでもないのだ。勝手にこちらが、ツンと感じているだけだ。
ラジオを聴いているとある音楽家の曲が流れた。その音楽家は先日死んだばかりだ。追悼で何曲か流れた。どれも明るい力強い曲であったがやはり、ツンと感じてラジオを途中で消した。
いつからこんなに死の匂いを感じとるようになってしまったのだろうか。
小学生の頃遠足に行った時に、ツンと感じていたのを思い出した。
山にハイキングに行ったのだ。
遠足自体はとても楽しかった。
しかし遠足が終わって帰ろうという時に点呼から外れた男子がいた。
どうしたのだろうと先生が探しに行ったので私たちもついていった。
その男子はトイレに駆け込んでいた。
トイレの入り口付近に、げろの細い線がつうっとあり、トイレの中へと続いていた。
先生はトイレの中へと入っていって介抱をした。
その時である、ツンと感じたのである。
これが自分の憶えている最初の死の匂いである。
次に憶えているのは中学にあがろうとしていた時友達の鼻ににきびを見た時である。にきびというものを初めて間近に見た時、ツンと感じた。
死の匂いを感じとるのは結局いいことなのかよくないことなのかよくわからない。
危機管理能力があっていいじゃないか、緊張感があっていいじゃないか、死を感じとるのは生を謳歌している証拠じゃないか、ああなんとでも言ってくれ。
私は死の匂いにいいかげん飽きてしまったのだ。
それでも、どうしても、ツンと感じるのである。
だから参る。

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