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夏の休暇と仕事とチキンカレー

暑い夏の日の正午、僕は職場の近くにある小さなバーに足を運んだ。仕事を忘れるために休暇を取ったはずだったが、結局、オフィスの薄暗い空間に戻ってきてしまった。そして気づいたときには、いつものバーの木製ドアを押し開けていた。昼間の営業をしていることを知ったのは、ふとした偶然だった。暑さでアスファルトが揺らめく大阪の街、北区の喧騒から逃れるようにして、そのバーに辿り着いた。

店内は薄暗く、涼しい。昼間のバーには、夜とは違った静けさが漂っていた。カウンターに座ると、バーテンダーがちらりとこちらを見て、軽く頷く。昼間の客は少なく、カウンターの奥に数人の客が黙々とカレーを食べている。僕もメニューを手に取り、迷うことなくチキンカレーを注文した。目玉焼きが乗ったカレーは、僕の記憶の中で特別な位置を占めている食べ物だ。

外の灼熱の世界とは対照的に、バーの中は涼しく、夏の終わりの夕方のような静けさが漂っていた。注文したカレーが運ばれてくる間、僕はぼんやりと過去の夏の日々を思い出していた。若いころ、夏休みといえば、無計画に時間を過ごしていた。何も考えずに浜辺で昼寝をしたり、友人と夜通し酒を飲んだり、未来に対して漠然とした期待と不安を抱いていた。あのころの夏は、今と比べて、何倍も長く感じられたものだ。

そんな思い出の中で、彼女の顔が浮かんでくる。あのころ、よくこのバーで彼女と一緒に飲んだ。僕たちは、何も特別なことは話さず、ただ酒を飲み、音楽に耳を傾け、そして夜の静寂に身を委ねていた。彼女はとても無口な人だったが、言葉にしない部分で繋がっていたような気がする。けれども、いつしかその繋がりは途切れ、彼女もまた、僕の人生からすっと消えてしまった。

運ばれてきたカレーの香りが、僕を現実に引き戻す。チキンカレーのスパイスの香りと、焼きたての目玉焼きが食欲をそそる。スプーンを手に取り、一口運ぶ。口の中に広がる濃厚なカレーの味と、半熟の黄身が絡み合い、心地よい温もりが体に広がる。だが、その温もりは一時的で、すぐに冷めていく。まるで彼女との記憶のように、心の中で何度も反芻されながら、次第に薄れていくのだ。

カレーを食べ終えると、再び物思いにふけった。なぜ、僕は今日ここに来たのだろう?休暇を楽しむことなく、仕事に戻ってきてしまった自分に、少しばかりの違和感を覚える。でも、答えは単純だ。仕事がある場所に、僕は自然と足を運んでしまう。それが建築設計士としての習慣であり、日常の一部だからだ。

最後の一口を飲み干し、立ち上がると、外の光がバーの中に差し込んできた。扉を開けると、再びあの暑さが襲ってくる。太陽が容赦なく照りつける中、僕は職場に向かって歩き出す。この熱気の中のどこかに、自分の居場所があると信じるしかない、と思いながら。

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