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さよならさんかく、またきてしかく。

扇風機のゆるやかな回転音が、店内の静けさに溶け込んでいる。大阪市北区大淀中にあるこの小さなカレー屋は、昼下がりの暑さを忘れさせてくれる数少ない場所の一つだ。僕はスパイスの香りが立ち上るカレー皿にスプーンを差し入れ、一口運ぶたびに過去の記憶が鮮明に蘇ってくる。

最初に思い浮かんだのは、大学時代に出会った美咲だ。彼女は好奇心旺盛で、新しい料理や店を見つけると必ず僕を連れて行った。二人で訪れた下町のインド料理屋で、彼女が目を輝かせながら食べていた姿が今でも目に浮かぶ。美咲はスパイスの効いた辛口のカレーが大好きで、その刺激的な味わいに負けないくらい情熱的な女性だった。

次に頭に浮かんだのは、仕事仲間だった恵子だ。彼女は穏やかで包容力のある性格で、自宅でじっくりと煮込んだカレーをよく振る舞ってくれた。彼女の作るカレーは優しい味わいで、一緒に食卓を囲む時間はまるで家族のような温かさに満ちていた。恵子の笑顔と、その香ばしいカレーの香りは、忙しい日々の中で心の拠り所だった。

そして最後に思い出したのは、数年前に出会った由紀。彼女は自由奔放で、思い立ったらすぐに行動に移すタイプだった。深夜に突然「カレーが食べたい」と言い出し、二人で24時間営業の店を探し回ったこともあった。由紀はいつも新しい刺激を求めていて、そのエネルギッシュな生き方に僕は惹かれていた。彼女と食べた深夜のカレーの味は、今でも鮮烈に記憶に残っている。

気づけばカレーはすっかり冷めてしまっていた。それでも最後の一口を口に運び、ゆっくりと噛み締める。過去の恋人たちとの思い出が、この一皿の中に凝縮されているような気がした。彼女たちと共有した時間は、それぞれに異なる味わいを持ちながら、僕の中で確かな痕跡を残している。

勘定を済ませて店の扉を押し開けると、むせ返るような夏の熱気が全身を包み込んだ。照りつける太陽と蝉の声が、現実へと引き戻してくれる。僕は一瞬立ち止まり、深呼吸をしてから足を踏み出した。これからも一人でカレーを食べる日々が続くのかもしれない。それでも、過去の思い出がある限り、僕の人生には確かな味わいがあるのだと感じながら、暑い夏の街を歩き出した。



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