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漫画「ブルージャイアント」が描かなかったこと

 世界一のジャズサックスプレーヤーを目指す青年のサクセスストーリー漫画「ブルージャイアント」シリーズを読みました。

 このシリーズは「ブルージャイアント(日本編)」「同・シュプリーム(ヨーロッパ編)」「同・エクスプローラー(アメリカ編)」と続いている作品で、漫画でありながら音楽(ジャズ)が聞こえてくる!と評価が高く、2022年には映画化もされるという大ヒット作です。

 単行本の巻末には「成功を収めた未来の主人公「宮本大」について仲間たちが語る」というエピローグも描かれ、主人公が夢を叶えたということを知りながら若き日の挑戦を帰納的に読めるという趣向も斬新です。

 しかし、作者の意図だと思いますが、この漫画には決定的に「描かなかったこと」があると気づきました。それが描かれないのが、僕にはなんだか物足りなかったのです。(僕のような一介のデザイナーごときが大ヒット漫画に物申すなんて不遜だとは思いますが、この漫画をきっかけに息子がサックス教室に通い始め、決して安くはないアルトサックスまで買ってあげたほどハマったのだから、少しは物申してもいいでしょう?

その「描かれなかったこと」とは、
存在意義の葛藤 です。

 主人公・宮本大は高校生の時にジャズの生演奏を見て衝撃を受け、それからジャズサックス一筋に打ち込んできた青年です。金銭面での不安や仲間との確執など、様々な困難を持ち前の一本気な性格で乗り越える。読んで勇気をもらえます。

 しかし、音楽や美術といった芸術表現活動に携わる者はほぼもれなく全員、避けられない試練として「存在意義の葛藤」と戦っているのです。

平たく言うと
「こんなんやって、何になるねん。」
という、自分のやっている事がくだらなく思えて投げやりになってしまう、シラけ期があるのです。

 芸術や音楽で腹が満たされるわけでもない。戦争も貧困もなくならない。病気を治せるわけでもない。誰かの困り事が解決するでもない。あってもなくても良い事。どうでもいい事。ばかばかしい、ヤメだヤメヤメ!と。

 僕のようなデザイン業(産業美術)はニーズがあって成り立つ業界なので、この葛藤からは比較的遠いところにいますが、それでも季節の変わり目には必ずこんなことを思ってしまうのです。

 この症状は歳をとればなくなるかというとそんなことはなく、振り払ったつもりでも寄せては返す波のようにやってきて、自傷的に存在意義に怯えるのです。芸術家に鬱気質の人が多いのは、コレがあるからかもしれません。

 しかし、宮本大にはそれが無い。
音楽の、ジャズという狭いジャンルで、たったひとつの楽器に縋っていながら、存在意義に一片の迷いも無い。それが成功者という「超人」の才能なのかもしれないけれど、いち読者にとっては眩し過ぎるんです。
 一昔前の少年ジャンプの主人公のように「ひたむき過ぎて共感できない」と思えてしまうのです。

 この作品を描いた石塚真一先生は漫画という芸術分野の大家なので、この葛藤は痛いほどわかっているはずだから、あえて描かなかったのでしょう。石塚先生は他の作品(「岳」など)でも、一本気で葛藤を感じさせない主人公を描く事が多いようです。

存在意義の葛藤が無い芸術家のサクセスストーリー。それは安心して読める反面、種のないブドウを食べているような気持ちにもなるのです。

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