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Vol.105 『何のためのテスト?』③

 昨日は、奈良女子大学附属小学校の国語の授業を見に行きました。そこでは、「個の学び」についていろいろと考えることができました。
 今日は朝から『何のためのテスト?』の三章の読書会に参加しました。昨日考えたこととつながることがたくさんあって、おもしろかったです。昨日と今日を通して、結局僕は「関係のプロセス」を曖昧に理解していたんだとわかりました。

 


 前回の読書会で「教育は関係のプロセスである」という言葉に注目しながら読み進めました。その時は、なんとなく、「関係のプロセスが先にあって、関係のプロセスを大事にしないといけないんだなぁ」とわかった気になってしまっていました。
 ただ、今日は「学びのプロセス」という言葉が出てきたり、「変幻自在的存在」「教えるために学ぶ」「教えるという行為は配慮の表現」「一次学習」「二次学習」といった言葉もあったりして、もうどんどんよくわからなくなっていきました。

 ただ、今日の読書会で、ここまでずっと「関係のプロセス」を曖昧なままにしてしまっていたことが自分の「よくわからない」の原因だったんだとわかりました。

 二章では「はじめに関係がある」という言葉からスタートします。僕はこれを順番だと思っていました。「まずはじめに関係を捉えて、そのあとに、一人ひとりの学びのプロセスを捉えていくんだな」と思っていました。ですが、この「はじめに関係がある」の「はじめに」は順番じゃなかったです。

 この「はじめに」は「根本」とか「ベース」の「はじめに」なんですよね。関係がベースとしてあり、その上に学びがある、ということなんじゃないかなと。

 昨日の奈良女では「その子らしさ」というのが話題になりました。音楽では協働しながら学ぶから「その子らしさ」は必要ないときもある、ときいたり、図工では、「一人ひとりが自分らしく表現する」ことを大切にしている、ときいたりしました。
 そのとき、「どんなときでも他者とのかかわりの中でその子らしさが発揮されるんじゃないかな」とか「その子らしさって決して、好き勝手やることではないんじゃないかな」とかあれこれ考えていました。

 だからこそ、その子らしさが発揮される、集団での学びの場づくりを大切にしたいな、と思い、これからそのために自分にできることはなにかなと考えながら昨日は帰ってきました。

 そして、今日、読書会で「関係のプロセス」に注目しました。昨日の学びがあったからこそ、たくさんつながりました。ちゃんと根っこに関係のプロセスがあると知っておく、そして、その上にある学びのプロセスに目を向けていこう、探ろう、捉えようと思いました。

プロセス評価を、「教師」と「生徒」のように基本的に独立した二つの単位の関係ではなく、「教師と生徒」という一つの単位として理解するとよいだろう。この「と(共に)」という性質は、評価に極めて重要な側面を追加する。特に、関係そのもののあり方に、明確に注意が向けられることになる。

Kenneth J.Gergen(2023),何のためのテスト?評価で変わる学校と学び P67

 ここまで書いておいて、いやちょっと、違うようにも思えてきました・・・

 もしかしたら、「学びのプロセス」の中に「関係のプロセス」が入っているのかもしれません・・・

 「学びのプロセス」の中にある「関係のプロセス」に目を向けるイメージが近いかもしれません。もうちょっと、読み直してみます・・・


 毎日読んでいる「禅ごよみ365日」の今日のページが今の自分に響きました。

 
変わることのない拠りどころを見つける
「水急不流月」…川はいくら勢いよく流れていても、水面に映る月を流すことはできない。時代は移り変わっても、真理(本物)は変わることがない。

 「個別最適な学び」「令和の日本型学校教育」など様々な新しい考えが出てきています。
 ですが、どんなときでも、「これだけは守る」「大切にする」という拠りどころ、本質、根っこの部分を自分の中にもっておきたいなとあらためて思いました。

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