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Vol.146 情報教育とは何か

 昨日は、『「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実を目指して』という本を通して、あれこれ話すことができました。

 最終的には「学ぶ」「一体的」「問い」など、子どもの試行錯誤の過程を支えるための教師の役割といったところへと話題が行き着いていきました。「個別最適」も「協働」もそういった学びへの意識を教師がもっているかどうか、具体的にみえているかどうかでできることが変わってきそうだなぁと思いました。

 他の先生方は現場で広める立場にいらっしゃる先生でした。授業を変えるために一生懸命取り組まれていました。話を聴きながらまだまだ自分は自分の授業を磨くことの意識が強く、周りを意識することをしてきていなかったなと思いました。ただ、今後は立場や年数も変わり、どこかで中心となって動く機会が出てくるかもしれません。そのときに僕はなにができるのかなと、昨日は考えていました。

 あらためて大切だなと思ったのは一人ひとりが自律しながら学ぶというところです。これはきっと大人も子どもも一緒だなと思います。誰かに教えてもらうとかではなく、結局、自分で自分自身に問うことって大切だと思っています。それができるときっと大きく成長できます。

 一人ひとりの子どもたちに対しては、自律→自立の過程を支えるために教師としての自分がいるんだろうなと思いました。

 昨日は所属している研究会でずっと大切にされてきている考えも教えていただきました。

情報教育とは何か 永野和男

 これはずっと前に出たものですが、これからもずっと大切にしなければならないなと思うことが書かれていました。

情報教育の終局的な目標は、「コンピュータ技術が進歩し、人間の扱うあらゆる情報がコンピュータを介して、収集、加工、保存、伝達できるような時代がきたとき、人間として情報を適切に扱いうる基本的能力を養うこと」であり、具体的には、「情報をみぬく目」「情報を処理する知恵」をバランスよくつけることである。コンピュータの活用は、このうち、主として「情報を処理する知恵」の一部に入ると考えられるが、これには、「ここではコンピュータを利用すべきでない」といった判断ができることも含まれている。コンピュータの利用場面を的確に判断できるようにするためには、あらゆる場面の中でコンピュータを利用させ、道具のように使いこなす機会を与えることは、ある段階以後から必要なことではある。しかし、同時に、そのことの意味や影響、補われたものや欠落したものをみぬく目を養うことを忘れてはならない。

情報教育を支える教師

 情報教育を支える教師像が筆者にはある。情報教育を支える教師というのは、少なくとも自分自身の問題解決に情報を活用できる能力をもとうと努力している姿勢が要求される。自分自身の情報処理プロセスを自分で対象化できていない教師が学習にかかわっていても、子供に情報活用能力を育成する場面には逆効果になる。
 ここに、教師のコンピュータの活用とそのための環境の問題が出てくる。教師自身の問題というのは、たとえば、「授業の改善」や「学校事務の効率化」、「学級経営」、などである。もちろん、すべての情報の活用にコンピュータが不可欠というわけではない。しかし、コンピュータの特性を知り、必要なときには利用し、不必要なときにははっきりと拒否するための知識や技能をもつことは、情報教育を実践する場面にかかわる教師の一つの資質である。
 さらに、子どもに対する教師の役割の変化を認識していることが必要である。従来のように、教師の役割は情報を整理し、その整理枠を子ども達に教え込んだり知識を伝達することではない。子ども自身が情報処理能力を身につけるような課題場面や情報環境を用意し、さらに、学習の場面では、教師も共に参加するといった役割が必要となろう。すなわち、知識の伝達者ではなく、学習環境のデザイナーとしての教師の役割である。

 情報教育が成功するかどうかは、コンピュータの導入状況や教師の操作能力の問題ではなく、むしろこのような、「学習観の変容」や、「意識の変革」に教師がついていけるかどうかにかかっている。

 感覚的によいと感じていることを感覚のまま終わらせないようにしながら、よりよい学びや本当の成長へとつながるところはどこなのかをもっておかないといけないなと思いました。そこをもっているからこそ、自分の役割って明確になっていくんだろうなと思います。

 こんな感じで本の内容からあれこれつながっていく感じがおもしろかったです。


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