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【歴史本の山を崩せ#010】『曾国藩』『李鴻章』『袁世凱』岡本隆司

毎週一冊、歴史本を紹介させてもらっている【歴史本の山を崩せ】。
今回は三冊まとめて紹介します。
#008でも紹介した岡本隆司さんによる新書です。

清末民初…すなわち内乱と西洋との接触によって伝統中国からのいわゆる近代化に向かう中国。
この時代を代表する三人…曾国藩、李鴻章、袁世凱の評伝です。
世界史の教科書で一般にも有名な林則徐や孫文ではなく、この人選はなかなか渋い。
一番最後に書かれた曾国藩のあとがきでも触れられているとおり、期せずして三部作となった三冊。
もちろん、単独で読んでも大丈夫なのですが、折角ならば三冊読んで岡本隆司の中国近代史像を堪能してほしいです。

我々の価値観や歴史の結末から逆算すれば、無策・無謀・非合理にみえる彼らの決断も、歴史的な背景を理解すれば、実は「合理的」な決定であったことが見えてきます。
「近代化(西洋化)」という点からすれば成功した日本に対して、失敗した中国として評価されがち。
その評価も「近代化(西洋化)」という視点であることと、そして、私たちは彼らが決断を下した時点では知り得ない情報(最たるものがその決断が実際に及ぼした結果)を知っているということ。
結果から逆算して、史上の人物の優劣を論ずることは、後出しジャンケンにならないように気をつけなければなりません。

《中国の「幕末」開幕・曾国藩》


まずは曾国藩。
この三人のなかでは日本での知名度は一番低いかもしれませんが、この時期の中国を代表する人物といっても過言ではありません。
ちょうど日本では江戸時代後期。
ペリーがやってきて幕末と呼ばれる時代と同じ頃に活躍した人物です。
エリート官僚の選抜試験である科挙をパスして官界に入り、母の服喪のために郷里へ帰っているところ、太平天国の乱の鎮圧を命じられる。
清王朝はチープガバメント(小さな政府)で、曾国藩の頃には治安に関しても地方任せの状態。

君主独裁なのに地方放任という相矛盾する清王朝の「奇妙」な政治・社会背景。
それを成立せしめる幾星霜の間に育まれてきた伝統中国の黄昏。
いわば中国の「幕末」の開幕を曾国藩という人物を歴史の中に位置づけながら描いていきます。

曾国藩はとにかく「真面目」。
眼前の課題に対して誠実に立ち向かう。
反乱軍の鎮圧を任務としながらも、残念ながら軍才には恵まれず戦闘は弱い。
敗戦の責任を感じては川(中国の川なので日本とはスケールが違います。ほとんど海みたいなものです)に身を投げること数度。
そのたびに部下に引き上げられて死にきれない様は滑稽にも見えますが、彼の真面目さを表しています。
太平天国の乱鎮圧を通して、彼が作り上げた「幕末」中国の舞台は、彼の弟子である李鴻章によって第二幕が上げられました。

本編とはあまり関係ありませんが、あとがきに書かれた、数十年前に読んだ史料を改めて読み込み、史実を描く過程。
歴史学者の初々しい初心に触れるようで、大学院まで歴史をやっていた人間としてなんだかスゴく微笑ましく、和んだ気持ちになりました。

《どこでも出てくる男・李鴻章》


世界史はもちろん、日本史の教科書にも李鴻章はよく出てきます。
曾国藩に見出され、事実上彼の後継者となった李鴻章はその自負心と、それに応えるだけの能力をフル稼働させます。
この時期、諸外国との交渉の場には必ずこの李鴻章が中国側の代表者として登場します。
まさに、どこでも出てくる男です。
デキる男です。

ところで彼は当然ながら皇帝でもなければ、国政を指揮する宰相でもありません。
北方守備の軍団と一地方の開港場の責任者に過ぎない彼が何故、中国側の代表者として対外交渉を担うことになったのか。
諸外国がどのように中国を、そして李鴻章を見ていたのか。
東アジアをめぐる、伝統中国の天下観と西洋諸国の国際観。
中国を代表した李鴻章の言動を追うことで、そのギャップが影に日向に及ぼした歴史的な影響と意味が見えてきます。
個人的に、この三部作のなかでは李鴻章が一番面白かったです。


《伝統中国最後の男・袁世凱》


日本人に清王朝の滅亡から中華民国建国の立役者は誰かと問えば、ほとんどの人は孫文の名前を挙げるでしょう。
孫文ではなく袁世凱を選んだ理由のひとつが「嫌いな人物」だというのがまた岡本さんらしくていい。

「食わず嫌い」ではいけないと、ちゃんと史実にあたって「嫌いな人物」の実像を描き出してみる。
人間である以上、好き嫌いが出るのは仕方がない。
問題はその理由がファクトに基づいているかどうかだ、というのが岡本さんのスタンスでもあります。
(袁世凱についてはやっぱり嫌いだということです)。

同時代人からもあまりよい評価が残っていない袁世凱ですが、ただの愚か者であっては曾国藩・李鴻章の遺産を引き継ぐことなどできようはずがありません。
世界史の授業で「なぜ、革命を主導したはずの孫文は、袁世凱なんかに大総統の地位を譲らなければいけないんだ?」と思った人も少なくないのではないでしょうか?
当時の中国の社会背景を踏まえ歴史の中に袁世凱を位置づけてみると、彼の姿も違ったものに見えてくるかもしれません。

機を見るに敏で、重要な局面ではキャスティングボードを握ること多数。
ところが袁世凱もまた伝統中国を生きた男であり、自らの手で歴史から葬った皇帝の座に片手をかけたところで、その玉座ごと転がり落ちてしまう。
彼の挫折と死はまさに伝統中国の終焉を象徴しているかのようです。
袁世凱という男の生涯を通して、歴史としての伝統中国の終わりを描きます。

もし、三部作に続きがあるとすれば蔣介石が読みたいですね。
岡本さんが専門とする時代からは離れすぎてしまうのが難点ではありますが。

『曾国藩 「英雄」と中国史』
初版:2022年
定価:880円+税

『李鴻章 東アジアの近代』
初版:2011年
定価:760円+税

『袁世凱 現代中国の出発』
初版:2014年
定価:789円+税



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