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ハノイ読書会 『JR上野駅公園口』柳美里著

それぞれの「居場所」の大切さ

先日ハノイで行われた読書会
課題図書は柳美里著の『JR上野駅公園口』でした。
柳美里さんの本は初めて読んだのですが筆力が凄まじく、ぜひ他の本も読んでみたくなりました。

僕がこの本で感じたことは、「居場所」の大切さです。
人生ではいろんな不幸や理不尽が起こりますが、皆それを乗り越えなくてはなりません。この主人公にも次から次へと不幸が起こり乗り越えようとしますが、彼はそのたびに自分の「居場所」まで奪われ追い詰められてしまいます。それこそが本当の人間の苦しみであり、世界中で起こっている大きな災厄だというメッセージを感じました。

全米図書賞受賞! なにがアメリカで評価されたのか?
本書は柳さんの山手線シリーズの中の一冊だそうです。去年の暮れにアメリカで『全米図書賞』を受賞して話題になりました。今回の読書会でも「なぜこの本がアメリカの賞を受賞できたのか?」という話題が出ました。物語は極めて日本的な文脈があり、私自身も「どこが評価されたのか?」と疑問でしたが、「ブラックマターなどアメリカでは社会的な弱者についての話題が注目されたり共感を得やすいのでは?」とか「主人公の身に降りかかる不幸や災厄がどんな国の人にも共感できる普遍性があるのでは?」とかいろいろな意見がでました。

力強い文章とテクニック
読んでいる間に不思議な、フワフワした感じを与えるのが個人的に興味深かったのと、錯時法で語られているため一度読んだだけでは理解しにくい部分(この辺がフワフワ感にも繋がると思うのですが)があり、一気に2回読んでしまいました。以下2000字感想文。

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『JR上野駅公園口』柳美里著を読んで
2021年1月23日
竹森紘臣

 本書は平成天皇と同じ昭和8年に南相馬旧八沢村(現在鹿島町)生まれの主人公によって語られる物語である。著者は在日韓国人の柳美里で、2014年に出版された。冒頭「また、あの音が聞こえる。」からはじまる主人公の語りは浮遊感があり、声を出してもおそらく地上の人にはその声は届かないような距離感を感じる。読んでいる途中で主人公が亡くなってから、自身の人生を回顧しているということがわかる。主人公は「カズ」と呼ばれているが、はっきりとした名前は不明のままだ。名前は不明だが、彼の人生と郷里と上野公園のことは鮮明に語られる。

 主人公は国民学校を出てすぐに出稼ぎで仕事をはじめる。はじめは小名浜漁港で住み込みで働いた。小名浜のホッキ貝を4、5年で採り尽くしてしまうと、次は北海道で昆布を採った。昭和38年には翌年に控えた東京オリンピックの会場整備のため、東京に土木工事の出稼ぎにでる。妻の節子とは、彼女が21歳のときに結婚し、洋子と浩一の2人の子供をもうける。主人公はその後も出稼ぎの生活が続き、家族と過ごす時間はほとんどなかった。
 息子の浩一は令和天皇と同じ昭和35年2月23日に生まれた。娘洋子はその二歳上だ。浩一はレントゲン技師の専門学校に通うため上京し国家試験にも合格するが、21歳になったばかりのときに突然亡くなってしまう。大家に発見された浩一は布団の中で亡くなっていて、検死の結果は「病死及び自然死」であった。さらにやっと夫婦で一緒に暮らしはじめて7年が過ぎた頃、妻の節子も65歳で突然亡くなってしまう。息子の浩一と同様、布団の中で冷たくなった妻を朝起きて発見した。そのときに主人公の母親が言った「おめえはつくづく運がねえどなあ」という言葉が突き刺さる。短いがそれ以外に言葉がないように思える。その後、孫の麻里と同居するが程なく上京し上野公園でホームレスになる。「死に場所を探して上野公園で何日か過ごすうちにくたびれ果てて、五年間もここに居ついてしまった」。JR上野駅で電車に飛び込んだ後、物語の最後で主人公の魂は故郷に戻る。震災の津波で引き波に持って行かれ、孫の麻里と2匹の犬を乗せた車が海中に沈むのを見守る。亡くなっているのに、右田浜を歩いているのに、立ち入ってはいけない場所に入り込んでしまったと語る彼は魂になっても戻るべき故郷がないようで痛ましい。

 人間にはいつも不条理なことが起こる。それでもそれを癒して前に進まなければならない。でも傷を癒すはずの故郷の福島や最後に行き着いた上野公園すら安住の地ではない。「警戒区域」に指定された故郷には立ち入ることはできず、上野公園からは「山狩り」=「特別清掃」によって締め出される。ここに本当の絶望を感る。柳美里は「在日」として迫害され、居場所を失う自分自身を重ねているのだろう。

 主人公の人生やこのふたつの居場所に交差するのが天皇の存在だ。昭和22年、お召列車で故郷の原ノ町駅に7分間下車した天皇のために二万五千人が集まる 「天皇陛下、万歳!」と一面に万歳の波が湧き起こった。昭和35年生まれの息子の誕生日は当時の皇太子と同じ日だ。昭和39年、出稼ぎで建設に関わっていたオリンピック東京大会の開会が天皇によって宣言された。そして死の直前、「山狩り」の最中に車で通る天皇皇后両陛下と遭遇する。自分と同じ歳の天皇を見て「罪にも恥にも無縁な唇で微笑まれている」と思う。同じ年に生まれた2人の人間の人生のあり方を執拗に対比させる。ホームレス仲間のシゲちゃんには上野恩賜公園と天皇の関係を語らせる。上野公園は関東大震災のときに下賜されたものというエピソードは、この公園さえも天皇のものだと迫ってくる。なぜ同じ時代に生きた人間なのに、こんなにも違う世界を生きなければならないのかと語りかけてくる。

 さて、この本は全米図書賞を受賞した。なぜ日本の歴史や上野駅周辺の様子をよく知らないであろうアメリカ人にまで評価されるのだろうか。主人公に起こる不条理が、誰にでも当てはまり共感を呼ぶのかとも思うが、不条理の後に居場所がなくなっていくことこそ共感されるのではないか。
 オリンピックという都市の祝祭は同時に都市の狂乱であり、それに巻き込まれ故郷を離れて都市に尽くしても、狂乱が終わればそこに居場所はない。故郷に戻っても東日本大震災で起きた原発事故によって故郷をも喪失する。日本に行っているベトナム人実習生たちも共感できるかもしれない。東京オリンピックの狂乱で日本に渡ったものの、コロナによって居場所がなくなっている。そして彼らの故郷の街は、故郷のベトナムは大丈夫だろうか。僕の故郷はどうだろうか。なかなか帰国ができない現在の状況だからこそ、あらためて居場所について深く考えさせられる。答えは簡単には出ないが、自分の居場所、居るべき場所なのか、居たい場所なのかをよく考えなければいけない。
以上

Work lounge 03-Vietnam 代表取締役 ベトナム、ハノイ在住。ベトナムをはじめとする東南アジアと日本で​建築設計、マスタープランをしています​。 http://www.03-x.vn/