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「女」ブーム

さいきん私に「女」ブームが来ている。
きっかけは「表現未満、Webマガジン」に掲載された、作家の川内有緒さんが書いたエッセイ、「その名を呼びながら~クリエイティブサポートレッツの断片集~」である。
これは、たけし文化センターに滞在した川内さんのたけぶん体験記なのだが、筆の力ってこんなに確かに存在するんだ!と心底びっくりした。出会って見聞きしたことと時間と記憶と自分の奥底の大事なところを絹糸でつなげて織り上げる感じというか。ああもう、私には書く力がないのがもどかしい。全然うまく伝えられない。


 ともかく、どういうわけかその文章を読んだとき、私は「女ってすごいな!」と思ってしまった。もちろんそれは川内さん個人の文章なのであって、別に「女」って思うにはちょっと飛躍があると思うのだけど、たぶん、それまでの「表現未満、webマガジン」で展開されていた、小松理虔さんの文体と真反対だったからだと思う。いわき市の小松理虔さんのたけぶん滞在記「小松理虔さん、表現未満の旅」は、読み手を思考の奥底にグイグイ引っ張っていくものすごくパワフルな文章で、私はいつもその力強さに感嘆していた。たぶんその力強さと、川内さんのしなやかさがあまりにも鮮明に違ったから「男らしさ」と「女らしさ」を感じてしまったのではないかと思う。
 それからというもの、女のひとの表現が気になってしかたなくなってしまっている。


 たとえばちょっと前にたけぶんのイベントで聴いたNoBlueさんの歌。周りがざわざわしているところから、ふわっと雲のように立ち上って、歌詞と歌声が周りの音とシンクロして、消える。消えたあとにも、「そこにいた」という実感だけが残るような感じがした。その時はよくわからなかったけど、後々まで私の中で静かな余韻が残っている。
 それから『急に具合が悪くなる』の哲学者の宮野真生子さんと人類学者の磯野真穂さんの往復書簡。がんで急に具合が悪くなる「かもしれない」身体を社会や医療にゆだねるのではなく、自分が感じたことや思ったことを、過去の哲学者や研究者たちの力を借りて、ふたりで深堀りしながら手さぐりで進んでいく。それも、往復書簡の行間にただよう、彼女たちのふだんのLINEトークやおしゃべりこそが本のすごみを下支えしていることに鳥肌がたつ。今年いちばん影響を受けた本だ。
 そして「たけぶん滞在記」を書いてくれたとも子さんも。一見かわいいおねえさんなのに、短い時間ですごく多くのことを確実にわかっていて、シェアハウスでの暮らしもとっても軽々と楽しんでいった。それなのに重くなくたくさんのことを考えていて、そして、記していった。すっごいなー。

 いろいろと羅列してみると、「女」というくくりで自分を揺るがしているものが何なのかなんとなくわかってきた。
 筋道を立てすぎないことで、そのほかに発生している多くの雰囲気的なものを尊重する態度。自分の感覚を信じることによる、社会の枠組みに左右されない強さ。それらすべてをまるっと表現する力。そこに、ただただ感覚にたゆたってるだけの私とは違う、一段上がって表現したすごみがあるのだと思う。

 ところで、たけしと生活研究会のスタッフリレーエッセイなのに、なぜ私は「女ブーム」について長々と語っているのかというと、実はたけかつに去年からもやもやしていたからだ。

 もやもやの理由は、たけかつでは、考えなければいけないことと、コトが起こることが、同時進行で降りかかってきて、うまく頭の中で処理できないいことが原因だと思う。
 たけかつでは、考えたいことが噴出する。自分から意思表示をしない人の意思はどのように判断されるべきなのかということ。人は多くの人に囲まれて過ごすべきなのかということ。たけしさんの実現したい生活ってどんなものなのかということ。そして「重度知的障害者のたけしさんの暮らし」が「重度知的障害者の暮らし」にすり替わってしまいがちなこと。そもそも「重度」って相対的なものではないのだろうかということ——。しかし、考えているうちに、たけしさんが熱を出したり、ほかのシェアメイトとの間でトラブルが発生したりして、そちらに対処しているうちに、結局もともと考えたかったことがうやむやになってしまう。もやもや。。


 それが、「女」ブームの到来によって、少し光がさしてきたのだ。どうしたらいいのかは、まだ全然わからないけれど、川内さんやNoblueさんや宮野さんや磯野さんやとも子さんのシゴトをみて「もやは晴れる」ということは、わかった。少なくとも、いま、私は「重度知的障害者の暮らし」という筋道から、いったんはずれたい気持ちになっている。そして、たけしさんたちとヘルパーさん(もとい、Xさんという個人)、親たち(もとい、Xさんという個人)、出会ったひとたちの、実感や経験をともなったことば(たとえばスタッフエッセイに書かれていたササキさんのウンチの話のような)の集積から、なにか新しい表現方法が、見たことない世界を見せてくれる気がしてきている。近くまで来ているのに、まだ手はとどかない。まだヒントが必要なのかもしれない。

スタッフ 夏目はるな


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