芥川賞受賞作品「推し、燃ゆ」 感想編

日記に「推し、燃ゆ」読了の事を書いたら、もっと詳しく感想を書いて欲しいという要望があったので、改めて作品について考えてみた。

僕は東浩紀の文章に釣られて買った文藝春秋にたまたま掲載されていたので読んでみた。まずはとても読みやすく、表現の美しさ、文章の巧みさに感銘を受け、創作を嗜む者としてはレベルの差に気づいて愕然とした。ということまでは日記にも書いた。ここでは内容について書く。

若干ストーリーに触れる部分があるためネタバレを嫌がる方はここで引き返して頂ければと思う。


誰にも理解されないけど絶対に離せない依存があって、でもそれは突然目の前から消えて無くなる事がある。推しが暴力事件を起こして芸能界を引退していく。これは神殺しの話である。神を失った主人公あかりは実生活でも希望が見いだせない。

推しは背骨だと言う。依存ではないと言う。しかし周りから見ると依存のそれである。

あかりは学校も辞め家庭でも居場所を失う。自分の唯一だった背骨としての推しのラストライブ、命をかけるように燃える。いや燃やす。それはまさに火葬のように。推しを最後まで燃やすように。その背骨を最後に白日にするために。自分自信を燃料に燃やす。

先のことは絶望的なのに、今出来ることを精一杯やる。ダメな自分との決別かどうかはわからない。希望のないラストはまだ見ぬ希望に繋がるのか、それとも…?というバッドエンド的な余韻の中で終わる。それでも人生は続いていく。きっとあかりは生きていく。余韻からはそんな事が想起された。

僕はもう歳をとっているので10代の挫折の先にも人生が続いていくことは分かっている。だから結末の先にある希望もわかるのかもしれない。

ところで僕にとっての神とは何か。音楽や小説など広い意味での「創作」が神ではないかと思った。もしかしたら「神」の捉え方は間違ってるかもしれない。僕が信奉するのは僕が感じで形を作った偶像に宿した魂であり、それを神とするなら創作自体が神ととりあえず解釈する。ではその神を今奪われたら。その地点に立ち返るとき、あかりの先の見えない苦悩が改めて胸に響く。

折しもコロナ禍で芸術を仕事にしている人たちの多くが、自分が信じてきたもの、生活の基盤にしてきた事が自分を助けてくれない局面にある。芸術だけではない。飲食店もエンターテインメントも、自分が信じたものを推して来た先にそれを奪われていく経験をしている。

僕達はそれでもその先にはきっと何か良いことがあることを知っているはずだ。人生とはそういうものだ。僕はこの小説の結末の先にあるものを読んだ。いや、そうやって読むからこれは希望の書になりうるのだ。

「推し、燃ゆ」一回目の読書の感想はそんな感じ。
細かいところで光る表現がたくさんあった。宇佐見りんの他の作品もぜひ読んでみたい。

以降は有料マガジン読者限定になるが、感想は続く。

そもそも僕はやっとこさ小説を素のまま読めるようになってきたばかり。読書は素人。その楽しみに到達するには40代というのはどう考えても早くはない。そういう所も実はとてつもなく恥ずかしいと思っている。小説部の仲間と話している時も、明らかに読んでいる量も、書いている質も違い過ぎて打ちのめされている。なんでもっと早くこの素養を得られなかったのか後悔もしている。でもそれに一切気づかずに死んでいったかもしれない人生を思えば、この歳でも気づけたことは幸運だったと言えるだろう。

推し、燃ゆの主人公もあとでわかるのだ。
人間は遡行的に過去に意味をつける。生きていれば過去のツラい思い出も意味があったと言える。生きていれば。

この作品は最初バッドエンドと読んだ。詳しく感想をと要望を貰って改めて考えたから、これに福音を見出した。

社会は大きくなると構成員に要求を始める。こう生きろとモデルを示す。それに合わない人間は生きづらい。でも社会の鋳型に合わせてなんて人は生きていない。違う形なのに無理やり型に押し込んで身体を痛めながら社会人を演じている人の方が多いはずだ。そこから抜け落ちてしまった人も生きてゆく。それは奇麗事としての「多様性」なんかでカバー出来ない。

そんな残酷な世界に僕達は生まれ、そして生きている。そんなのは分かっているし、だから見たくない。でも小説は時にその残酷性を示し、「お前の中にもこういうのあるだろう」「わかっているだろ」と問いかける。

文学というのは読者の為にある。読者のいない小説なんて無意味だ。推し、燃ゆと僕とが関係を結んだ時に生まれた共感にこそ価値がある。普段なら特に興味を示さなかったかもしれない芥川賞に繋がったのは、東浩紀を読みたいというところからで、総合誌の誤配性を証明するものだと言える。

そして僕の読書は次のステージに進み、願わくばそれが自分の創作に、そして生き方にトレースしていくよう頑張りたい。

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