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【小説】昭和、渋谷で、恋をしたり 1-6

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▼ あんな風に笑うんだ

 プラネタリウムがあったビルから渋谷駅へは連絡橋が架かっていたので、そこを渡ってホームを目指していた帰り道でのことだ。普段はバイト先には自転車で行っていたが、雨が降ったため仕方なく電車で向かった日に、頭を悩ます光景に出くわした。


 渋谷駅のバスターミナルを渡り、東横線の改札に差し掛かることだった。15メートルほど先に夏奈恵が歩いているのに気づいたのだ。「さようなら」くらい言えればと思ったし、少しでも一緒に帰れないだろうかと期待もした。

 そうして彼女の背中を追って早歩きになった途端、彼女はまるで逃げるように小走りになって、スーツを着た男性の前で止まったのだ。
 待ち合わせをしていたのなら仕方ないと思いながらその男性の顔を見ると、180センチくらいはあったろうか、夏奈恵より背は高く、博識そうで歳は50代くらいに映った。そして2人は並んで歩き出し、結局、夏奈恵は私に気付くことなく階段を降りていった。

 「あんな風に笑うんだ」

 夏奈恵の表情は、柔らかく、プラネタリウムでは封印された、父親の前だからこそ溢れ出る心を許した笑顔だった。家族だから当然だと思ったし、その空間を邪魔してはいけないと思った。
 その笑顔の先、その場所に行ってみたい。見送りながらそう思っていた。

   

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▼ 口当たりの悪い妄想

 「おつかれ。あ、君か? 東大生のアルバイトっていうのは?」

 客席の掃除をしていたとき、遠くから聞き慣れない声が聞こえて振り返ると、品の良さそうなスーツに身を包んだ男性が客席中央の投影機に向かって歩きながら「解説員の佐藤です。よろしく」と気さくに付け加えた。


 スマートで背が高く、着こなしが決まっていた。大人の余裕というのか、高ぶる様子がなく一瞬にして「いい人だ」と思わせるオーラがあった。声の張りに若さと親しみを感じられた。

 数日前、以前に解説員を勤めていたどっかの大学教授が解説員として復帰するという話しを聞いていたので、私もすぐに名乗って頭を下げた。
 そして投影機の後ろの解説台に登り、照明が当たった佐藤さんの顔を改めて見たとき、私の口は塞がらなくなった。

 渋谷駅で声をかけ損ねた、笑った夏奈恵と一緒にいた「父親」と思いこんでいた男がそこに立っていたのだ。
 夏奈恵の苗字は望月だ。佐藤、じゃない。知ってはいけないことを知ってしまったような口当たりの悪さを伴った。



1-7へつづく
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