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現実はそう甘くないから、        ハッピーエンドが嫌いだ。


「いつかはきっと遊べるようになるから、きっとお前ん家行くからさ」
「宣言が明けたら、絶対に飲みに行こうな」
「今の時期頑張ってお金貯めてさ、台湾なんか行ってみようぜ」

笑顔のスタンプと添えて、何度そう締めくくったことか。

「”いつか”は来ないから”いつか”なんだ」って変な声した人も言ってたし。

未来に期待するの、俺もう疲れちゃったよ。



***



昨年の二月、コロナ真っただ中でアメフト部の主将に就任したんだけどさ。

主将になるにあたって、チェスター・バーナードの『組織論』といったガチガチの書籍から、『伝え方が9割』といったビジネス書、小説の『もしドラ』までカバーした。実際に役に立ったかどうかは否めないが、やる気だけは十二分にあったことが分かる。

今年の春から行こうとしてたコンサルティングの会社も、就活サイトで「モチベーションを軸に組織を変革する」と謳っていたので、何か部活の参考になればいいな~、と思ったから応募した。

三月になるころには、さすがに俺たちの間でも、これは一過性のウイルスではないという認識が徐々に浸透しだした。宣言も発令され、学校からは新歓も練習も制限された。対面で出来ないからしょうがないね、ともいかず、まず初めに「zoom」とは何かを調べるところから始まった。とんだ出鼻をくじかれたもんだ。

全ては有終の美を飾るため。歴代の諸先輩方のように、リーグ昇格を目標に、秋のシーズンを勝ち抜き、12月に行われる昇格戦に挑もうと思っていた。

しかし、増加していく感染者数、月日が経てども一向に改善しない状況に、少しずつ少しずつ心が削り取られていった。「元気出していこうぜ」と口にする言葉も、チームに向かって言ってるのか、自分に対して言ってるのか分からなくなった。

夏が来た。ずっとつきっぱなしのテレビでは、アクリル板越しに漫才をする姿を映している。バラエティも試行錯誤してるんだな。乾いた笑いが出た。

数か月後には試合が始まるというのに、いまだ二転三転する情報。僕たちは諦念を覚えた。多くは望まなかった。最後に、四年間頑張ってきた同期のために、引退試合を、晴れ舞台を用意してほしい。グラウンドで散りたい、願いはそれだけだった。

結果どうなったかは以前書いた通り。

まさか、グラウンド整備が俺たちの最後の仕事だなんて。入部した時には思ってもみなかったな。


入部した時は70㎏そこらだった。俺より身体が二回りくらい大きな上級生の存在に怯え、何度も何度も辞めようかと考えた。

でも常に畏怖の対象だった先輩たちが、急に近くなる瞬間がある。それが最終戦が終わった後だった。

試合の高揚冷めやらぬ雰囲気の中、責務を果たした安堵の表情から、感慨や引退の寂しさ入り混じるどこかアンニュイな表情をしている先輩。今までの怒っていたのはまるで演技だという風に、柔らかく笑っている姿も、どことなく儚げな空気感を感じさせた。

図らずしも最終戦になってしまったため、感慨もクソもない。ボロボロの姿でトンボを引いている自分に、後輩は何を感じただろうか。


部室に戻る。部室の片隅のロッカーには、歴代のシーズンの記録が丁寧にまとめられている。僕たちが生まれる前の、アメフト部創設期の試合の結果や練習試合の結果もある。暇なときにファイルをめくり、数字の中に歴代フットボーラーの姿をみていた。

時たま練習に来るOBやOGも、練習後に部室でクリアファイルを見ながら当時を懐かしんでいた。「当時はなあ」と何度も話を聞かされた。

棚の中に並ぶ色とりどりのクリアファイルは、どの年もずっしりとした厚みがある。僕たちの代のファイルはどこにもなかった。

予備で買ってある新品のクリアファイルを引き出し、その表紙に「2020年 シーズン」と書き込んだ。

全く厚みのないそのファイルは、するりと棚に中に入っていった。


***


引退して暇を持て余すようになり、映画を見ることが多くなっていた。映画を見るのは割と好きで、以前まではジャンルにこだわらず色々手に取っていた。

しかし、大学の四年間を費やしたアメフトが、どう考えても良い終わり方ではなく、「人生ってうまくいかないな」と日々憂鬱な気持ちでいたせいか、気が付いたらハッピーエンドを受け付けなくなっていた。


ネットフリックスやディズニープラスなどの動画配信サービスの会員数が爆増したのは、家庭で暇な時間を映画でも見て過ごそうという巣ごもり需要が大きな要因として知られている。

でももう一つの理由として、未曽有のパンデミックに直撃し、以前の日常は蜃気楼のように消えてしまった。日々のニュースは生活に暗い影を落とす。人々は、まるでB級映画のような世界に移り変わっていく様に耐え切れず、創造の世界に当たり前の日常の美しさを、その登場人物が生き生きと動き回る姿に理想の姿を重ねている、だから映画を見るようになったんじゃないかな、とも思う。


でも僕はハッピーエンドを受け付けなくなっていたし、それは、フィクションの中でも特に現実を舞台にしたものを、フィクションそのものとして楽しめなくもなったことも意味していた。

画面の中でマスクをしている人物がいれば、現実とリンクして少し嫌な気持ちになるし、逆にハグやらキスやら抱きついたりなどの、ありとあらゆるコミュニケーションをしていると、もう今は気軽に出来ないんだな、と悲しい気持ちになった。

コロナの世界を映せば満足、というわけではない。学生の青春を描くことで有名な大塚製薬のCMのように、「登場人物がマスクしていないから」という理由で、現実に即してないものは全て虚構だ、と言うつもりは毛頭ない。現実に即す必要なんかないし、フィクション・ノンフィクションのくくりに収まる必要もない。本来の意味で「自由」であることが、創作物の素晴らしいところだと思う。

しかし、受け手は全てをまっさらな状態で受け取ることができない。思想や文化や環境、背景に影響を常に受けている。イスラム教の人は『豚がいた教室』を理解できないだろうし、ヴィーガンの人に見せたら虐待だというだろう。あくまでこれは一例で、誰もがステレオタイプを持っていて当たり前なのだ。そして今、まさに「コロナ」に自由を奪われているという環境に、僕は負けたのだ。



テレビでは、過去の名作アニメを特集している。


「長野の田舎で世界を救うとか、ないだろ」

そう言って画面を消す。


***


おばあちゃん家に寄った帰りに、何気なく映画館の前を通った。

ラインナップを流し見すると、アニメ映画で何本も賞をとってきた監督の最新作がやっているらしい。

「それ、絶対に見たほうがいいですよ」と劇場のスタッフに声をかけられ、なんとなく見る雰囲気が出来てしまった。私大号泣しましたと興奮気味に話す彼女に対し、「僕ハッピーエンドとか嫌いなんで」と言えるわけもなく、半ば強引にチケットを買ってしまった。


細田作品ならではの賛否の分かれ方、言っちゃえば拒否反応を示す人はなんか激烈なんですよね。「俺は認めない!許せん!」ぐらいな人がいるのはなぜか。ボクの仮説はこれです。細田さんの作品の根底にぶっとく流れているもの、つまり健全性と言っていいのかな。言い換えれば世界への肯定感。細田さんは公共のためになる作品を作るのが自分のモットーであることを公言されてる。

ネットで拾った意見。かなり的を射てるなと感じた。

この監督の作品でありがちな構成は、「起承」までは不穏な空気感を徐々に徐々に流していたのに、「転」くらいで一筋の光が差し込み、「結」では希望を示して幕が下りる。金曜ロードショーで幾度となく見た光景だ。


想像通り、めちゃめちゃにハッピーエンドだった。


こんな展開ご都合主義だろ、そんな簡単に問題は解決しねえよ。コロナがない世界を描くなよ、そう簡単にハグなんかすんなよ。できるわけねえだろ。目頭が熱くなりながら、心の中で悪態をつきまくった。

徐々に、徐々に、希望に向かって進みだしていく主人公たちに感情移入し、スクリーンに自身を投影すればするほど、このどう考えてもクソみたいな現実や社会を受け入れるのが辛くなってくる。


現実はそう甘くねえんだよ。去年、いつか、いつかアメフトができることを信じて、何度も何度もくじけそうになりながら、自らを鼓舞しながら練習した。結果はあのざまだ。期待しても意味ねえよ。期待するだけ無駄なんだよ。ハッピーエンドなんて、リアルでは起こるわけがねえんだよ。



でも、なぜかボロボロと涙があふれて止まらなかった。



人生というものは素晴らしくもなんともなくて、社会には目を覆いたくなるような事実に溢れているし、現実は甘くないんだということを、去年一年間で何度も何度も何度も痛感した。


それでも、このコロナ禍というクソみたいな状況で、二時間とそこらのアニメーションという虚構に、何千人もが、音楽、映像、持てる技術の全てを使って希望を込めて描いているのだとしたら、「世界はきっと良くなる」というクソみたいにストレートな願いを込めているのだとしたら、それでも前を向いて生きていこうというメッセージが、しかと胸に届いてしまった。



絶望の中でも希望を見出さんとする人たちがこの世界にいるという事実だけで、この世界は途端に素晴らしいものになると勘違いしてしまう。

人生というものは素晴らしくもなんともなくて、社会には目を覆いたくなるような事実に溢れているのだけれど、でも、それでも、生きたいと願い、幸せを見出そうとする力を、人間は有しているのだと信じてしまう。



ハッピーエンドは嫌いだ。現実はそう甘くないから。

ハッピーエンドは嫌いだ。たとえ甘くない現実だとしても、それでも前を向こうと、バカみたいにストレートに伝えてくるから。


そして、それが響いてしまう単純さも、嫌いだ。


***


映画終了後、涙でぐしゃぐしゃになりながら、頑張ろう、と心の中で呟いた。



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