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日本人向け、に慣れてしまった日本人の未来


初めて社会生活を送った仕事場は、世界を股に掛ける日本有数の設計事務所だった。スタッフには日本人スタッフと海外からのスタッフが半々くらい在籍し、常に日本語と英語、さらにはフランス語が飛び交う職場だった。

大学院を卒業する前、就職希望のために作品集を送った僕に突然経営者から「5日後から働いて欲しい」と電話があり、なんの伝もなく、家もちゃんと決まっていない状態で神戸から東京に移り住んだ。マンスリーマンションを転々とし、孤独な時間だったと今なら冷静に思える。


当時の精神状態は異常で、設計仕事を1人で3物件持ったら精神的におかしくなると言われる世界で、7物件を新人でこなし、先輩方からも重宝されていた。辞める時も、優秀な先輩スタッフたちから「代表に辞めないように話をする!」とか「辞めることを許すなんて代表は見る目がない!」とか熱い熱いお言葉をいただけたことが、今の僕の勇気になっていることは間違いない。


僕にとってこの世界的な設計事務所での記憶は苦しいものばかりだ。月に2日くらいしか休んだ記憶がなく、朝11時から終電のない僕は朝11時まで働いて、また次の日の仕事を迎えたことすらある。先輩方も有能な人たちだらけで、怒号を浴びせられたこともあった。

でも唯一ひとつだけ、これは20代前半で感じ取れたことが本当に価値になったと思ったことがある。それは

日本人クライアントと海外のクライアントの圧倒的な違い

だった。

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