子育ては自然やアート
昨日、自分で書いた記事に良い意味でも悪い意味でも心が引っ張られている...。
少しでも誰かの参考になればと思い書いてみたけれど、やはり細いニュアンスを伝えることの難しさがあるし、それぞれの家庭の親子が長い時間をかけて構築してきた独自の信頼関係の中で、親が子どもに伝えられることだってある。
こうすれば100%おもちゃの片付けができるや野菜が食べられるなんて指南書はないと思う。
もしあったとしても子どもがロボットのようになり、単純に素晴らしいことでもないと考える。
僕の子どもは野菜も食べるし、お片づけもする。でもここまでくるのに本当に苦しんだ日々があった。
でも、もしかすると明日急に野菜を食べなくなることだって、急に朝ごはんを食べなくなることもあると思う。急におもちゃを投げるようになることだって、人を叩くこともあると思う。
僕は子どもや子育ては自然やアートと同じだと考えてきた。
日々刻々と変化するし、人によっては子育て方法の感じ方も変わる。
今は晴れていても急なゲリラ豪雨があったり、巨大地震だってある。
反対に本当に心地の良い風が吹いてきたり、涙が出るくらいの美しい風景だってある。
子育ても同じだと思う。
完璧に育っていると思っても、大病になる可能性だってあるし、事故にあうこともあるだろう。
勉強ができないと思っていた子が運動で世界を変えることだってあるし、人の痛みが分かる本当に優しい大人になることだってあるだろう。
その時、自分の育て方哲学が180度ひっくり返ってしまうかもしれない。
子育てに正解はない、と思う。
これから子育ては大変な時期に入ってくると思う。ビックデータによって、ある程度の子育ての「正しさ」が発見されるかもしれないし、プログラミングが小学校の授業として取り入れられる。
お受験だって変わるはず。
親も「良い大学」「健康第一」「人間性」など既存のレールで子育てができなくなる。
個人的にここには正常性バイアスがかからないようにしておきたい。
だからこそ、自然やアートのようなつかみどころのない、変化することに柔軟に対応できるような子育てを重要視しておきたいと思う。
父 竹鼻良文
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