留学生やワーホリにも直撃している国際社会 2
国際情勢の表層しか見ない日本人
いまの日本の留学生やワーホリで来る人たちを見ていると、海外の修学と英語教育だけを見て視野を狭くして、世界がどのように動いているかを見ていません。すでに国際社会は、大きなうねりの中に突入して、経済・政治を見ないと一寸先が見えない時代に入りました。
敗戦後の日本人は、国家観や民族観という価値観を否定した教育をしてきたことで、国際社会を画一的にしかみることしかしません。それによって、世界は桃源郷の様な世の中で、誰もが性善説に基づいたハッピーピープルとして見ています。そのいい例が、国連です。日本国内では、善意ある組織で世界平和を維持する機関だと信じていますが、侵略と殺戮を見て見ぬ振りをして、常任理事国自ら他国に侵攻と殺戮をする組織になっています。
世界秩序は壊れ民族の生存競争がスタートして、自国をどのように維持するかが各国の争点になっています。今回のカナダの国政を見ても、単純に「留学生が35%カットされた」と見れば、カナダ政府が決めたことだからしょうがない。という短絡的に捉えれば、それで終わりです。しかし、経済というフィルターを通すと、まったく違う次元で見ることができます。日本にいると教育機関は、性善説であると信じていますが、カナダはビジネスであり国益第一の冷淡な仕組みに成っています。
今回の留学生の削減は、現在留学している学生の人生に大きな影響を与えています。語学学校で勉強していた人が、大学やカレッジの合格点に達したにも関わらず、この法律改訂によって学生ビザが取れないで待機している事態になっています。その人たちは、やっと大学にテストでパスをしたにも関わらず、留学ビザ発給されず自国で待機をする状況になっています。最悪のケースは、ビザが発給されず正規の留学が出来ないで終わる可能性も出てきています。
さらに、海外で仕事を前提にして留学を考えている人にも影響が出ていて、就労ビザがいままでのような条件では出なくなっています。その就労ビザも大きな法律改訂があり、いままで2~3年間のビザが出ていましたが、この9月下旬から就労ビザは1年しか出ない法に変わりました。(カナダ政府は失業者が高い都市圏<失業者6%の場所>では、ワークビザを出さない方向で動いています)それにプラスして、専門学校や大学を卒業したときのCo-poビザの発券もどうするか検討に入りました。(Co-poビザとは:学校を卒業すると何年か働ける特別な就労ビザ。)
今回、法律が変わったことで日系社会に大きな激震が走っています。長期滞在したい人は、ワーホリや学生の期間が終わったときに、就労ビザに切り替えて滞在します。それが、1年限りのビザになれば延長をするかどうか躊躇し人生の選択の岐路に立たされています。そこには、申請料の問題があります。いま、就労ビザの申請料$3500前後がかかり、個人か会社が負担しています。もし、1年しか発券されなければ、個人負担で働いている人は残らないで帰るでしょう。さらに、大都市圏ではワークビザを出さない方向に国が動いているので、日本人が就労ビザで働くことは厳しくなるでしょう。それだけ失業が深刻化していて、現地の人(移民やカナダ人)を雇用しろという姿勢を政府は明確にしました。
多くの日系企業は、ワークビザで働いている人が中心になり会社を回しています。店長やマネージャーとして、何年も就労ビザで働いている彼らが帰国することになれば、中心で働く人がいなくなり人材の空洞化になります。そうなると経営が厳しくなり、倒産するところが出てくるでしょう。新しい人材を育てるにしても、長期で働くことが出来ないのであれば、店長やマネージャーを育てることは出来ません。この法律が通ったことで、多くの日系企業は1年先が見えない状況になっています。
いまワークビザで働いている人も、人生の岐路に立たされています。多くの人は移民ビザを目的として、移民の条件を満たすためにポイントをかせいでいます。しかし、近年は移民法が厳しくなり何年もワークビザで働いても取れない人が増えています。人によっては、2~5回ワークビザの更新で働いても取ることが出来ないでいます。かつては、技術を持っていれば移民は簡単に取れ、就労ビザを2~3回も更新をする人はほとんどいませんでした。いまの移民法は、高学歴と英語のテストのハイスコアが求められて、料理人や理髪師では移民が取れにくくなっています。過去の事例では参考にならず、多くの日本人が断念して帰っています。国の体制が変わると、日系の労働体制や慣習が壊れて、一瞬で変わる怖さを目の当りにしているのが日本人の経営者です。
なぜ、政治・経済から世の中を見るのか? 今回の日系社会を見てもわかるように、国は庶民生活の大きな枠を作り、少しでもゴールポストが移れば生活が変わってしまいます。「留学生の削減」から、「カナダの国政」と「自分たちの生活の影響は何か。」この想像する力を養っていかないと、海外で生活をすることは出来ません。これからの日本人は、多面で捉え未来を予測する力を付けないと1年先は見えません。
「平時から有事」と「民族の本音と建前」
そろそろ日本人は、いままでの平時のときの状況で世界を見ない方がいいです。カナダもコロナ以降は、一変して有事に近い状況になってきています。表面的には、平穏を装っていますが留学システムや移民プログラムや就労ビザを見ても、いままで見たことのない厳しい基準にして外国人を排斥しています。
最近、ワーホリで動画をあげている人たちの多くは、仕事がないとか物価高で生活が厳しいとか言っていますが、その状況は変わりません。これから、5~8年は不安定な社会は続くでしょう。ワーホリで来ても仕事はなく、語学学校に行ってもさほどの英語の能力も上がらず、お金と時間を無駄にするだけです。
北米社会は、今回のアメリカの大統領選で誰が成るかで、経済や社会は大きく変わります。カナダは、アメリカに依存した経済になっているので、アメリカが不安定になればカナダも引きずられます。今回、アメリカはFRBの利下げをして、インフレ抑制と住宅金利の引き下げに繋がるとしていますが、いまの北米の状況を見ると利下げをしても、通常の社会には戻らないでしょう。今回の利下げは、さらにお金を持つ人と持たない人の格差が広がり、アメリカ社会の崩壊は止まらないでしょう。今回、トランプ氏が大統領になったとしても崩壊する加速が落ちるだけで、「滅び逝く国家」であることには変わりません。
いま海外に出たい人は、個人の能力や人間力がいままで以上に問われと思います。異文化の中で自分は何をしたいのかを、明確にした行為や目標を持たないと、何も出来ないで終わってしまいます。「強い意志」と「ゆるぎない目標」を持って海外に出ていかないと、異文化の中で生活をすることは難しいです。
海外で生活をするということは、差別と理不尽なことに必ず出会います。そのときに、屈辱感と挫折を繰り返し諦めないで続ける精神を持てるかです。自問自答しながら前に進める力が、個人の生命力になり他民族の中で共存する力になっていきます。海外に行きたい10~30代は、いままでの淡い海外生活が出来ることを前提にしない方がいいです。これからさらに、民族のブロックかが進み、冷淡で人種差別が表面化していく時代になっていきます。多民族国家は、文化や言語が同じ民族でまとまり同胞を守る体制を作っていきます。いま日本人が想い描いている、「みんな仲良く。誰とでも友達。」という桃源郷のような、画一的な万物平等の時代は終わりつつあります。移民大国カナダに住んでいて思うことは、民族生存競争に向かって同胞同士(同じ民族)で繋がり民族のブロック化をしています。そこには、民族間の「建前と本音」が交錯して、日本人の常識では理解できない民族の考えがあります。そして、他民族が立ち入ることの出来ない空間があります。異文化の中で生きるということは、日本の非常識を見ることであり、その中で自分のアイデンティティと民族の価値観をぶつかりながら、どこに接点を持って他民族と共存していくかです。
これまでは、世の中が平和だったので言論空間で他民族との共存が安易に出来ました。しかし、これからは個人が何の能力を持って、異文化の人に説得できるのかが中心になります。
それが仕事・文化・芸術かで、相手の心を揺さぶるモノを持たないと、説得することはできません。そのときに、圧倒的に彼らを納得させられるモノを持っているかで勝負が決まります。日本人は、他民族と比べて匠の仕事が出来る特性(性格)を持っています。そこには、異文化の人たちには理解できない世界であり、個人が神がかりな業をして言語空間を超える世界観をもっています。(野球、宮大工、刀鍛冶、料理人、農家などの技術)敗戦後の日本は、サラリーマン・システムに慣らされて、8時間会社にいたらお金がもらえる世界が成人社会だと信じています。その時代は終わったと思います。これからは、個人レベルで異文化の人を説得でき、自分の世界に周りを引きずり込めるかが、生きていくすでになると見ています。
国際人になるということは、英語がしゃべれて外国の企業に入ることが国際人ではありません。異文化の人たちと、ときにはぶつかってお互いの妥協点を一致させ、個人レベルの精神と精神の衝突がどこまで出来るかです。この難しいコミュニケーションを持つことが、次の世代の課題だと思っています。
いまの日本人は、自分の意見を押しとどめて妥協をして争いごとを避けることを良しとします。それは、海外では通用しません。いまの日本の政治を見ていても、中国やロシアが領空侵犯しても、はっきりと自分たちの強い意志を伝えません。この姿勢は、民族生存競争において常に白旗を振っていることであり、「日本民族はいつでも消滅してもいい」と言っているのと同じです。個人も国家も同じで、自分たちの姿勢や理念を明確にして他民族と関係を作っていかないと、強いつながりで繋がることはできません。各民族は、自分たちの民族のプライドを持ち他民族の民族観のパラダイムを持っています。いつまでも日本人は、「何も言わない優しくて良い人」ということを続けていると、世界はいつか「意志がなく、利用しやすい民族」とされて、日本人は利用しやすい無能な民族とみられます。
民族観のパラダイムを持つには、自分たちの歴史や文化を知りバックグラウンドを持つことです。そうすると、他民族の性格や習性がわかり、比較をしながら日本民族の特性と性質を見ることができます。敗戦後の日本は、民族観や国家観を抹消したことで、民族の性質や特質の区別が出来ない(民族のパラダイムを持たない)まま国際社会に出ていきました。これによって「民族の本音と建前」の区別すらできず、相手の言語空間だけで支配されて、民族のプライドすらなくなってしまいました。本当に、他民族と深い関係で共存するということは、このパラダイムを持つことであり、民族の意思を持つことです。 (次は、ワーホリを使った逆転の発想を書きます。)
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