見出し画像

昨日は母の誕生日だった

さっき駅で、同居しているワダくんを見送って、私は反対方向の電車に乗った。
各駅電車で5駅ほど揺られて。
今日は耳栓を忘れなかったので、快適だった。

カフェで、スコーンとあったかい紅茶を頼んだところで、「あ」と思い出した。
昨日は母の誕生日だった。

昨日は一日、このことを思い出しもしなかった、仕事で頭の中が一杯だったのもあるけれど。
まだ、おめでとうの一言も伝えていない。
謎の焦燥感が生じて、LINEしようかなと思うけど、言葉が思いつかず躊躇してしまう。
マスターがほかほかのスコーンをテーブルに運んでくれたので、一旦スコーンを美味しく頂く。ここのスコーンセットはほんとうに最高。カフェにいたほかのお客さんもスコーンセットを頼んでいる。

母の誕生日の前は、いつも悩む。
離れて暮らす母(といっても同じ県内)に、何か送ろうかなと思って考えても、物を増やすのもイマイチかとか、服やアクセサリーの趣味も全然違うしとか、食べ物やお風呂用品とか消耗するものがいいかもしれないけど家に沢山ストックありそうだなとか、母に送りたいと思えるものに出会う前に力尽きてしまう。
今年も一昨日くらいまでは、母の誕生日の贈りもののことが頭の片隅にずっとあった。誕生日に限らず母の日もこんな感じ。

3月は母と父の誕生日があって、頭の中には贈りもののことが居座っている。
こんなとき、ひとりっ子であることがちょっと重い。
姉妹兄弟がいてくれたら、誰か一緒に考えてくれる人がいてくれたらなあ…なんて都合よく妄想する。
贈りものはだいたい悩みはするけど、友人や従姉妹への贈りものを考えるのはけっこう楽しめる方なのになあ。
あげても・あげなくてもいいものだったら。

カフェでは私のほかに、2人の女性が穏やかにお茶している。
ふと会話の中から「・・・子育て成功・・・。」という言葉が耳に入る。

子育て成功……妙にこの言葉が刺さる。
じゃあ反対の子育て失敗って、私みたいな感じかな?なんてよぎる。
そう、まさにこれ。私が母の誕生日に感じる緊張感の正体は。

母の誕生日、母の日、父の誕生日、父の日…ほか、あまりに緊張感の高い行事が多すぎるんじゃない。
街中のいたるところで、贈りものを誘う言葉が溢れてる。
instagramにいつか友人が投稿していた「母へ温泉旅行プレゼント」とか「母と食事でお祝い」とか、断片的なイメージがあまりに輝いて見える。
すごく素敵で、もはやファンタジー映画の一場面なんじゃないか…とすら思えてくる。

街中やSNSから伝わってくる、娘が母に行う理想的な孝行のイメージが、私の現実と対比して、私と母の関係を非理想的なイメージにしていく。
こういうのは理想的な家庭とか、カップルとか、女性とか、社会人とか、色々なイメージに通ずるものでもあるのだろうけど。

女性らしさのイメージは、飛び抜けて身長が高かったりしたことで、小さい頃からそもそもその時代にGOODとされる女性像をやろうとしても身体的に無理が生じて、その苦しみもあったけれど、私の身体を女性らしさのイメージから解放して、それに囚われすぎずにいるような気がする。
このことは、また改めて書いてみたいな。

一方で、理想的な母親や親子、家庭のイメージは、私に強くこびりついている。

先日ここのカフェで職場の人とお茶していたときに、母との関係をきいて、静かに戦慄が走った。
「母のこと、着信拒否しているよ。もう何年も。」

その方とは、2年くらい一緒に働いていた。
その間ずっと、私が持っていた彼女のイメージは、3人の娘さんを育てていて、旦那さんがお医者さんで、エネルギッシュに家族をしっかり支える家庭的な先輩、という感じだった。
私が自分の母との話をすると、彼女の母とのことを話してくれた。

彼女は長い間、母の過干渉を受け続けて、仕事も母の希望通りに小学校の教員に就いた。
そして、初めて付き合っていた方と、大学を出てすぐに結婚した。
ずっと母との関係が気になっており、親との関係で苦しむ人たちのコミュニティに参加したこともあった。
そうして彼女は、自分がいい子でいなければならないと、母の期待に応え続けていることが苦しかったことに気づいたという。
そして、母と連絡を断ち、会わないでいる自分のことを「いいんだ」とやっと思えた。
娘さんたちが祖母に会いたがることで、葛藤がありながらも、娘と祖母の関わる機会をつくったこともあるという。

彼女の話してくれたことが、私の中のマザーコンプレックスに、ぐさりと刺さった。
リアリティがありすぎる。
実態はともかく、母にとって親孝行な娘でいること、母が自慢できるような娘であることを、私は自分で自分に課し続けている。
母のことを嫌ったり、断絶する自分を、いまだ許せずにいる。

この春、彼女も私も職場を離れる。
彼女は、これから自分が「主人公として生きるために」新しい職場へ転職するのだと話してくれた。
彼女の母が自分にしてきた過干渉を根っこに持ちながらも、私の物語をはじめようとする彼女の一歩が、私は友人の一人として、心底嬉しい。

こうして彼女の話、そして私自身の母をめぐる思いを書いてみると(過激で割愛したことももちろんあるけれど)、私も、母や自分にもう幻想を抱いている場合じゃないなーという気持ちになったりする。

母に直接送ることはせず、ここで。

母、誕生日おめでとう。
生まれてきてくれてありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?