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定時先生!第50話 あの日

「本校が初任校とは思えないほどしっかりした学級経営で、もうすぐ卒業を迎えられます。バドミントン部の顧問としても、団体戦で県大会出場まで導かれました。本市の将来を担う人材です。異動先でも精一杯頑張ってください」

 3月の校長室。中島は年度終わりの校長面接を受けていた。年度初めに設定した目標の振り返りや来年度の希望等について校長と話し、また、1年間の評価が伝えられる。

「ありがとうございます。至らないところもたくさんありましたが、自分でも精一杯やれたと思います」

 胸を張って言えた。初めて教壇に立った日から、もうすぐ丸3年が経つ。1年目こそ、思い悩んだことも多かったが、今では部活動指導も学級経営も周囲に認められている自覚がある。
 そしてついに、初めての卒業生を送り出す。これでようやく、一人前の教師になれる気がしていた。先日始まった卒業式練習では、卒業生合唱を聴いて、まだ練習だというのに熱いものがこみ上げた。

「で、異動先なんだけど、まだ調整中で、今はっきりと伝えられることはありません。ただ、バドミントンの副専門部長になる見込みで、バド部のあるK中を希望されていますが、バド部を考慮した人事は聞いたことないから、その部分にはあまり期待しない方がいいですよ」
「そうなんですね。祈るのみですね」
「教頭先生からは、何かありますか」

 同席していた教頭に、校長から話が振られた。

「そうですね、業務のことはもう校長先生が仰ったとおりかと。あとは…結婚に、お子さんの誕生、そして、今は二人目を授かっておられるということで、めでたいことも多かったですね。御家族のためにも、お体を大事に異動先でも活躍してください。異動先には例の新車で通勤するの?」
「ええ、そのつもりです。家族増えるんで、ミニバンなんて大きいの買っちゃいまして…異動先の校舎に擦らないか今から心配です」
「そうなったら衝撃デビューだよ」

 3人が笑い声をあげた。
 同時に、校長室の棚のガラス戸が、小刻みに震えた。
 次第に大きくなるその音に気付く頃、鉄筋コンクリートの校舎が基礎から左右に波打った。
 棚に並べられた歴代の卒業アルバムは雪崩のように床に崩れ、花瓶が滑り落ち割れ、けたたましい音を校長室に響かせたが、唸るような地響きがその全てを飲み込んだ。
 経験したことない揺れがようやく収まる頃、中島が隣接する職員室をふと見ると、机上の書類や教科書、ファイル類が床に散乱し、空き時間の職員が恐怖に顔をひきつらせたまま騒然としていた。座り込む中島の背後から、校長の指示が飛んだ。

「教頭先生は、避難放送!先生方は生徒の誘導!」

 中島や職員室にいた教師らは、一斉に生徒の元へ駆け出した。
 多少の混乱はありながらも、数分後には避難が完了し、校庭に全校生徒の整列が完了した。
 話し込む職員、恐怖から泣き崩れる生徒、楽しむように笑う生徒。避難してきた近隣住民も散見される。突如振りかかった非日常に対し、皆それぞれに反応している。
 しかし、次の瞬間に襲った余震によるその光景には、その場の誰もが一様に息を呑んだ。
 校庭の端に並んだ、電柱のようにそびえ立つ防球ネットの支柱が、風に遊ばれる土筆のように揺れている。
 後に東日本大震災と名付けられるこの地震を、中島はこの光景とともに記憶した。