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未来を描く「SF=アセスメント」とは|イラストレーター真鍋博の未来都市【1】

あの、いらすとや氏が『科研費ガイドブック』の表紙にまで進出したことが話題になっている今日この頃ですが、高度成長真っ盛りの時代、いらすとや並に目に触れる絵を提供していたイラストレーターがいました。

ある年齢層より上の方はよくご存じの真鍋博(1932-2000)です。このノートの冒頭に掲げたイラストレーションは真鍋博の描いた「にぎやかな未来」(1978)(※1)。

真鍋のイラストレーションは、星新一やアガサ・クリスティの挿絵も含めて、当時も今も根強いファンがいますし、「あの頃」の未来のイメージは、まんま真鍋によって形作られたのでは中廊下と思えるくらいです。

ためしにそれを裏付ける証言を聞いてみましょう。まずは草森紳一。

とりわけ一九六〇年代は、日本列島のどこもかしこもが、真鍋博のイラストレーション(刺青)で、埋め尽くされていたといっても大袈裟でない。これは、ほんとうだ。

草森紳一『記憶のちぎれ雲 我が半自伝』、本の雑誌社、2011

次に堺屋太一。

「二一世紀は日本の時代」といわれて、目も眩むような凄まじい近代工業社会が描かれました。高層ビルが建ち並ぶ中を空中高くの高速道路を車が飛び交う真鍋博のイラストが喜ばれたものです。

堺屋太一『団塊の世代「黄金の十年」が始まる』、文藝春秋、2005

さらに松岡正剛。

当時は戦闘機なら小松崎、未来都市なら真鍋博という時代だった。

松岡正剛『松岡正剛 千夜千冊2』、求竜堂、2006

真鍋は日本万国博覧会に関連した作品を数多く発表しましたし、学際的に取り組まれた未来予測本『2001年の日本』(1969)(図1)などでは日本国土の未来へ向けてイラストレーションを担当したりと、学術界ともつながる活躍をしました。

図1 『2001年の日本』、朝日新聞社、1969

未来都市なら真鍋博」と評された真鍋のイラストレーションは、彼個人の未来イメージを超えて、当時の日本、特に60年代を象徴する社会全体の未来イメージであったと言っても過言じゃなさそうです。

ところで、真鍋はイラストレーションのほかに数多くのエッセイを残したことでも知られます。内容はイラストレーションに関するものはもちろん、教育論から文明批評、旅行エッセイにまで及びます。これらエッセイ群では、真鍋自身が未来やイラストレーションをどう考えていたのかを何度も手を変え品を変え語っています。

そこで、あえてここでは真鍋の描いたイラストレーションは華麗に放置しつつ、真鍋が書いたエッセイから彼の未来都市を探ってみたいと思います。

真鍋が想定した「未来」となった「現在」に、そしてこれからの「未来」が描きづらいご時世となっている「現在」にこそ、真鍋の描いた未来都市を再読してみることに、それなりの意義があるのではないでしょうか。

エッセイにみられる未来都市観

真鍋はエッセイを書くときも、イラストレーションを描くのと同じ思考方法だと語っています。ちょうど建築家フランク・ロイド・ライトが建築活動と文筆活動が車の両輪のごとき創作活動だったのと似ています。

真鍋はエッセイはイラストレーションとしては表現しきれない「活字によるイラストレーション」だと言います。そんな「活字によるイラストレーション」が必要な理由を、次のように説明します。

あみものの毛糸の模様から、建物のパースや都市計画まで、説明するという次元においてイラストはたいへん自由な手段だが、しかし、そこで営むであろう人間の生身の生活と社会のシステムに目を向けると、イラストではどうしても表現できないものがでてくる。文章で書かなければならないもの、イラストとして修正していかなければならぬもの、死ぬまでには描きたいもの、自分が描けなくなってもいつか誰かが描いてくれるだろうと思うもの……。

真鍋博『イラストからの発想』、PHP研究所、1978

そうやって紡ぎ出された真鍋の「活字によるイラストレーション」を通して、未来都市・生活に関する言及をあれこれ眺めつつ、ここでは「イラストレーション」、「未来」、そして「未来都市」という3つの側面から、真鍋の未来都市を読み解く手掛かりを得たいと思います。

イラストレーションの役割

アーティストが独自の芸術性を表現する油彩画などのファインアートとは違って、イラストレーションは発注者がある特定の条件のもとに依頼し、その発注者の諾否が決定権を持つ点に特徴があります。

イラストレーションというのは、新聞や雑誌などの印刷メディアにのせられるもの-つまり、社会的絵画なのだから、いつも社会と密着していなければならない。

真鍋博『発想交差点』、実業之日本社、1981

真鍋の『イラストからの発想』を引き続き読んでみましょう。

イラストレーションの画題は何かを「説明」することが役割です。真鍋はこの特性を活かして、「目の前にあるものをリアルに描くのではなく、目に見えないもの、未来的なもの、SF的なもの、四次元の世界といったもの」を積極的に描くことにイラストレーションの可能性があると言います。

また、真鍋はイラストレーションの機能を「対社会的な量産性志向」のほかに、「描くという行為をとおして思考するという方法がある」といいます。これが「発想の転換、思考の増幅に役立っている」のだと。

またそうした発想の転換を促すイラストレーションは「理想をさぐる視覚的シミュレーション」だと評価します。

「描くという行為をとおして思考する」イラストレーション。それによってなされる「視覚的シミュレーション」。その可能性を、真鍋は次のように言っています。

物事を言葉やデータ、数字、記号で考えると、どうしてもある結論を引き出してしまうが、色と形、そしてイメージでとらえるかぎり、現実と非現実の中間、過去と未来の接点、いやそのどちらにもつながる複眼の視点で見、とらえることができる。

真鍋博『イラストからの発想』、PHP研究所、1978

そもそも未来とはなにか

未来画で名を知られた真鍋にとって、未来とはなんだったのでしょう。エッセイを読んでいくことで見えてくるのは、当時あふれていた紋切り型の未来イメージを批判しながら、未来とは複数の可能性であり未来は一つではないことを強調する姿勢です。

みんなが考えている未来の国のイメージは、いつも一種類だ。おとなも子どもも、同じイメージしかもっていない。しかし、はたして本当に未来はそうなのだろうか?(中略)とかく、未来を一種類と考えがちだが、じつは未来は何万、何億種類もあるのである。

真鍋博『発想交差点』、実業之日本社、1981
未来は可能性をふくんでいる。未来は一つではない。いろいろのビジョンがあっていい。未来は方法やアイデアやパターンではなく考え方であり思想である。

真鍋博『絵で見る20年後の日本』、日本生産性本部、1966

また、真鍋は未来を描くにあたって「いかに多くの答えを出すか」を重視しています。

 わたしの仕事はイラストレーター。といっても、“未来”を描くことをテーマとしている。となると、目の前の事物、風俗、流行をそのまま描くわけにはいかず、形も色もないものを、自由勝手に想像しなければならない。そのため、思考を拡幅膨張、いや飛散させることが絵を描く前に必要だし、それが日課となっている。(中略)わたしの発想は、答えを一つにするのではなく、答えをいくつも出す、いや、いくつ出せるか、それが発想の大前提なのである。科学的、非科学的を問わないし、資料やデータも一切見ない。あくまで、発想幅の拡大が目的で、いかに多く答を出すかが発想法にもなっている。

真鍋博「いかに多くの答えを出すか」、『独創知』所収、講談社、1987

ほかにも「いま求められているのは、世のなかをかく変えるという“総論の発想”ではなく、一人ひとりにとっての身近な“各論の発想”の必要な時」(真鍋博『発想交差点』)と表現したりもしています。

未来学がブームだった当時、真鍋の描く未来像もまた、未来予測を主眼としたものだと受け取られたわけですが、真鍋はそれに不満でした。またバラ色の未来を「のほほんと待っている夢の未来」ではないことも指摘します。

経企庁の白書が発表された時もマスコミは、車は一家に一台だとか、米の需要が減り、肉の摂取量がふえるといった“未来未来”した角度ばかりをとりあげた。ぼくはそうした一面だけでなく、老人がふえたりゴミの処理が国家的問題になるといった来たるべき時代の内面まで包括した未来をここで描きたかったのだ。だからこれは早く来い来いとのほほんと待っている夢の未来ではない。待ちのぞむべき未来のために解決していかねばならぬ未来である。そしてあくまで自分の考える日本の未来である。自分で摑みとりたい、実現させたい未来である。

真鍋博『絵で見る20年後の日本』、日本生産性本部、1966

真鍋にとっての未来は、当時ブームと化していた未来像や未来観とは違い、むしろそうしたブームへの批判的視点に立ったものでもあったことがうかがえます。

未来都市を描くということ

これまでにみてきたような未来観を持つ真鍋にとって、未来画を描くことどんなものだったのか。真鍋はそれを「社会をデザインする行為・作業」として位置づけます。

車一台の未来を描くことは、その車の流れる未来の道路を考えることであり、その道路の走る未来都市の姿を創造することであり、そこの住む人々の生活、結局は社会全体を想定することになる。だから、ぼくはかねがね自分の考える未来を一部でなく、社会のすべてにわたって描きたいという欲望にかられつづけてきた。いまぼくは未来の都市の姿をおこがましくも〈創造〉するといった。未来のイメージを手っ取りばやく伝えるのは建築であり、都市計画なのだが、いままでいくつかの空想科学小説のさしえを描いたが、宇宙人やロボットが登場するSFは未来ドラマでいっぱいでも、こと建物について記述した作品は皆無といってよく、いつも自分のイメージだけで建物を絵の上でつくらねばならなかった。

真鍋博『絵で見る20年後の日本』、日本生産性本部、1966

これに似た表現は「地球改造計画」(1968)や『イラストからの発想』(1978)にも見られることから、これは真鍋にとっての創作行為をズバリ表現したものだと思われます。真鍋は、そんな社会をデザインする行為・作業を「社会デザイン」と呼びます。

デザインというのは、ものを使いよく便利にし、新しい機能とイメージでいままでに無い生活を創造することだが、それを一枚のレコード・ジャケットや一つのイスからエスカレートさせて、教育や医療の制度、さらに大規模プロジェクトに発展させて考えてもいいのではないか、それを提案とか代案というより「社会的デザイン」と呼んだ方が自分に合っているようだし、受けとる方も気楽で自由ではないだろうか……と考えたのだが、しかし、それにしても、それが現実の春闘や税金におよぶと、発想の範囲を逸脱してしまい、現実案にしてはいささか空想的すぎる……と思うのがいつわらざる心境だ。こんなにテーマを発展させてしまっていいのか……と発想のエスカレートに自分で不安になったり、考えこんだりもする。自分の絵の世界にとじこもって、好きな世界、得意のテーマを描いている方が身のためかもしれぬと思ったりもする。

真鍋博『イラストからの発想』、PHP研究所、1978

「社会デザイン」として未来都市を描く真鍋。彼は別の著書では「SF=アセスメント」なる造語も提案しています。それは先にみた「視覚シミュレーション」からさらに踏み込んだ内容。

テレビにしろ、ロケットにしろ、ジェット機にしろ、考えてみればSFに描かれたものである。が、原子力発電も、代替エネルギー開発も、古典的SFには描かれていない。ということは夢として語られ、想像されたものは人間はいつか抵抗なく受け入れる。まして絵になるというのはこういうものができてほしいと多くの人が望んだからで、結果的にイメージが浸透し、社会的に認知されていくのである。つまり予告篇効果。(ただし、予告篇の方がいつもおもしろいが――)

真鍋博『発想交差点』、実業之日本社、1981

大事なことなのでもう一度。「夢として語られ、想像されたものは人間はいつか抵抗なく受け入れる。まして絵になるということはこういうものができてほしいと多くの人が望んだからで、結果的にイメージが浸透し、社会的に認知されていく」という「SF=アセスメント」。

同じことの別表現としては、同じく『発想交差点』にみられる「子どもの絵の題材」が挙げられます。「どんな施設も子どもの絵の題材になる、子どもが絵に描きたいと思うようになる、それがその施設が社会化したという一つのバロメーターになるのではないだろうか」と。

イラストレーターとしての真鍋は、常にイラストレーションの受け手を意識していました。「アイデアを出すのはたやすい。問題は受け手の保守性をいかに変えられるかにかかわっている。といってもマスメディアなのだから、相手が気づかぬうちに変わっていた・・・・・・というアプローチが望ましい」とも(『発想交差点』)。

ダジャレによる未来の「発想」

真鍋博が未来を発想するときに、多用した必殺技があります。それは「ダジャレ」。真鍋によるダジャレの発想が顕著にあらわれたエッセイに『真鍋博の複眼人間論』(1971)があります。たとえば以下の文章のようにたたみ掛けるダジャレが特徴的。

思考は視考の時代である。ぼくは映像人間だからイマジネーションやアイデアをすぐ絵にし、形にするが、その発想源は止まっている映像ではなく、動いている絵である。わが発想の思考は視考でも、止まっている止考でもなく、動考なのである。

真鍋博『真鍋博の複眼的人間論』、実業之日本社、1971
思考から視考へ、さらに使考へ!アイデアや企画の時代は終わったのである。図面と計画書にとどまる思考の時代ではなく、建物さえ、設計図でなかれば、完成予想図でもなく、模型であり、モデルルームであり、耐震風洞実験の時代である。

真鍋博『真鍋博の複眼的人間論』、実業之日本社、1971

ダジャレによる発想・連想は、普通ならつながらないもの同士をつなげる力を持っています。著書『発想交差点』のあとがきにも次のような文章があります。

国際交流や教育問題、情報産業、国防や資源エネルギー問題・・・・・・、自分にとっておよそつながらぬ道であるが、交差点ではそこがワープ航法で短絡的につながったり、とトポロジカルな迷路交差点で交わったり、多次元交差点であったり、超越交差点であったりした。

真鍋博『発想交差点』、実業之日本社、1981

真鍋の発想する未来は、中央から周縁へ、文明から文化へ、固定から流動へ、二者択一から多者択三へ、など固定観念を破壊しながら新たな可能性を探るという姿勢が一貫しています。

その発想のベースには語呂合わせやダジャレがわんさか。そんな発想法が非科学的・非論理的なものであることは十分承知の上で、なお、それが「思考をはたらかす」ための重要なアプローチ法であることも言っています。

これらの発想を非科学的と批判されたり、ナンセンスと非難されたりすると、専門外だから何を考えても自由なのだとひらきなおることにしている。そして、知りすぎている人は不幸だナ・・・・・・と思う。頭が既成概念でいっぱいで、思考をはたらかす余地がないのだ。

真鍋博『イラストからの発想』、PHP研究所、1978

未来の都市を語ること/描くこと

さて、イラストレーションではなく、あえて真鍋博のエッセイを読み進めてきたことで、彼のイラストレーションへの姿勢、未来観、未来都市を描く意味が見えてきました。

ここまできて思うのは、とっても建築の世界と似ている、いやむしろ、これは建築についての話では中廊下という思いです。もういちど、真鍋にとっての未来都市を語ることや描くことについて振り返ってみます。

1)風刺画から未来画への連続性
真鍋博の描いた未来都市のイラストレーションは、てっきり当時の未来ブームを体現した高度成長期の科学至上主義、都市文明礼讃を象徴しているのかと思っていました。
でもエッセイを読んでいくことでみえてくるのは、紋切り型の未来観への批判だったり、ダジャレやアナロジーを通した豊かで多様な発想、複眼的視点の尊重、未来の問題点をも照らし出すイラストの在り方などでした。
実は真鍋の創作活動は風刺画が起点にあります。バラ色にみえる未来画が実はダークな風刺画とつながっているというのは、とても興味深い事実です。

2)「SF=アセスメント」としての未来都市
真鍋にとって未来都市を描くことは、そこで描かれる夢が「現実に拍車をかける」という信念だったり、「絵の中でいろいろなアイディアを提案し続けたら、いつかそれが実現するかもしれない」という思いに支えられています。
イラストが「視覚シミュレーション」、あるいは「SF=アセスメント」として機能し、描かれた未来都市イメージが、次第に人々へ、そして社会へと影響していくことを自覚的に実践した表現が真鍋の描いた未来都市だったのです。

3)ダジャレによる発想
真鍋が未来を発想するときに、意識的に用いた方法が「ダジャレ」です。非科学的・非論理的な思考方法であるダジャレの力で、硬直した思考を打ち砕くこと。それが未来の可能性を拓く発想へとつながることを強く意識していたことがわかります。
これで普段、おやじギャグばかり言ってるわたしもすこしばかり免罪された気になります。あ、関係ないですね。。。

さて、今回は「イラストレーター真鍋博の未来都市①」という位置づけで「未来を描く「SF=アセスメント」とは」を探ってみました。不定期ながら引き続き、真鍋と建築界のことや、真鍋のイラストレーションにも踏み込んでいきたいと思います。お付き合いいただける奇特な方がおられたら望外の幸せです。

(つづく)



※1 図版出典:愛媛県立美術館編『真鍋博回顧展』、愛媛県立美術館、2001

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