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絵本で読む「働くこと」【1】|パートナーシップ型「ぐるんぱ」とジョブ型「カバくん」

わが子に絵本の読み聞かせするようになって、気づくようになったことがたくさんあります(というか読み聞かせに限らず子育ての現場は気づかされることの連続ですが)。

あの絵本ってこんなメッセージが込められてたんだーという驚きや、この絵本のお話しはあの問題とつながってるのでは?みたいな新たな問いだったりに直面して、読み聞かせに集中できないこともしばしば笑

『ぐるんぱのようちえん』と働くこと

たとえば、名作『ぐるんぱのようちえん』(福音館書店、1965)もそんなたくさんの発見を促してくれる一冊(図1)。読み聞かせしてて、読み聞かせてたこっちが「そうだったのか!」と大感心することしきり。


図1 ぐるんぱのようちえん(1965)

主人公ぐるんぱは、物語のなかで5回の転職を経ていて、これがまた秀逸なキャリア論となっています。ちなみに作者・西内ミナミさんも10年間コピーライターの仕事に従事し、結婚・出産を期に転職。予期せぬ展開で絵本作家に転身した経歴を持っています。

物語冒頭、主人公の象・ぐるんぱは自分のねぐらに籠もるニートでした。共同体の大人たちがぐるんぱの就労を支援。大人たちの励ましに後押しされて社会へと乗り出します。

ぐるんぱは仕事を選びません。与えられた仕事を一生懸命にこなす日々。でも、彼の身体が大きいことから、手がけるピアノや靴やお皿やビスケットはすべてキングサイズ。雇い主に「もうけっこう」と言われて解雇される繰り返しの日々。

解雇されてしょんぼりするも、また次の仕事にトライの繰り返しが描かれていきます。さんざん転職・失業を繰り返し、たまたま巡り会った子だくさんのお母さんに子守りをたのまれるぐるんぱ。そのたまたまが人生の転機となります。

子どもたちと一緒に遊ぶという仕事は見事にこなせたぐるんぱ。しかも、いままで手がけてきた大きすぎるピアノや靴たちが遊具となるサプライズ付きです。

ミスマッチの連続の先に自分の居場所を発見する。物語は居場所を見つけてとりあえずのハッピーエンド。でもその先に何があるか分からない。それが人生。

結局、自動車やお皿、靴などなどは「習得した技能」のメタファー。作中最後に成功する幼稚園で、それらの技能は本来の役割とは少し違うかたちで役立っています。人生の近道といった能率性・即効性を考えずに、ただただ与えられた仕事を懸命にこなした先に、思わぬ汎用的な技能が身についていることが分かるし、その過程にこそ、本人の個性がにじみ出ているということ。

たしかに自分自身のこれまでを振り返ってみても「そうだよな」と思います。

見開きページに余白たっぷり使った「しょんぼりしょんぼりしょんぼり・・・」のシーン(図2)。これって物語の大事なハイライトシーン。この時間が体験を経験にする。「一生懸命」と「しょんぼり」の繰り返しに「ありのまま」に閉じこもらない成長のヒントがあるんですね。

図2 しょんぼりしょんぼり

『ぼちぼちいこか』と働くこと

ところで、絵本『ぼちぼちいこか』(偕成社、1980)を読み聞かせする機会もよくあります(図3)。


図3 ぼちぼちいこか(1980)

主人公のカバはカラダが大きく鈍重なことから、消防士や船乗り、パイロット、バレリーナ、ピアニストなどなど13種類の職業を転々としながらも、どれも失敗に終わります(図4)。このあたり、あの象のぐるんぱと似ています。

図4 カバくん失敗の連続

途方にくれたカバは「ま、ぼちぼちいこか、ということや」と立ち止まるのですが、そこで休息のために横たわったハンモックでもトラブル発生で、また失敗が待ち受けている。そんなストーリーがユーモラスに描かれた絵本です。

マイク・セイラーとロバート=グロスマンというアメリカ人によって描かれたこの絵本。日本語タイトルは『ぼちぼちいこか』となぜか関西弁ですが、原題は「What Can a Hippopotamus be?」となっていて、ハッ!となりました。

これって、仕事に人がはりつく「ジョブ型」の欧米社会を反映したタイトルだなぁ、と。

日本で一般的な「メンバーシップ型」の雇用は、まず人を採用してから仕事を割り振っていきます。それに対して、欧米で一般的といわれる「ジョブ型」は、仕事に対して人が割り当てられる雇用のかたち(※1)。

『ぼちぼちいこか』は「ジョブ型」雇用というアメリカの社会背景から生まれた「What Can a Hippopotamus be?」のお話しなのだと思うとしっくりきます。

日本語訳は詩人の今江祥智。全編にわたって「ぼく、しょうぼうしになれるやろか。なれへんかったわ」みたいに関西弁で語られるために、カバの直面する悲劇は随分とお笑い化されています。でも、自分の能力で対応できる仕事は何なのか、を延々と試していくプロセスはなかなかんいシンドイものがあります。

ちなみにこの絵本が出版されたのは、レーガノミクス発動直前の1975年。作者はベトナム戦争やインフレ、失業といった社会問題がうごめくさなかにこの絵本を執筆していたことになります。当時のアメリカでは、「ジョブ型」社会で若者の就職難が深刻化していたといいます。

象の働き方は妥当なのか

『ぼちぼちいこか』の「ジョブ型」社会に思いをはせてから『ぐるんぱのようちえん』を改めて読み聞かせしていると、両著ともに、失敗続きの主人公を描くお話しでありながら、やはり大きく違っていることに気づきます。

確たる専門スキルもないまま森を出て就職、そして5度の転職を経て幼稚園経営に着地する「ぐるんぱ」は『ぼちぼちいこか』のカバとは異なり、偶然に幸せな仕事へ着地していきます。彼は「What Can an Elephant be?」と問われることはありません。

「ぐるんぱ」の辿るキャリアパスは、新卒一括採用で就職するけども職務を転々とし、5つの職場で得た(=企業内育成:OJT・ジョブローテーション)汎用的能力で大成する「メンバーシップ型」雇用の物語なのでした。

ただ、現代日本社会では終身雇用・年功序列が崩壊しつつあり、「メンバーシップ型」雇用の物語も先がみえません。ぐるんぱは1960年代の物語なのでした。だとすると、「メンバーシップ型」雇用が行き詰まる今、『ぐるんぱのようちえん』を読むことの反作用もある気がしてきます。

そんな風に考えたのは、『ぐるんぱのようちえん』冒頭に描かれた森の仲間たちの振る舞いが実はとても1960年代だと気づかされる瞬間を味わったからです。それは工藤ノリコ『セミくんいよいよこんやです』(教育画劇、2004)を読み聞かせていたときのこと(図5)。


図5 セミくんいよいよこんやです(2004)

そのお話しはまた次回に。

(つづく)



※1 濱口桂一郎『若者と労働:「入社」の仕組みから解きほぐす』、中央公論新社、2013


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