絵本で読む「働くこと」【3】|うどんの「開かれ」とノラネコの「ほぐし」
なんとなく就職した会社でながく働く人もいれば、意中の会社に入社したのにわずかな期間に転職を決める人もいます。本人は勤めるつもりがその会社がなくなるなんて話もよく耳にします。
前回は『セミくんいよいよこんやです』(教育画劇、2004)と『ケチャップマン』(ブロンズ新社、2008・2015)を対比しながら、エンカレッジされた経験が自己実現の下地になる中曽根臨教審以後の世界と、とはいえ、現実社会はたとえ自己実現したかにみえても空虚な思いに満たされる「こんなはずじゃなかった」感について思いを巡らせました。
先行き不透明な時代を泳ぎ渡るためにはどうしたらいいのでしょうか。たとえば、波に抗うのではなく、波に寄り添うことも大切では中廊下。なんて思わせてくれる絵本があります。
今回まずご紹介するのは『うどんのうーやん』(岡田よしたか,ブロンズ新社、2012)(図1)。関西弁の主人公うーやんは、うどんです。どんな物語をみせてくれるのでしょうか。
図1 うどんのうーやん
うどんのうーやんの働く姿勢
とある食堂。きつねうどんの出前注文が入ったけれど人手不足とあって「ほないってきますぅ」とばかりに、うどん自らお客の家に向かいます。道中、カツ丼やお寿司も同じ境遇とあってか桶や丼が行き交う街並みはなんとも世知辛い世の中。「きみとこもかー」「おたがいたいへんやなあ」と。
でもって出前途中にいろいろトラブルがあって腹ペコの野良猫にちょっと(というか半分)食べさせてあげたり、道ばたに干されてた素麺を補充したり、メザシや梅干しを丼の汁に浸らせてあげたり。
仕舞いにはタコ焼きやエビフライその他もろもろが合流するも、うどんのうーやん曰く「まあええわ。よっしゃはいり!」と受け入れる笑
この主人公うーやんの開きに開かれた態度はホント笑いを通り越して感銘すら受けます。で、発注者の前に到着した段階では、もはやきつねうどんではない。きつねさん「確かきつねうどん注文したんやけど・・・」と言いつつも食べてみると「おいし~い!」と歓喜の声。以後、お店のオススメに。
世知辛い世の中だからこそ「まあええわ」と受容できる開かれた姿勢が鍵になる。きつねうどんだから素麺やエビフライを入れてはダメ、注文したものと違うからダメ、そもそもうどん自ら出前に出てはダメ、ダメダメダメと「違うこと」をあげつらう姿勢とは真逆の「似てること」が持つ力。
うどんと素麺は「違う」けれども「似てる」という視点。きつねも「きつねうどんを食べる」ことは〈手段〉だったわけで、価値が満たされるという〈目的〉が達せられれば「おいし~い!」と思える。
思い出すのは折口信夫が指摘した「別化性能」と「類化性能」。合理化された世界観をあらためて解きほぐしつつ「新しい論理」を生みだそうと模索したのが折口でした。
彼は、事象の全体を通観して類似点を刹那に直感する力=「類化性能」を土台にした「発想」を重視しました。差異を見定める視点も大事。でも、それだけでは世界を切り刻んで終わってしまう。似ていることで開かれる可能性。
開きに開かれた態度で異なる他者を受け入れ、危機的状況も切り抜けていくうーやん。川に遮られれば「わたるしかないやろ」、山に阻まれれば「・・・のぼるしかないやろ」。「まあええわ」と受け入れられる心は同時に一歩踏み出す姿勢にもつながることを教えてくれます。
『うどんのうーやん』の関西弁を味わいつつ、そういえば「類化性能」の重要性を指摘した折口も大阪生まれの大阪育ちだったよなぁと思い至ります。標準語は言語の標準化だけでなく思考の標準化でもあったことを踏まえると、方言が持つ喚起力もまたあなどれません。
煮詰まった思考や凝り固まった発想をほぐす。そんな視点を常日頃もちたいものです。
ワンワンちゃんとノラネコぐんだんの戦い
娘お気に入りの絵本『ノラネコぐんだん』シリーズ(図2)。これまでに6冊のお話し(うち絵本5冊、読み物1冊)と知育絵本1冊が発表されていて、お話しにはそれぞれ共通する展開があります。
図2 ノラネコぐんだん
それは、主人公である猫8匹=ノラネコぐんだんが、①ある食べ物や乗り物に興味を持つ、②不法な手段でもって実際に食べてみたり乗ってみたりする、③何かしらの暴走が起きて爆発する(ドッカーン!)、④当該事業主(犬=ワンワンちゃん)に叱られて無償奉仕させられる、というもの。
実は、主人公であるノラネコぐんだんは、もともとは作者が求人情報誌『週刊求人アルバ』に連載していた4コマ漫画『がんばれ!ワンワンちゃん』に登場する脇役でした(図3)。
図3 がんばれ!ワンワンちゃん
主人公は『ノラネコぐんだん』シリーズでは脇役のワンワンちゃんであり、様々な職業にチャレンジする彼の姿を通して働くことへの心構えを描く内容でした。ノラネコぐんだんは、そんなワンワンちゃんを邪魔する役回りだったのです。
そんな『がんばれ!ワンワンちゃん』からのスピンオフ企画として絵本の主役になったノラネコぐんだん。イタズラがトラブルに発展し最後は叱られるという展開は、『がんばれ!わんわんちゃん』での出来事をノラネコぐんだん側から見ている設定。
毎回叱られるノラネコぐんだんたちですが、そこに説教臭さは全くしません。読者はむしろイタズラ心をほほえましく見守る内容です。
作者の工藤ノリコさんは『ノラネコぐんだん』シリーズのほかに、『ペンギンきょうだい』や『ピヨピヨ』の各シリーズでも知られる絵本作家さん。それゆえ、てっきり定番の“いい話”に飽きた作者が、モラルから逸脱したシリーズを手がけてみたのだと思ってました。ちょうど『サザエさん』のヒューマニズム臭に飽きた長谷川町子が『いじわるばあさん』を手がけたように。
でも、その読みは間違っていることを知ります。
デビュー15周年記念誌『工藤ノリコBOOK』(玄光社、2014)を読んでいたら、作者はむしろノラネコぐんだん側に共感してるとのこと。そのルーツは母の子育てと短大で出会ったパンクミュージックだと語っているのです。パンクから得た影響とは、柔軟なものの考え方と、自分のなかから沸き上がる思いを正直に表現する自由。
ノラネコぐんだんは、毎回、柔軟にものを考え、そして沸き上がる思いに正直に従ったがゆえにトラブルを起こし、ワンワンちゃんに叱られる。ノラネコぐんだんは工藤ノリコが理想とした生き方を実践する人(ネコ)たちということになります。
だとすると、求人情報誌に連載していた4コマ漫画がこれまた違った見え方をしてきます。
ガッツ山本の自己啓発本『こうすれば成功する』を愛読しながら、様々な仕事にチャレンジし、そこから働くことへの心構えという解を導き出しつづけるワンワンちゃんは、常にキャラクターの濃い脇役たちに振り回され、カリカリしています。
当然、ワンワンちゃんの心には余裕はありません。「柔軟なものの考え方と、自分のなかから沸き上がる思いを正直に表現する自由」からワンワンちゃんは遠い位置にいるのです。犬の〈忠実〉と猫の〈自由〉、そんなフレーズが脳裏によぎります。そこで気づくのは、実は「働くことへの心構え」は「働くことの不条理」を笑いに転化したものだということ。
拠って立つ位置が変わると同じ世界が異なって見えてきます。
「開かれ」と「ほぐし」
精神科医・中沢正夫の著書『あなたが家族を愛せるのなら』(情報センター出版局、1987)に出てくるエピソード「野木瓜」を思い出します。ある医学生が「患者は怖い、不気味」というので「精神病者をよく理解する」ためにニセ患者として入院してみることにしたお話。入院生活6日目で気が滅入ってしまった医学生は、その時の体験を著者に語るのですが、その内容がとても興味深い。
入院直後から、患者さんたちがとても親切にアドバイスしてくれた。それまで「患者は怖い、不気味」と思っていたけれども、むしろ看護婦の冷たさや医者の威圧感、病棟の雰囲気のほうが耐えがたく感じるようになったという。「狂っていない」のに「お前は狂っている」と毎日言われる患者の苦しみにこそ共感する医学生がそこにはいました。
ところが、ニセ患者を終えて退院した医学生が、あらためて医者として実習しはじめたとき、彼は再びショックを受けます。
彼は言います。「あれほど温かく生き生きしていた患者たちが、みるみるうちにうす汚れて、汚らしくグズにみえてきたしまったのです」と。患者は少しも変わっていないのに、自分の位置が変わるだけで全く違う感じ方をするようになります。どちらの感じ方が真の自分なのか分からなくなるという恐怖。
中沢氏は医学生の体験を通して「患者が心を開く可能性と、そのために、我々がとるべきポジションを教えてくれた」と評します。
ノラネコぐんだんがワンワンちゃんに心を開く、あるいはワンワンちゃんがノラネコぐんだんに心を開く。そのとき、心は開かれているだけでなく、凝り固まった思考がほぐされてもいるはず。
そう思うと、4コマ漫画と絵本、真逆の視点から彼らのやりとりを観察できるこの本たちは、「働くことへの心構え」をときほぐす最良のテキストなんだと思います。
(おわり)
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