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危機を乗り越える〈型紙〉|全国友の会「われらの衣食住展覧会」パンフを読む

たびたび見舞われる危機は、わたしたちの社会や生活を「簡素化」させるといわれます。そんな「簡素化」の一端をうかがえる小冊子があります。「われらの衣食住展覧会」と題されたその小冊子は、1950年に開催された同名の展覧会のパンフレットでした。

危機の時代を乗り越えるヒントをさぐるべく、パンフレット「われらの衣食住展覧会」を読んでみたメモ書きです。

全国友の会と「われらの衣食住展覧会」

衣・食・住の三分冊。さらに「われらの衣食住展覧会・農村版」というのもあったらしい(未入手)。敗戦から5年後の1950年11月に開催された展覧会のパンフレットで、主催は「全国友の会」。「全国友の会」は1920年代に各地で生まれていた「婦人之友読者組合」が、1930年に改組されたもの(図1)。

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図1 第1回全国友の会大会(出典:全国友の会HP)

『80周年記念・全国友の会小史』(全国友の会、2010)にはこうあります。

1903年羽仁吉一、もと子両先生の新しいご家庭から生まれた小さな雑誌、しかしながら家庭生活の研究室という独自の使命をもった雑誌『婦人之友』(創刊当時『家庭の友』)は成長して力強い二つの枝を伸ばしました。一つは自由学園、一つは友の会でした。1921年に創立された自由学園は学校教育の分野に新しい道を拓いて、間もなく90年になろうとするとき、友の会は家庭の主婦が手をつなぎ、まず自らの家庭を健全なものにすることから、愛と自由と協力による新社会の建設を理想にかかげて歩みつづけ、今年80周年を迎えました。
(『80周年記念・全国友の会小史』2010)

「友の会」発足の契機となったのは、雑誌「婦人之友」の支柱であった自由学園創立者・羽仁もと子の著作集刊行だったといいます。あたかも、ともに聖書を読むことを通して皆で神へと近づくように、著作集の読解を通して、新社会建設の歩みを進める。「全国友の会」は戦前・戦時・戦後を通じて、婦人之友社・自由学園とともに「愛・自由・協力による新社会の建設」を目指して活動してきたのでした。

そんな「全国友の会」の創立20周年企画が「われらの衣食住展覧会」なのでした。それまでにも同会はさまざまな展覧会を企画・開催してきました。ちょっと年表から拾ってみましょう。

1930年 全国友の会成立
1931年 家庭生活合理化展覧会
1935年 東北農村生活合理化運動5ヵ年計画開始
1937年 一日一銭醵金運動推進
1938年 幼児生活展覧会
1940年 楽しき家庭生活展覧会
1950年 われらの衣食住展覧会

こうした活動のほか、生活学校や農村セツルメント、引揚者援護事業など多面的な活動を展開してきたのが「全国友の会」であり、敗戦から立ち直って開催に至った1950年の「われらの衣食住展覧会」は会の成立20周年記念として盛大に開催された企画なのでした。同展覧会はまず、11月10日から19日にかけて東京目白の明日館講堂で開催。その後、3年間にわたって全国107カ所を巡回し、入場者数はのべ523,500人に及んだといいます。

清潔がつくる「よき生活」

「われらの衣食住展覧会」のパンフレットには展覧会主旨が次のように説明されています。

この展覧会は今の私どもの生活として、かくありたいと希う、かくあり得ると思う衣食住の型紙です。どういう人でもこの型紙を活用して、
家事を上手になることが出来る
家計上手になることが出来る
健康で明るい家庭をつくることが出来る
社会の進歩に貢献することが出来る
それはちょうど衣服を作るとき、一つの原型をもとにして、各自の身体に合うように縫いちぢめたりひろげたり、いろいろ工夫するように、この衣食住の型紙は、主婦の工夫と努力によってどこの家庭にも応用出来る原型のようなものです。

鍵になるのが「型紙」という言葉。「どこの家庭にも応用出来る原型」。「この型紙をもとにして、それぞれの事情に照らし合わせて家事を経営してゆけば、各家庭の特色は一層鮮かに発揮されるでしょう」と。

そんな「型紙」を衣・食・住それぞれの領域別に図解・解説するのが「われらの衣食住展覧会」なのでした。同パンフレットの「住」編巻末には「よき生活の第一歩」と題した文章が掲げられています。

よき生活の第一歩は清潔である。
よき生活の第一歩は各々の身のまわりから、
よき生活の第一歩は各々の家庭から、
よき生活の第一歩は各々の団体から、
個々の生活を積んで美に到る。
個人の清潔、家庭の清潔、各団体の清潔は社会の美を創造する。
よき生活の第一歩は日々に積まれ相互いに及ぼし合って堅固になる。

家事・家計のコンセプトと衣食住への展開

衣・食・住の各分野に先立って、小冊子には「家事」と「家計」と題した文章を収録。「家事」のページには「一家の労力の基礎」と題して次の三箇条が示されます。

一、夫婦の労力が一家を支え得る見込みが十分にあって、初めて新家庭を持つことが出来る。
一、一家の経営に必要な労力は、家族がそれぞれの立場に於て分担したい。
一、すべての主婦は衣食住の経営に上達し、又これを合理化する能力を持ちたい。

労力、経営、合理化といった語句は、産業界での用語を連想させます。次いで「家計」のほうも見てみると、「一家の財力の基礎」として二箇条が掲げられます。

一、健全な家庭経済のために新家庭は先ず月の生活費の二、三ヶ月分の生活準備金をもって出発したい。
一、既に営まれている家庭もこの準備のない場合は、克己してまず一ヶ月の用意から始め、先月の収入で今月生活出来るようにしたい。

こうした家庭経営・経済を実現するためには、衣・食・住それぞれの分野においてどんな「型紙」がありえるのか。それを示すのが「われらの衣食住展覧会」だったのです。ちょっと簡単に衣・食・住それぞれのパンフレットに収録された内容について、見出しをもとに拾い出してみます。

衣の部
かくありたき私どもの衣服
衣類整頓
子供に衣類整頓のよい習慣をつけたい
娘の服装を美しく合理的に
衣類費の計画
友愛セール
協力衣類整理工場

「平常着をもっと合理的なものにしたい、平常着をもっと美しいものにしたい」という願いのもと、主人、主婦、子供の「衣」について作り方、整理の仕方、つくろい方、手入れ・くりまわしが実例まじえて説かれます。

そのほか、1年間の衣服費予算、不要な衣類を交換しあう「友愛セール」、そして日常や季節の衣類整理や廃品の更生をグループで行う「協力衣類整理工場」といった活動を紹介しています(図3)。

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図3 協力衣類整理工場(出典:われらが衣食住展覧会・衣)

食の部
かくありたき私どもの食事
一週間のくりまわし
誰でも栄養の知識をもちましょう
誰でも料理上手になることが出来ます
よい献立を立てるために
栄養必要量をとるためには一人一日最低二十五円の副食費がかかります
栄養、経済、能率にそれぞれ特色のある三つの実例
自由学園の昼の食堂

「日常の食事を、もっと合理的なものにしたい。日常のよい食事は、すぐれた健康を作り出す。さかんな活動力の源になる。たのしい一家団欒を生み出す」との考えのもと、栄養、技術、経済、労力の4点から「食」の在り方を提示しています。

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図4 食の「型紙」(出典:われらが衣食住展覧会・食)

最後に自由学園で実践されている昼の食堂を紹介。毎日、各組の生徒の手で、料理の先生に教えてもらいながら自分たちの食事を作る。「生活即教育」の実践です。

住の部
かくありたき私どもの住居
食生活に関する場所
家庭事務の場所
衣生活に関する場所
衛生に関する場所
友の会の協力家事整理・絵巻
家事労力
住居の経営
協力によって豊かな社会をつくりだそう!

「家族があかるく健康的な生活を営むことが出来る家、秩序のある能率的な生活を営むことの出来る家。家族各自の独立を重んじつつ、互いの間にあたたかい人情の育つような生活の出来る家」を目指し、「型紙」が提示されます。

住居設計と住居管理の両面から事例解説がなされています。巻末には「友の会の協力家事整理」なる試みを紹介。友の会の住居整理班なる人たちが「山本さんの家」に行って、ときめき片付けばりに整理してしまいます。「型紙」にはめてあげることで人生がかわる。

住の部は、一住居単体に話題はとどまりません。「協力によって豊かな社会をつくりだそう!」との謳い文句のもと、近隣が協力して豊かな生活環境をつくり出す。そんな試みとして「南沢協力生活」が紹介されています(図5)。「家庭は簡素に、社会は豊富に!」の具体的なヴィジョンをそこにみることができます。

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図5 南沢協力生活(出典:われらが衣食住展覧会・住)

戦前から戦後にかけて通底するコンセプト

「われらの衣食住展覧会」の内容は、1950年、戦後民主主義社会のなかで開催されたものながら、その実、戦前からさらに戦時にかけての思潮とそんなに乖離はありません。たとえば、戦前に開催された「家庭生活合理化展覧会」(図6、7)。

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図6 家庭生活合理化展覧会(出典:全国友の会HP)

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図7 家庭生活合理化展覧会(出典:全国友の会HP)

どんな内容だったのか。『80周年記念・全国友の会小史』(全国友の会、2010)をもとに見てみますと。

(1931年)11月15日から12月5日まで目白の自由学園の校舎を会場として家庭生活合理化展覧会が開催された。これは全国友の会で主催するはじめての大規模な仕事であり(中略)主要都市60カ所を巡回し、2年間にわたって開催された。
(中略)「小より大へ!孤立より協力へ!家庭より社会へ!一歩を進めよ!」の標語を掲げ、さかんな合理化展時代を出現した。
(『80周年記念・全国友の会小史』2010)

展示された内容も同書から拾ってみると。。。

すべて空箱利用で整理された家
4家族グループ住宅の提案
家族4人22坪半の小住宅(実物)
和洋なし食器の考案
新家庭85円の家計で2年間に6カ月分の生活準備金をつくる
赤坊を洋服で育てるには?その計画と作り方
乳幼児体操、等々

ここに出てくる「グループ住宅」の提案は戦後にもひきつづき研究がすすめられた企画。「共同すれば人造石の清潔な浴場にできるし、便所は水洗式で気持ちがよい」と推奨されました。戦後、深刻な住宅難に直面することで、この「グループ住宅」研究はより重要性が高まったといいます。

戦後の住宅難に『婦人之友』では研究グループを作り、「新しい家をつくるなら協同の子供部屋、炊事場等をもったグループ住宅を」と提案。個人の住宅は簡素だが公共の場は豊かにと、プールや生活会館を設けた団地にまで発想は広がった。
(『読者と歩んだ一世紀展』婦人之友社2003)

衣食住の「型紙」は、実際に生活が営まれる住宅の「型紙」にまで及んだのです。そして、そこで展開される「かくありたい」生活は、「型紙」を介するがゆえに、1950年の「われらの衣食住展覧会」でも1931年の「家庭生活合理化展」でも共通して示しうるものでした。

戦時生活用具規正展覧会

1931年の「家庭生活合理化展」から12年後、1943年6月11日から20日にかけて「戦時生活用品規正展覧会」と題した催し物が心斎橋そごうにて開催されました。この展覧会は「全国友の会」とは関係なく、大阪府、大阪市、大政翼賛会大阪府支部、そして代用品協会大阪支部の計4団体が主催となり開催されたもの。

後援は商工省。展示企画の担当には、住宅営団、商工省工芸指導所、厚生省生活局住宅課などが参画していて、戦時下にふさわしい住宅=戦時日本標準規格二号型(住宅営団)とそれにかかわる住生活用品全般を展示した企画だったことがわかります。

この展覧会にちなんで「戦時下の住ひ方:附戦時生活用品規正展覧会出品目録」なる小冊子がつくられました(図8)。展覧会が実施されるに至った背景が以下のように書かれています。

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図8 戦時下の住ひ方

大東亜戦争の現段階において対処し戦争の完遂を確固不抜ならしむるためには国民生活の消費を極力規正し皇国の総合戦力増強に必要なる部門に転活用することは刻下緊急の要請である。
従って国民生活の具たる生活用品もまた規正合理化し、実用簡素にして最小の資材をもって最大の機能を果たし、しかも洗練されたる美を保有し物質的にも精神的にも間然なき用具を生産供給することは戦時経済体制の上よりも国民生活の確保の見地よりも極めて重要なことである。

戦争によって否応なく求められる転活用。合理化や効率化、実用簡素であることによって洗練される美。勇ましい戦時の煽りが目立つものの、そこで推奨されているのは「合理化」「実用簡素」「効率化」などなど、戦前の「家庭生活合理化展」や戦後の「われらの衣食住展覧会」と重なる部分が多々なことに気づきます。同展覧会の小冊子には開催趣旨が次のように語られます。

本展覧会はかかる主旨のもとに研究試作されたる戦時標準規格品ならびに規格住宅を展示紹介し一般大衆に対しては超非常時下生活用具の正しき認識を与うると共に関係業者に対してはその動向と進路を明示し併せて同工業の健全なる発達を図らんとする次第なり。

こうした趣旨でもって、住宅営団、商工省工芸指導所、厚生省生活住宅課、中央物価統制協力会議、日本家具統制協会、日本漆器統制協会、日本陶磁器工業組合連合会が協力しながら展示企画を練り上げたのでした。

この展覧会には、住宅営団によって戦時規格住宅の現物模型が展示されたといいます(図9)。

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図9 戦時規格住宅(出典:戦時下の住ひ方)

解説文は次のように説明しています。

戦時下、国民の「住ひ方」は、どうあるべきか?いま、住宅営団十八年度実施予定の戦時規格住宅四種類のうち、最も数多く建てられる最小型の建坪七坪半の住宅をここに現示し、戦時住い方の手本を試みました。この狭屋を、なるべく間に合わせと、切り詰めた家具什器によって、いかに住みよい家にすることができるか?さあ次に住い方工夫を見ていただきましょう。

次に掲げられるのが、「戦時「住い方」心得」です。

 一、神棚、仏壇を正しく祀る事
 二、部屋の使いみちを明確にする事
 三、整理、整頓、清掃に努める事
 四、家具は配置を適正に、使いよい物を数少なく持つ事
 五、遊んでいる空間を充分利用する事
 六、防空、待避の備えを怠らぬ事
 七、家庭工作を心懸けて、なるべく自製、修繕に努める事
 八、簡素美と床しい嗜みを忘れぬ事 

掲げられた心得ひとつひとつは、いまでも通用するシンプルな生活かと。それを挟む「一、神棚、仏壇を正しく祀る事」と「八、簡素美と床しい嗜みを忘れぬ事」が精神性につながるためか、やや違和感かと。

ただ、むしろ心得二~七と一、八が併存している点が興味深い。いや、じっと眺めていると、そもそも二~七の心得はそうした精神性をもとにした実践行為としてみると、この心得一~八は一体のものだと理解できます。合理性・計画性と精神性・宗教性とが並存しています。

「狭屋を、なるべく間に合わせと、切り詰めた家具什器によって、いかに住みよい家にすることができるか」。そのための「住い方工夫」の実践へ向けて、「戦時間に合わせ工夫集」も紹介されています。什器、家具、燃料、節電、衣服料、洗濯など、日常生活の細部に至るまで、さまざまな工夫が示されていくのです。なお、このパンフレットの締めくくりは以下のような文章になっています。

この展覧会を御覧になった皆さん
我々の住宅も最小限の戦時規格型になり、家具を始め飲食器・台所用品その他家庭用品も全般にわたり規格化が行われ、最小の数と実質的なものになって来ていることがよくおわかりのことと思います。たとえ我々の衣食住がどんなに素朴なものになろうとも、そこに生活の豊かさと喜びを見出し、大東亜共栄圏確立の日まで戦時生活を勝ち抜こうではありませんか!

我々の衣食住がどんなに素朴なものになろうとも、いや、素朴になるがゆえに、そこに生活の豊かさと喜びが生まれる。「素朴」と「豊かさ」の反転・連続は、全国友の会が掲げる「家庭は簡素に社会は豊富に」と同じく、産業合理化的なロジックを生活に適用したもの。

さて、この展覧会の翌年には、規格住宅はさらに小さくなり、住宅営団決戦型豆住宅(六坪)なんてのも出てくることになります。戦争の現実は国民の「工夫」の限度をもはや軽々と超えていったのでした。

そして敗戦から5年後、「われらの衣食住展覧会」が開催。戦前から戦時、そして戦後。全国友の会と大政翼賛会。よく似た概念を用いて生活の刷新を謳っています。「合理化」や「簡素」といった言葉が時代を通して現実を変える力を持つとともに、時代背景によってそこに託される意味合いも異なってくることがうかがえます。

危機を乗り越える

さて、「われらの衣食住展覧会」が開催された後も、全国友の会はその時代に即した切り口で展覧会を開催していきました。たとえば。

1950年 われらの衣食住展覧会
1954年 こどもの食べもの着ものの展覧会
1956年 明るい農村展覧会
1960年 10,000人の主婦の創った家庭生活展覧会(図10)
1973年 生活即教育展

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図10 家庭生活展覧会(出典:全国友の会HP)

全国友の会、そして雑誌『婦人之友』、自由学園がさまざまな場面で語ってきた「合理化」「清潔」「美」といった理念は、羽仁もと子が熱心なキリスト教徒であったことから、宗教的な下地があるのはもちろん、アメリカ家政学や生活改良運動とも地続き。そして、モダンデザインで用いられる「衛生」とのつながりもあり、さらには産業合理化運動、戦時動員とも親和性が高い。また、羽仁もと子が嫌ったはずのマルキシズムとも実は相性がよい。

もちろん、同じ言葉を使っているからといって、同じ解釈である保証は全くない。むしろ、その時代に合わせて解釈が変化しながら、ときには新たな可能性を生む土壌となり、ときには選択肢を縛る足かせにもなったでしょう。

玉虫色であるがゆえに、その時代の空気や状況を反映しつつも、生活の簡素化は語られてきました。戦前から現在にまで続く全国友の会の活動を「生活合理化」を切り口に読み解いた本があります。

1908年創刊『婦人之友』の愛読者組織、「全国友の会」。家事の無駄を省き、余剰の時間や物を社会に還元することを目指すその活動理念、「生活合理化」とはどこから来た思想であったのか。「合理化」をキーワードに家庭と産業の歴史を重ね合わせ、その背後にある近代化のダイナミズムを生き生きと描き出す点で出色の一書である。

本書のはじめで、小関さんはこう言います。

暮らしに対する私たちの態度は、その時代の空気を映す鏡のようなものだ。東日本大震災以降シンプルライフが見直されているが、同じような機運の高まりが関東大震災の後にも起きていたことを知っているだろうか。日本の近現代史を振り返ると、日本の家庭生活は文明の進化とともに複雑化し、震災や戦争といった有事のたびに簡素化するということを繰り返してきた。
(小関孝子『生活合理化と家庭の近代』2015)

そして、「生活合理化」が「産業合理化」からの派生語であったことを指摘します。

大恐慌後、経済の立て直しが急務であった産業界を中心に産業合理化という翻訳語が広まると、「合理化」という言葉が時代を切り開く魔法の言葉として注目を集めるようになった。生活合理化は産業合理化の派生語として登場し、明治以降の家庭の近代化思想を取り入れて日本で独自の発展を見せた概念である。
(小関孝子『生活合理化と家庭の近代』2015)

そんな「生活合理化」を核に展開されてきた「全国友の会」ですが、時代によってその活動の在り方も変化してきました。小関さんは1995年からを危機管理の時代と名付けて「生きるための基礎としての生活合理化」と評しています。

「生活合理化」を体に染みつけることができていた会員たちは、阪神・淡路大震災時にボランティア活動の場でその力を発揮します。さらに東日本大震災を経て、友の会が追求してきた「節約」「節電」「持ち物を少なく」「モノを大切に」という価値観に時代が回帰してきたのでした。

ちなみに、この本は「全国友の会」を対象にしたものですが、新倉貴仁『「能率」の共同体:近代日本のミドルクラスとナショナリズム』は、1920年代から高度成長期までを貫く近代日本のナショナリズムを、産業合理化、大量生産技術、サラリーマン、都市と農村の人口問題、オートメーション、マネジメント(経営)といった概念をもとに連続的に捉えています。

一九二〇年代から高度成長期までを貫く近代日本のナショナリズムを「能率の共同体」という観点から捉えなおす。産業合理化、大量生産技術、サラリーマン、都市と農村の人口問題、オートメーション、マネジメント(経営)―こうした量と数、機械と能率をめぐるテクノロジーの変容は、同時代の諸言説とどのような影響関係にあり、国民という共同体の想像、ミドルクラスの文化や生活をどう規定したのか。吉野作造から丸山眞男、大衆社会の成立から消費社会化・情報社会化を縦横に論じ、ナショナリズム論に新境地を拓く、歴史的=理論的探究。

こちらの本では、第4章「マイホームをマネジメントする:一九六〇年代」にて、「全国友の会」とは異なる当時の庶民生活が取り上げられます。マイホーム取得に際して「自己の生の計数管理」を求められたこと、そしてそれが「個人的主体」とはほど遠い存在となったことを指摘するのです。「生活合理化」の技術が万能ではないことが、その指摘、というか、持ち家社会の諸相からもうかがうことができます。

戦争は、この意味で、正しいものと正しくないものとを率直に篩い分け、国家の前進にとって役に立つものと役に立たないものとを仮借なく区別した。これは平時の経済社会の到底なし得ない、ただ戦争という巨大な出来事のみがなし得たことである。合理的なものが貫徹する――それは筆者が感激を以って戦争から学んだ尊い教訓であった。
(大河内一男『社会政策の基本問題(増訂版)』1944)

経済学者・大河内一男が太平洋戦争末期に書いたように、大きな危機は正しいもの/正しくないもの、役に立つもの/役に立たないものを「率直に篩い分け」、「仮借なく区別」しにかかります。「家庭は簡素に、社会は豊かに」へと至る「篩い分け」や「区別」とはどんなものなのか。

関東大震災、昭和恐慌、太平洋戦争、戦後復興、オイルショック…たびたび見舞われる社会の危機を乗り越えてきた「型紙」。その一端を紹介する『われらの衣食住展覧会』のパンフレットからは、どんな時代背景にあっても気づかされ、役立てることができる思考や構え方の「型紙」を見出すことができるはずです。

(おわり)


参考文献
1)全国友の会編『われらの衣食住展覧会・衣』、婦人之友社、1950
2)全国友の会編『われらの衣食住展覧会・食』、婦人之友社、1950
3)全国友の会編『われらの衣食住展覧会・住』、婦人之友社、1951
4)大政翼賛会文化部編『新生活と住まひ方』、翼賛図書刊行会、1942
5)大政翼賛会大阪府支部ほか『戦時下の住ひ方:附戦時生活用品規正展覧会出品目録』、大政翼賛会大阪府支部ほか、1943
6)大河内一男『社会政策の基本問題(増訂版)』、日本評論社、1944
7)全国友の会編『80周年記念・全国友の会小史』、全国友の会、2010
8)婦人之友社編『婦人之友社建業100周年記念・読者と歩んだ一世紀展』婦人之友社、2003
9)小関孝子『生活合理化と家庭の近代:全国友の会による「カイゼン」と『婦人之友』』、勁草書房、2015
10)新倉貴仁『「能率」の共同体:近代日本のミドルクラスとナショナリズム』、岩波書店、2017

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