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自己紹介

影山健(たけし)と申します。
 名古屋市南区で生まれたと聞いております。その後、父の転勤によりまして生後10ヶ月で大阪府堺市に引っ越しをしました。ですので、記憶は堺から始まっています。
 小学校卒業まぎわに仙台市へ引っ越し、大阪から来た異邦人として好奇の目で見られました。中学、高校、大学と仙台で過ごし、就職で東京勤務となって以来これまで東京を中心を仕事をしています。
 小学校では野球、中学高校ではバレーボール、大学ではアメリカンフットボールに触れました。実は、アメリカンフットボールが一番好きなスポーツなんです。関西では昔からアメフトが盛んでして、今でも大学日本一には関西の大学がつくことが多くなっています。

新卒でロイヤル株式会社に入社
 アメリカ文化に憧れを抱く時代に育ちましたので、仕事を考えた時に真っ先に浮かんだのが、アメリカ発のブランドで働くこと。有難いことに両親には週末のレジャーとして度々外食に連れて行って貰いました。ファミリーレストラン等のチェーンは未だ本格的に展開していない時期ではありましたが、焼肉や寿司そして中華などによく行きました。
 自然と飲食への関心は高まりました。マックやKFC、ミスタードーナツなどが気になっていました。就職活動では、仙台から東京へ何度も足を運びました。そんな中で第一志望をマックにしました。「Up to you」と「日本一の高給を目指している」が決め手でした。ロイヤルはこれからハンバーガービジネスに参入することを日経の全面広告で宣言していることも知ってましたので、マックと並行してロイヤルにも訪問していました。
 両方から内定を頂きましたが、私の気持ちとしてはマックに入ることに決めていました。当時は11月1日に内定式というイベントがありましてそこで最終の意思表示をすることが慣例となっていました。前日だったと記憶していますが、ロイヤルの採用担当のマネージャーに新宿のカフェテラスロイヤルに呼び出されました。「君はマクドナルドマンになりたいのか、フードサービスビジネスマンになりたいのかどっち?」聞かれました。マクドナルドマンになりたい訳ではない、フードサービスに関わって店を増やし、自分の責任領域を拡げることが目標であることを再認識しました。「明日待ってるから」の一言でその場は締められました。どうしようか迷いましたが、当日はロイヤルの会場に向かいました。新規にハンバーガービジネスに参入することも決め手になったと思います。ロイヤルホストの店長からハンバーガー部門へ異動させるとのお話も私の背中を押してくれました。ロイヤル株式会社へ入社することになります。

ロイヤルで学んだこと
ロイヤルで学んだことは、ずばり「スタンダード」です。
基準、可否判断基準です。アメリカのコーヒーショップのオペレーション部門の副社長をスカウトして日本で仕事をして貰ったようです。その方のお名前は今でもロイヤルホストのパンケーキの名前に使われています。ディモズさん。徹底的にチェーン化に必要な単純化、標準化、専門化が行われていました。QSC +Aというクオリティーのフレームワークも整備されていました。絶対に妥協しないことをアタマと身体で覚え込まされました。とても感謝しています。ロイヤル=高品質のイメージが定着しているように思います。

ロイヤルホストでの勤務ディッシュウオッシャーまで
ロイヤルホスト駒沢店に配属されました。閑静な住宅街、駒沢通り沿いに立地。当時は、とても忙しく月商2,000万円を超える月も少なくなかったと思います。採用はとても厳しく、平日のランチでの人揃えは特に大変でした。配属日にお店に行きますと、店長から私が来ることはお店の皆さんには伝えられていなかったようでした。ちょっとショックでしたが、駐車場の清掃から始めました。そしてその後は、ディッシュウオッシャー(洗い場)へ。ディッシュウオッシャーはその後1ヶ月程度専念することになります。  
 一人で最大ピークを洗浄機を止めないでオペレーションすることが目標。作業手順の工夫だけでなく、とてつもないフィジカルが必要とされる高い、高い目標でした。ですが、この経験のお陰で洗い場には絶対の自信が持てるようになりました。

この回はここまでとさせていただきます。
最後までお読み頂きまして、ありがとうございます!
次回は、引き続きロイヤルホスト駒沢店での出来事について書く予定です。


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