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「酔客カッパ物語」─#ごちそうさまグランプリ

「あんな、兄さんに食べて貰いたいモノがあんねん」

「ほほう。何でしょうか」

 もう10年近く前の話だ。僕の立つカウンターはビストロのウェイティングバー。この方はここではお酒しか飲まない。大体、赤ワインを1本とウイスキーをダブルで2杯。それで毎週欠かさず3日ほど通ってくれているのだから、ありがたいお客様には違いない。しかしたまにはお勧めの煮込み料理くらい口にしてくれたらいいのにと思いながら、こちらはせっせとお酒を給仕する。

「最近この近所に出来た寿司屋でな、そこの”カッパ巻き”が旨いねん」

「まぁた随分なモノを紹介してくれますね。せっかく魚の美味しい冬だというのに」

「キュウリに1つ手を加えてるらしくってな。どっかが違う事は分かるけど、その何かが分からんねん。バーテンダーだったら舌も優れてそうやし、ほら、俺ぁタバコも吸うしなぁ」

 僕もタバコは吸うんだけどなぁと思いながらも、話の腰を折らないように「へぇ」と相槌を軽く返す。まぁまぁでも全国を飛び回りながら会社を経営されている方の事だ。毎回してくれるご当地グルメの話も面白いし、そんな舌が肥えた人でも分からない”隠し味”に興味を持った。

「今度の休みにでも行ってみますよ」

 数日経ち、緊張している自分がいた。

 なにせきちんとしたお寿司屋さんなど、数えるくらいしか行った事がなかったし、何よりも誰かしらに連れていってもらった事しかない。平日だったら空いているし気楽にカッパだけ食べて帰ってくりゃええやんと言われたがそういう訳にもいかない。きちんと予約をし、慣れぬジャケットを羽織った。

 お店の場所は大通りから1本入った商店街。僕が生活する川崎駅前の中でも明るい店が立ち並ぶところだ。存在を知ってはいたが改めて見ると綺麗な外観である。まるでサロンのようだ。

「あのぅ、予約していた者なんですが」

「いらっしゃいませ。どうぞこちらで」

 とても明るい店内についキョロキョロしてしまう。しかし緊張から座るや否や、「じゃあカッパ巻きで」なんて言ってしまったら、奇特な目で見られるだろう。いきなり本丸を落とすのは無粋だ。まずはビールと一品料理の小鉢を幾つか作ってもらい、一息つく。

 ただ実のところ、その時に何を口にしたのかは今となってはほとんど覚えていない。ただどれを食べても美味しかったのと、大将も気さくで意外と入りやすいお店だからまた近々来ようと思ったのと、そういったフワリとした感想だけが記憶に残っている。

「なにかおまかせで10貫くらい握ってよ」

 なるほどなるほど。そういう頼み方でも良いのか。隣の常連風の男の食べ方を見習いながら、目の前に出されるご馳走を1つ1つ味わう。日本酒も頼んじゃおう。ただ、酔い過ぎない程度にね。

 小一時間食べたのち、いよいよ”アレ”を作ってもらう。

「すいません。知り合いからカッパ巻きが美味しいと聞いたのですが、1つ作っていただけますか」

「はい、かしこまりました。あぁ、もしかしてあのお客さんかな。関西弁風の」

「そうですそうです!」

 どうやら先に僕が来る事が伝わっていたらしく、助かった。いよいよ一安心。こうなってしまえばここからは何も気にする必要はない。ただ出てきたモノを楽しみ切るだけだ。

「おまちどうさま」

 目の前に出された黒と白と緑のコントラスト。懐かしいなぁ。

「いただきます」

 1つ口へ運べば、確かに何かが違う。キュウリのそれとは違う爽やかさが広がって、先程までに魚の油と日本酒の甘さで疲れた舌が回復するようである。なんだろうか、美味しいのになんだか分からないなんて、もどかしい。考えながらも1つ、また1つ口へ放り込む。

 結局、全て食べ終わり、ない頭を捻ってあーじゃこーじゃ隠し味の食材を並べてみたが当たることはなかった。お会計の折、降参し聞いてみると、

「”柚子”を染み込ませているのです」

 言われてみれば、あのさっぱり感とほのかな苦味……。なぜ気づかなかったのだろうか。しかし香りはなく、口に入れると確かに感じれるなんて、まさに職人技!

 美味しいの先は感動だ。先輩に習ったその言葉を思い出す。寿司、酒の肴、そしてカッパと、全てに拘るこのお店が身銭で食べた初めてのお寿司で良かったと思う。ご馳走様でした。


JR川崎駅・鮨匠 Sakura (スシショウ サクラ)さんのお寿司

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『バーテンダーの視(め)』はお酒や料理を題材にバーテンダーとして生きる自分の価値観を記したく連載を開始しました。 書籍化を目標にエッセイを書き続けていきますのでよろしくお願いします。