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「ほろ苦くアイリッシュ・コーヒー」─バーテンダーの視(め)

『アイリッシュ・コーヒー』というカクテルがある。

 通常、アイルランドで作られるライト&スムースが特徴の”アイリッシュ・ウイスキー”を濃い目に淹れたホットコーヒーで割り、最後に生クリームを浮かべるクラシックの1つであり、12月を迎えたこの寒い時期にはもってこいのホットカクテルだ。そのシンプルな組み合わせだからこそ、バリエーションも無限大にある。

 簡単なアレンジとして、アイリッシュ・ウイスキーを好みの銘柄へ変えてみたり、コーヒーで割る際には砂糖を加えるのだが、それを上白糖だけではなく、三温糖やヘーゼルナッツシロップをブレンドした独自の甘味料にしてみたり、そもそもコーヒーの豆やブレンドをこだわってみたり……と、さすが、世界アイリッシュ・コーヒー選手権が行われるほど、とても広く愛されているのも頷ける。今ではその面影はあまり見かけなくなってしまったが、喫茶店で出てくるウインナーコーヒーよろしく、上に浮かべる生クリームを強めにホイップしても良い。

 まぁまぁ、そんな美味しいカクテルへのこだわりなんてモノは、それを作ってくれるバーテンダー諸氏におまかせすれば済む話なので、忘年会シーズンの今、ふと一息つきたくなったのなら、目に入ったBARでオーダーしてみてはいかがでしょう。

「おまえ、食後の”4C”って知ってるか?」

 昔、ビストロにてデザートをせっせと仕込んでいる折、シェフからこんな話をされた。

「分かりません。勉強不足ですいません……、それってなんですか」

「チョコレート、コーヒー、葉巻(シガー)、ブランデー(コニャック)。今作っている生チョコレートや、昨日教えたラングドシャみたいなプティフールもそうだが、フレンチはデザートの後にすら気を配る。こんな川崎のど真ん中で”4C”までも楽しもうなんて人は少ないだろうけど、だからこそメインディッシュだけじゃなく、そういった物も丁寧に作る事を覚えなさいよ」

 当時はナルホドォと声をあげただけだった少年は、今もBARでクッキーを焼いたり、テンパリングする際にふとこの話を思い出している。と、昔話はこれくらいに、少し話題を戻すと、この”4C”。カクテルで楽しめないかと考えた事がある。

 アイリッシュ・コーヒーは、そのベースのお酒をスコッチウイスキーにするとゲーリック・コーヒー。ダークラムではカリプソ・コーヒー。バーボンならばアメリカン・コー……、いやいや、残念。ケンタッキー・コーヒー。そしてブランデーに変えれば”ロイヤル・コーヒー”となる。作ってみればブランデーのせいで甘くなる過ぎるかと思いきや、酸味が際立ちシャープな味わい。そもそもブランデーは香りを楽しむお酒なのだから、ホットカクテルとも当然相性が良い。

 そのカクテルにハマるようになってから、自分が通うBARの条件が、”葉巻が吸えて、アイリッシュ(ロイヤル)・コーヒーが美味しくて、チョコレートが置いてある事”となった。ただ、横浜界隈では禁煙の流れが強いため、なかなか行きつけを増やせないでいる。

 もう1つ、アイリッシュ・コーヒーには思い出がある。

 ひょんな事から知り合って、何度か食事をする事のあった6つも年の離れた女性を好きになり、一緒にいられないだろうかと伝えた際、返ってきた答えは「今はまだ待って欲しい」。お互いに働き盛り、伸び盛り。忙しい中で会えるのが自分には癒しではあったのだが、彼女はどうやらそうではなかったようだ。

 その冬の帰り道、どうにもバツが悪かったため、

「寒いし、アイリッシュ・コーヒーが飲みたくなったから、一軒寄ってから帰るね」

 そう言って、別の電車に乗ろうとすると、

「あ、じゃあ私も行きます」

 とのお返事があり、なぜか2人で近場のBARにてこのカクテルを1杯ずつ飲んで、結局一緒に帰った。さっきの話などなかったかのように、その場は楽しかった記憶がある。

 もう日本にはいない彼女は、どうしているだろうか。旦那さんと幸せになってくれていれば、それで良いか。コーヒーカクテルの思い出だからって、こんなにほろ苦くなくってもいいのよ。ああ。

『バーテンダーの視(め)』はお酒や料理を題材にバーテンダーとして生きる自分の価値観を記したく連載を開始しました。 書籍化を目標にエッセイを書き続けていきますのでよろしくお願いします。