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「書く」を仕事にできる人は何が違うのか?

「書く」を仕事にできる人とできない人。

両者はどこが違うのでしょう?

「書く」という作業は、日本人ならほとんどの人ができます。パソコンやスマホに文字を打ち込むことは誰だってできる。それなのに、お金になる人とならない人がいるのは、なぜなのでしょうか?

ぼく自身2018年に独立しましたが、おかげさまで「書く」仕事でご飯を食べることができています。

今回のnoteでは、自分を含め、まわりの「書く」を仕事にできている人たちを見ていて気づいた「書くを仕事にする」ための5つのポイントをお伝えしようと思います。

①「書きたい」人というより「伝えたい」人である

まずはマインドセットの問題です。

書くことを仕事にできている人は「書きたい」というよりも「伝えたい」と思っている人が多いように思います。

「書きたい」という思いは悪くないのですが、そこに需要がなければ、どうしても自己満足の世界に陥りがちです。「そうは言っても文章で自己表現したい」という人は、作家やエッセイストを目指す道はありますが、狭き門であることを覚悟しなければいけません。

もちろん好き勝手に書いて楽しむことを否定しているわけではありません。ぼくも書くことでストレス発散をすることもあります。ただ「仕事にする」ということになると、また話は変わってくるのです。

ブックライターとして有名な上阪徹さんも「ライターに向いているのは『書きたい』人ではなく『伝えたい』人である」とおっしゃっていました。

「こんなおもしろいことがあるから伝えたい!」
「こんな感動したことがあったから伝えたい!」
「こんな素晴らしい人がいるから伝えたい!」

自分が前に出るのではなく、取材対象のことを読者に伝えたいと思っている人が「書くことを仕事にできる」人です。

②「自分」ではなく「他者」に興味がある

①に似ていますが、書くことを仕事にできる人は「自分」ではなく「他者」や「まわり」「世界」に興味がある人です。

「自分」に興味があって、「自分」を深掘りしていくタイプの書き手もいるとは思いますが、それこそ作家のような才能が必要です。「自分だけが取材対象」だとどうしてもネタ切れしてしまい、仕事を続けることは難しくなってくるでしょう。

よく、「書きたいんだけど、発信することがない」という悩みを聞きます。そういう人は、ほとんどの場合、自分のことを発信しようとしすぎています。自分の中にネタを探そうとしても大したものは見つかりません。そうではなく、外を見て、歩きまわって、人と話して、ネタを集めようとするべきなのです。

ぼく自身、誰かに聞いたことを発信することはよくあります。

8万超のいいねを獲得した上記のツイートも、キリスト教のシスターさんに取材で伺った話を伝えただけです。

上のツイートもお医者さんに聞いた話をまとめただけです。

「発信できない」と言う人のほとんどは、自分のことを書こうとしています。でも、自分の中には何もありません。そういうときほど、外を見なくてはいけないのです。

外に目を向けてみれば、おもしろいこと、伝えたいことが見つかるはずです。そのなかで自分の「フィルター」に引っかかったものを「書く」のも立派なアウトプットです。

③「執筆」以前に「取材」に力を入れている

「書く」というと、多くの人がパソコンに向かってパチパチと文字を打ち込む姿を想像します。しかし、この場合の「書く」は、書く仕事をしている人にとっては最終段階です。

パソコンで書く前には、本を読む、映画を観る、旅をする、食事をする、人に会う、話を聞くなどの段階があります。つまり「取材」です。材料を集めてきて、書くべきことが揃った段階ではじめて「パソコンで書く」ことができます。

いい文章うんぬんの前に「取材がすべて」なのです。

ぼくの持論に「おもしろい文章は、内容がおもしろい」というものがあります。超あたりまえのことなのですが、「おもしろいなあ」と思う文章は、内容がおもしろいのです。

文章の表現力や構成なども要素としてはあるでしょうが、圧倒的に「内容」がおもしろい。だから価値のある文章になるのです。そして「内容のおもしろさ」は、取材にかかっているのです。

取材をして「おもしろいなあ」と思えると「伝えたい」と自然と思えるようになります。すると、原稿を書くことも苦になりません。ぐんぐん進みます。

取材もせずに書こうとするのは、いい材料がないのにいい料理を生み出そうとしているのと同じです。これは至難の業です。でも逆に言えば、いい材料さえあれば刺し身でもいけるわけです。

これだけ情報があふれてしまうと「もう自分に発信することなんかないんじゃないか」と思ってしまいがちです。しかし、増えている情報というのは、二次情報、三次情報ばかりです。つまり、すでにある情報をもとにツギハギして生み出した情報ばかり。相対的に取材して獲得してきた「生の一次情報」は減っているのです。

これからの時代にやるべきことは、人に会うこと、外に出ること。自分だけの一次情報を手に入れることなのです。

④「自分のため」ではなく「他者のため」に書いている

これは「書く」だけではなく、すべての仕事に言えることかもしれません。

仕事として文章を書くときに、実はいちばんいらないのが「自分」だったりします。

つまり「恥ずかしい」「俺はこんなやつじゃない」「こんなの書きたくない」ということばかり言っている人はうまくいきません。そうではなく「世界に対して発信すべきことはなんだろう?」「これを伝えるとみんながよろこぶはず」というマインドの人のほうがうまくいきます。

ミュージシャンのなかにも食えないミュージシャンとプロのミュージシャンがいます。その違いはどこにあるのでしょうか?

うまいか下手か、でしょうか? でも、ものすごくうまい人でも、友だちとカラオケに行って「うまいね」と言われるだけで終わる人もいます。一方、あんまりうまくない人でも紅白歌合戦やレコード大賞に出る人もいます。

その差はどこにあるのでしょうか?

ぼくは「その人が歌うことで喜ぶ人がどれくらいいるか?」にかかっているのではないかと思います。どんなにうまくても、その人の歌で喜ぶ人がいなければ仕事になりませんし、どんなに下手でも喜ぶ人がいれば仕事になるのです。

プロは「自分のため」ではなく「他者のため」に仕事をします。一部の天才は「自分のため」を極めることで結果的に「他者のため」になるかもしれません。でも、それを真似するのはリスキーです。

うまくいく人は「他人目線」でものごとを見ている。書くことを仕事にしたいのであれば、この「他人目線」を獲得することです。自己満足にならず、仕事として書くためには、この他人目線が重要だと思っています。

⑤なにより世界をおもしろがり、仕事を楽しんでいる

「文春砲」という言葉でも知られている「週刊文春」の編集長・新谷学さんは「おもしろがることが大切だ」と仰っています。

書くことを仕事にできている人を見ていて思うのは「楽しんでいる」ということです。人に会うことを楽しんでいるし、「今回はどういう話が聞けるのかな」とワクワクしています。いい取材ができると、書くときも「これをみんなに早く伝えたい!」とワクワクします。

書くことを仕事にできている人は「本音」で仕事をしています。取材でもウソをつかずに、本当に聞きたいことを聞きます。「おもしろい」と思ったら「おもしろい」と言うし、つまんないときは聞き方を変えます。

あらかじめすべての質問を考えてきて一問一答になる人もいますが、「質問のための質問」ほどつまらないものはない。ウソの取材からはウソっぽい原稿しか生まれない。それでは書く仕事を続けるのは苦痛なだけです。

とにかくおもしろがる、楽しむことが大切なのです。

AI時代のライター・編集者の価値

人工知能が発達していくと、書くこともいずれはコンピュータがやるようになるかもしれません。すでにシンプルな記事はAIによって作成できます。音声認識がより発達すれば、「書く」ということをしなくても「話す」だけで記事ができあがるかもしれません。

そういう時代に、ライターや編集者の価値とは何なのでしょうか?

ぼくは最終的に「生き方」になると思います。「どういう生き方をして、どういうことを考え、どういうことを感じたのか?」それが書く仕事をする人の価値になると思うのです。

書くことを仕事にしたいのであれば、文章の技術を磨くことも大切かもしれませんが、それよりも世界をおもしろがること、楽しく生きることのほうが大切なのかもしれません。


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