自伝”光の啓示「第4章 上海進出!」
こんにちは、現在は世界初の新技法「ホログラムズコラージュ」のパイオニアとして活動しているTakayuki Hibinoと申します。
定期購読マガジン「光の啓示」では、1989年の夏、私がアート活動を始めたきっかけになった光の啓示から現在に至るまでの経験や出来事を記憶にある限り綴っていく実話です。
世界情勢が急激に変化していく中で、16歳からきびしい世の中をサバイバルしてきた私の経験が少しでもあなたにお役に立てれば幸いです。
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第4章 大躍進!のつづき 上海進出!
2005年お互いの芸術を追及しさらなる飛躍をするために、
ユニット:WASABIは活動を休止して
私は中国・上海にアート活動拠点を移した。
中国も新しい現代アートのギャラリーが、
増えていく時だった。
日本と行ったり来たりではあるが、
上海、虹橋・グーベイの近くのマンションを借りて
アートマーケットや中国人アーティストについて取材。
莫干山路50号に足しげく通った。
中国のアートマーケットは日本と比べて全く違っていた。
日本にはアートマーケットは存在していない。
アートに対する国の方針も全く違う。
残念だが日本はアーティストにとっては悪い場所だ。
せっかく中国にいるということで、
上海だけではなく
やはり、ホログラムズコラージュで制作している
アーティストはいなかった。
北京・万里の長城、安徽省・黃山など観光をかねて取材。
中国の取材の中で一番は何と言ってもチベット自治区に訪れたことだ。
目的は、インドにつづいて曼荼羅を学ぶためとチベット密教の取材。
ここは必ず行かなければならない場所。
ホログラムで曼荼羅を表現するには、
まず本物(実物)をみて、学ばなければいけない。
必ず本物(実物)を見ることが大切なのだ。
本や図録では見えないものが多い。
実物なら見えないものも見えてくるというものだ。
海外に行くことも同じで、その土地の空気感、
臭い、文化、習慣、料理、言語など
行かなければ、分からないことがある。
作品としてアウトプットするには、
その土地で肌で感じることが重要で、
本や図録では、感じことができない。
だからダメなのだ。
チベット自治区に行くには、
今は線路が通り、鉄道で行くことができるが、
当時はまだなく、飛行機でいくしかなかった。
チベット自治区に入るには特別なビザが必要で、
それがないと入ることができない。
しかもラサの空港は標高3500メートル、
いっきに富士山の頂上まで行くようなものだ。
高山病に気をつけなければならない。
そして、待ちにまったチベット自治区に行く日がきた。
上海から西安を経由しラサクンガ空港に到着し、
車移動して1時間30分ほどでラサ市街についた。
ラサ初日は、身体を慣らすために軽い食事とホテルでゆっくり過ごした。
翌日、ポタラ宮を1日かけて取材した。
ポタラ宮は13階建て、内部に数多くの壁画、霊塔、彫刻、塑像を持つチベット芸術の宝庫でもある。
面白いのは、歴代ダライラマの霊塔にお布施をするのだが、
賽銭を入れるときに、賽銭箱からお釣りをもらっていいのだ。
例えば1万円入れたら9千円賽銭箱からお釣りをもらうことができる。
歴代ダライラマの霊塔は数階にあるので
そのたびにお布施をするのですごく合理的。
そして、不思議なことがあった。
ダライラマの子供部屋に入ったとき、
見学に並んでいる人々のなかで、
私だけ部屋番をしているチベット密教の僧侶に呼び止められ、
チベット語でなにか話しかけてきた。
ガイドに通訳してもらうと、
僧侶:あなたは、ダライラマと縁がある。
また、ここへ来ることになるだろう。
必ず。
とのことだった。
マジか、そんなことがあるのか。
なぜ私だけ呼び止められた。
あれからちょうど12年
これも「光の啓示」が導いたということなのか。
ダライラマといえば、チベット密教の千手洗眼観音菩薩の化身。
私となにか関係でもあるのか。
チベット曼荼羅には興味があったが、
チベット密教については、転生輪廻ぐらいであまり知らない。
少しチベット密教も勉強するか必要があるかもしれない。
そんなことを思いながらポタラ宮の屋上まで来た。
そこで、巨大なタンカ(仏画・曼荼羅)の修理をしていた。
それにしてもデカイ。
チベットに来てインドとはまた違う
宗教の凄さを身にしみて感じたのだった。
つづく
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