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自伝”光の啓示”「第3章 アーティストビザ取得」
こんにちは、現在は世界初の新技法「ホログラムズコラージュ」のパイオニアとして活動しているTakayuki Hibinoと申します。
定期購読マガジン「光の啓示」では、1989年の夏、私がアート活動を始めたきっかけになった光の啓示から現在に至るまでの経験や出来事を記憶にある限り綴っていく実話です。
いま世界情勢が急激に変化していく中で、16歳からキビシイ世の中をサバイバルしてきた私の経験が少しでもあなたにお役に立てれば幸いです。
第3章 ナレンダーからの依頼。のつづき アーティストビザ取得。
インドの美術留学生ナレンダー・レディの
アーティストビザ取得のためのスポンサー探しは、
思ったより早く決まったのだった。
当時から私を応援していただいている
名古屋の広告代理店の社長K氏。
出会いはパルコ・アーバナート#4の入賞した時に、
お世話になった写真家の紹介だった。
それ以来の長い付き合いのK氏ですが、
私が苦しい時もアート活動を支えてくださった恩人の一人だ。
このK.K氏との出会いがなければ今の私はいないだろう。
ナレンダーのアーティストビザ取得の時も、
惜しまない協力をしていただいた。
しかし、ナレンダーのアーティストビザ所得は、難航した。
![興行ビザ許可](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/21836785/picture_pc_c36638e7c6b3b88a260c6e606cfc6f22.png)
彼が留学生であったことが初めての事例だったので、
入管としてもアーティストビザ取得を許可するか、
検討しなければならなかったのだろう。
なぜならば、初めて日本に来た時は留学生。
日本での留学が終わりそのままインドへ帰国すれば、
日本で美術を留学勉強してきただけなので、
母国では、また一からアーティストとして活動を
始めなければならない。
しかし、日本でのアーティストビザ取得となれば、
日本で認められたアーティストということになる。
プロのアーティストとして日本で活動した実績を
みやげに帰国することなる。
例えば私が、アメリカ・ニューヨークの美術大学を
留学後帰国してアート活動を始めることと、
留学後そのままアメリカアーティストビザ取得して
数年間NYでアート活動をしてから帰国するのでは、
すべての面での受け取り方が違い、
のちのアート活動も全く違ってくる。
つまり、作品の価値も全く違うものとなる。
また、日本でアーティストビザ取得したことが大きいのだ。
なぜならパスポートにアーティストビザ検証が貼られるからだ。
![画像2](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/21836911/picture_pc_067721e67a7f8071332e748257c0e7ca.jpg?width=1200)
世界中の空港の入国審査でそのパスポートを見せれば、
どこの国に入ろうが、日本がアーティストとして、
証明した証拠になるからだ。
自称で「私はアーティストです!」と
いちいち言わなくてもいいのだ。
自称”アーティスト”ではない証拠になる。
この価値が、どれだけ凄いことか。
今思えばそういうことにも気が付くのだが、
当時はそんなこともわからなかった。
ただ異国からきた友人の希望を
叶えてあげたい一心で、
何度も入管に通ったのだった。
入管も初めはそっけない対応だったが、
何度もかよううちに私の熱意も伝わったのだろう、
担当者とも顔見知りとなり、
親身に対応するようになった。
そして、ダメ出しをひとつひとつ修正していった。
その結果。
通うこと5回目に、1年のアーティストビザを
取得することができた。
見事に難関を突破した。
入管でナレンダーも受け取ったパスポートをみて、
アーティストビザの取得におお喜びした。
私も異国の友人の手助けができてほんと嬉しかった。
しかし、喜ぶのはまだ早かった。
ここからがさらにいろんな問題がおこるのでした。
つづく
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