見出し画像

教#016|中学校受験は、どんなにきれいごとを言っても、12の春に泣く子供がでる~「漫画:二月の勝者」を読んで⑪~(たかやんnote)

「二月の勝者」を読んで、中学受験について、書き始めました。何か、心の中に引っかかるものがありました。その何か(something)が漠然としていて、それを突き止めたいと云う思いがありました。たかやんノートを全部で、22個書きました。400字詰め原稿用紙にすると、120枚くらい。プロの作家の方に、100枚くらい書かないと、(テーマが)見えて来ないと言われたことがあります。で、見えて来たら、最初の100枚は、捨てていいと言ってました。120枚書いて、少し見えて来ました。中学受験について、語ってみたいと云う気持ちは、あります。前の前の学校の教え子たちの子供が、あと何年かすると、中学受験のstartの時期を迎えます。その時、教え子に「子供の中学受験を考えているですけど」と、相談されたら、やっぱり、いっぱしのことは、言えなければいけませんし、少なくとも、考えるヒントぐらいは、与えてあげる必要があります。

 原稿用紙にして、500枚くらい書けば、ひとつのテーマについて、だいたいの大枠はつかめるようになります。私は文章を書くことによって、物事を理解して来ました。プロではありませんが、姿勢は、プロのノンフィクションの作家の方と同じです。書けば理解できて楽しい、だから書いています。

 東京大学には、予備校や塾に行かなくても、独学で勉強して合格することができます。ある程度の情報収集能力があって(これがないと参考書や問題集を選ぶことができません)自己管理ができる人間力があれば、自学自習で東大に合格し、学力も身につきます。中学受験は、違います。東京の男女御三家、筑駒、渋谷学園、あるいは関西の灘、東大寺学園、洛南、甲陽などの難関中学校には、塾に行って、受験対策をしない限り、絶対に合格できません。ハーバードやエール、MITやCITに進学するよりも、超過熱した受験バドルの世界です。私が、常日ごろ、取り組んでいるMARCHクラスの受験対策とか、正直、コップの中のほんの小さなさざ波って感じがします。MARCHの受験生には
「開成中の合格者は、オマエらの百倍以上、努力している」と、きっぱり断言できます。

 昔、美濃部都知事時代に、15の春は泣かせないと云って、日比谷を頂点とする、都立のエリート校システムを解体して、今にいたる訳ですが、都立のエリート校のシステムを解体したので、男女御三家は、急浮上したわけです。あちらを叩けば、こちらが顔を出す、モグラ叩きと同じです。

 中学校受験は、どんなにきれいごとを言っても、12の春に泣く子供が出て来ます。大学受験だと18の春にサクラチル(もう死語ですが、その昔の大学不合格の電報文のフレーズです)。18の春に、泣くのは、まあ、やむ得ないかなと思います。浪人上等、一浪で自己を徹底的に鍛えて、翌年、合格して、現役合格者たちに、浪人の一年間で培った人間力を見せつけて欲しいです。

 15の春に泣くのは、やっぱり可哀そうです。が、高校浪人をして、一浪後に、第一希望の高校に入学したと云った話は、聞いたことがありません。どこかの高校に入学して、学校になじめなくて中退し、翌年、別の高校に進学すると云うケースはあります。そういう生徒を、今まで何人か見ましたが、リベンジして、上の学校を目指すと云うのではなく、クラスの中の人間関係がしんどくて、自分の居場所を確保することができず、翌年、別の学校にnew deal、新規蒔き直しで、進学すると云うケースが、圧倒的です。だいたい、偏差値の下の学校に入り直します。

 私自身も、最初に入った学校を途中で辞めて、翌年、偏差値の低い学校に入り直しました。居場所がなかったわけではありません。が、何か違うなと、ずっと感じていました。そのあたりは、別のノートに少し書きました。

 ソクラテスは、ダイモーンの声が聞こえると語っていました。ダイモーンの声は、常にNoだと意思表示するそうです。ソクラテスが何かしようとすると、それが正しくない場合、大きな摂理が、ソクラテスにNoだと、囁きかけるわけです。デルフォイのアポロンの神託とは違います。デルフォイの神託は、verse形式なんです。つまり韻文です。割合、主観的に自由に読み替えが可能です。ダイモーンの声は、ただひと言、「No」と云うだけです。

 非キリスト教徒が、クリスチャンになる場合、コンバージョン現象が起こります(私にはコンバージョンは起こってません。だからクリスチャンには成れてません)。パウロがガチガチのパリサイ派から、クリスチャンになったのも、アウグスチヌスが、マニ教徒からキリスト教に改心したのも、神の声が聞こえたからです。もう逝去されましたが、埼玉の教会の牧師さんと、時々、しゃべっていたことがあります。その牧師さんは、熱海から東京神学大学に通っていた時、ある朝、熱海の海が、金色に輝いて見えたそうです。それが、コンバージョンだったと語っていました。海が金色に輝いて、コンバージョンが起こる、あり得そうです。

 私の場合のダイモーンの声は、音声ではなく色の濃淡で語りかけて来ます。Colorではなく、モノクロです。黒から白までのグラデーションがあって、灰色が濃い場合、それは不可なんです。白にはならないんですが、灰色がすーっと透き通って透明に近くなります。灰色が濃い場合はNo、灰色が透き通っている場合はYesです。私は、こうやって、モノクロのグラデーションを見きわめながら、人生の決断をして来ました。最初に入った高校にいた時、灰色は濃くて、翌年、別の学校に入り直すと、灰色は薄くなりました。県庁にいた時も、やっぱり灰色は濃かったんです。
「どうにかせんと、いかんきにね」と思っていた所に、「Anarchy in the UK」が聞こえて来て、進路の方向が、一瞬の内に、変わりました。

 ところで、「二月の勝者」。中学受験に、こだわってなかったわけではありません。が、それよりも、子供時代のあり方について、自分自身の過去も踏まえて、きちんと考えてみたいと思ったんです。自分自身の過去は、「西森さんの思い出帳」の方に書きます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?