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37歳。東京から群馬県高山村に移住しました。// 移住STORY1

里山移住生活の連載、はじめます

はじめまして。2021年夏、群馬県高山村に移住してきました、山中麻葉です。名前の「麻葉」は、「マハ」と読みます。よく、あだ名かと思われるのですが、本名です^^ 1984年生まれで現在37歳。これから私の移住STORYを連載でお届けしていきます。だいたい、月に1回くらいのペースで更新していきますよ。
群馬県高山村へ移住を検討している方はもちろん、里山暮らし、田舎暮らしを検討している方々の興味に合うような話をしていきたいと思います。また、高山村で私がどんな暮らしをしているのか、関心を持ってくれる方にも是非読んで頂きたいです。
都内から里山に移住した37歳のリアルをお届けしていきます。

都内に暮らす30代普通の夫婦が里山に移住した理由

2020年。コロナが猛威をふるい、はじめての緊急事態宣言が発令された時、私は東京の杉並区に、夫と暮らしていました。その頃はまだ子どもがおらず、夫婦二人、それぞれの仕事を持ちながら日々を過ごしていました。
夫は都内の専門商社で商品調達や経営管理の仕事をしており、私は婦人服のオーダーメードのお店をオンラインで営んでいました。
都内に暮らす普通の30代夫婦である私たちがなぜ、縁もゆかりもない群馬県高山村に移住する事になったのか、物語の中心には「アーミッシュ」という人達の存在があります。

「小さなアーミッシュ村をつくりたい。」という夢を叶えるための移住

「アーミッシュ」とは、アメリカに暮らすキリスト教の一派で、200年から300年前にヨーロッパから渡ってきた人達です。移民当時の伝統的な暮らしをできるだけ維持しようとしていて、メインの移動手段は馬車。電化製品やインターネットなどのテクノロジーの利用を最小限におさえ、自給自足に近い生活をしている事で知られています。

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実は私、アーミッシュの文化に学生の頃からのめり込んでいて、現地アメリカのアーミッシュコミュニティに足を運びながら彼らのことを調べています。詳しくは、「Down to Earth アーミッシュの暮らし」というブログ、もしくは著書「アーミッシュカントリーの美しい暮らし」の方に、色々と書いております。

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アーミッシュの家庭に滞在し、彼らの文化を体験しながら多くのことを学びました。そのうち、「私も日本でアーミッシュのような暮らしをしたい。日本版の小さなアーミッシュ村のようなものをつくりたい」と願うようになりました。夫も私の希望に賛同してくれて、二人でいつか日本の里山に移住して、夢を叶えられたらいいナ……と考えていたのです。
そこに、コロナが来て、緊急事態宣言があり、夫の勤務形態が完全リモートに変わりました。里山に移住するのはもっと先だと思っていましたが、今こそチャンス! ということで、移住先を探し始めたのでした。

長野県、山梨県を探し、群馬県に辿り着く

はじめは、移住地として人気の八ヶ岳の南嶺エリア。具体的には、長野県原村や富士見町、山梨県の北杜市などの情報を集め、実際に足を運びながら中古物件や土地を探しました。が、ビビビっとくる出会いは残念ながらありませんでした。そこで、東京の有楽町にある「ふるさと回帰支援センター」に赴き、興味のある自治体のブースを巡って相談をしたところ、群馬県の担当者の方と意気投合し、候補地として群馬が急浮上してきました。実は、私の営むワンピースのお店の展示販売会を群馬県で二度ほど開催していて、群馬には友人・知人が多く馴染みもありました。

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↑群馬県前橋市の「橋市芸術文化れんが蔵」で展示販売会を開催した時の仲間
群馬の仲間達からも「群馬いいよ〜」と移住をおすすめしてもらい、群馬内の色々な自治体の情報を集め始めました。

自治体の垣根を越えた一体感。「オールぐんま精神」の移住コーディネーター

群馬県でイベントを開催していると、群馬県民の県民性というか、特徴のようなものを感じるようになりました。それは、「群馬県内ならみんな一緒」というような感覚。前橋市や伊勢崎市でイベントを開催しても、群馬のあちこちから人が集まってきてくれるし、自治体の垣根を超えて情報と人がスムーズに行き交っているのです。私はこの群馬の一体感を勝手に「オールぐんま精神」と呼んでいます。移住相談もまさに「オールぐんま精神」が顕著に現れています。各自治体には移住コーディネーターという移住案内のエキスパートがおり、移住希望者の相談や現地案内の役割を担っています。この移住コーディネーターは群馬の全自治体で横につながっており、常に連携し合っています。例えば前橋市の移住コーディネーターに相談すると、その方を通して他の自治体の情報も入ってくるのです。その相談者の要望を叶える自治体として前橋市がふさわしくなかったら、他の自治体を案内してくれたりもします。
移住コーディネーターの一人一人が、「自分の自治体に移住者を増やしたい」という下心ではなく、「その人にフィットする移住地を群馬のどこかで見つけよう」という気持ちで任務にあたっている印象を受けました。
そんな「オールぐんま精神」に助けられて、私達も前橋の移住コーディネーターの方から中之条、そして高山村を紹介してもらいました。


憧れのお店「カエルトープ」を営むサキちゃんに出逢う

実は私、その前から高山村には目を付けていました。前橋での展示販売会に協力してくれた仲間が高山村の「カエルトープ」という場所でカフェイベントを開催している様子をinstagramで見て、「なんて素敵な場所なんだろう」とうっとりしていたのです。そしてなんと、高山村の移住コーディネーターはその「カエルトープ」を営む一家の娘さんだったのです。それはそれはワクワクとしながら、高山村の移住コーディネーター「サキちゃん」に移住相談を持ちかけました。

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↑はじめてカエルトープに訪れた日

高山村で、夢を実現している人達に出会う

はじめて高山村に足を踏み入れた時、「ここに移住するかもしれない」という予感をすぐに感じました。それは、村の中心地の広けた景色が、アーミッシュカントリーの景色に似ていたから。平らな土地に田んぼが広がるのどかな農村の景色。ここに馬車を走らせたら、ものすごく絵になるなぁ……と想像が止まりません。そして、憧れのカエルトープに到着。自分達の手で改築したお店、カフェスペース、ギャラリースペース、お庭の焚き火小屋、当時サキちゃんが事務所に使っていた小さな小屋を見せてもらいました。

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カエルトープには私の思い描く「小さなアーミッシュ村」に通じる物を感じました。自らの手を使って住む場所を作り、畑を持ち、家族が協力しながら仕事を営むというのは、アーミッシュの特徴でもあるのです。
私のやりたい事と似ている事を既に実現している人達がいる。この事実は、高山村への移住を決めた大きな理由の一つとなりました。
この日はカエルトープだけでなく、高山村で自分の理想の暮らしを実現している人達のお宅を巡りました。

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↑幼い時から大好きな馬と暮らす方

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↑自分でログハウスを建てて暮らす方

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↑セルフハーフビルドのおうちに暮らす方(床がなく、地面の上がリビング!)

はじめての高山村訪問で、自分の理想の暮らしを実現している人達に出会い、直接お話しも聞かせてもらいました。その方々の心地良さそうな暮らしを目撃し、高山村のポテンシャルを感じずにはいられません。一気に盛り上がる感情を抑えつつ、冷静に、客観的に高山村の魅力を分析してみる事にしました。

冷静に分析してみた、高山村の移住条件

高まる感情を抑えながら、夫と一緒に高山村の魅力を客観的に整理してみました。すると、大きく6つが挙がってきました。
1、土地が安い。
……長野や山梨の移住の人気地と比べて、土地の単価が圧倒的に安いのです。私が調べた時は、1坪1万円平均でした。1,000坪とか3,000坪とか、広い土地で夢を叶えたいと考えていたので、リーズナブルな土地の価格は魅力でした。
2、都内から近い。
……都内から関越道を使って2時間でアクセス可。私の実家が東京なので、家族から大きく離れないで移住したかったのです。(そのため、関西や九州エリアは最初から候補からはずれていました)
3、新幹線の駅が近い。
……車でのアクセスのほか、新幹線の「上毛高原駅」を利用できます。上毛高原駅からは車で15-20分。当初、夫は都内の会社に勤めながら移住を検討していたので、週一ほどであれば新幹線で通勤ができるというのも魅力でした。
4、夢を叶えている先輩移住者がいる。
……例えばカエルトープは、私の思い描く夢にとても近く、高山村はそういう夢を叶えられる場所である事が分かりました。
5、中途半端な田舎ではなく、しっかり里山、しっかり農村
……移住にあたって、都内へのアクセス以外の便利さはそれほど求めませんでした。不便であればあるほど良いとすら考えていました。そういう目線で移住候補地を眺めてみると、意外と開発されているところが多かった中、高山村は人口3,500人で、大型スーパーもドラッグストアもなく、きちんと里山、しっかり農村なのです。
6、寒冷地。だけど雪は積もらない。
……高山村は寒冷地に属します。標高も高く、冬は最高気温が0度なんて事もあるそうな。でも、雪はあまり積もらないというのが救いでした。雪国に住むとなると、住居や装備など、衣食住の基本、毎日の行動が変わってくるので、きちんと検討する必要があると思います。
7、「高山村=◯◯」という色がまだ付いておらず、可能性が無限
……移住先を探していく中で、人気のエリアはすでにブランド化されており、ある程度の"カラー"がある事が分かりました。自分の思い描く暮らすフィットするカラーであればちょうど良いのですが、フィットしないこともあるはずです。そういう観点だと、高山村はまだブランド化されておらず、自由な感覚で活動がしやすいと感じました。

最初の壁:移住したいのに住む家がない!

ここで私達は住む場所のコストについて考えはじめました。当時、東京杉並区の賃貸で暮らしてた私達。家賃は16万円でした。そして、高山村の家賃の相場は3〜4万円。引っ越すだけで家賃が1/4になるという計算です。東京に住みながら移住地を探すのは、意外とコストがかかりました。レンタカーを借りて長野や山梨、群馬の移住候補地に赴き、宿に泊まって、色々な土地や物件を見て回るだけで数万円がすぐにとんで行ってしまいます。であれば、そうそうに候補地の賃貸に引越して、住みながら定住する場所を探した方が良いのでは、と。それに、いきなり大金をはたいて土地や家を購入するのはリスクがありすぎるので、まずは賃貸で試験的に暮らしをスタートさせて、土地に慣れてきてから定住地を取得するというステップの方が賢明だと判断しました。

そこで、最大の候補地である高山村の賃貸を探し出したのですが、大きな壁が立ちはだかりました。そう。賃貸の物件がほとんどないのです……。

移住者を積極的に募っているけど、住む家がないーー。実は、こういう問題を抱えている自治体は多いそうです。高山村も例外なく、空き家はあれどもリノベーションが必要ですぐに住めないという状況でした。(現在、この状況を改善する取り組みがスタートしています。)役場の地域振興課の方や移住コーディネーターのサキちゃんに奔走してもらい、賃貸で、すぐに住める場所を探してもらいました。が、候補は本当に1〜2件しか見つかりませんでした。

妊娠。そして、夫の退職決意。住む家も決定。

東京で暮らしながら高山村の家を探しはじめたある日、私の妊娠が発覚しました。泣いても笑っても10ヶ月には子供が産まれるという事で、それまでには移住を完了させたいと焦り出しました。さらに、私が妊娠した事で、夫の仕事に対する価値観、人生に対する価値観も変わってきました。このまま今の会社で働き続けながら移住するか、もしくは今の会社をきっぱりやめて、新天地で新しいライフスタイル・働き方を模索するかを熟考し、後者の道をとる事に決めました。子供と関わる時間をたっぷりと確保したい、というのも大きな理由の一つでした。
夫が会社を辞める事を決意すると、高山村の村営住宅に入居できる事になり、ついに住む場所が確定しました。とりあえずスピーディーに村営住宅に移り住み、子育てをしながら新しい暮らしをはじめ、賃貸に住みながら定住地を探すという計画が実現する事になりました。

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次回の連載では、引越し、高山村での滞在、里帰り、出産についてレポート。私達が何に驚き、感動し、どんな出会いが待っていたのかお話します。……お楽しみに!


山中麻葉 Maha Yamanaka
1984年生まれ。30歳を機にサラリーマン生活に終止符を打ち、ワンピースのオーダーメードのお店を起業。2021年夏、群馬県高山村に、夫と娘と移住。夢は、小さなアーミッシュ村をつくること。

Down to Earth アーミッシュワンピースのお店 
> instagram @shop_down_to_earth
> 著書「アーミッシュカントリーの美しい暮らし」

【お知らせ】
2022年は全国でアーミッシュワンピースの展示販売会を開催します。ワンピースを試着して、その場でオーダーが可能です。ぜひご来場ください。
● 東京都国分寺市
5月13日(金)~15日(日) 東京都国分寺市「カフェスロー」
 各日程11:00~17:00
● 宮城県仙台市
6月18日(土)、19日(日)宮城県仙台市「ブランチ仙台」
● 大阪
10月5日(水)~10日(月)大阪府大阪市「阪急うめだ本店」
● 熊本県南阿蘇村
10月熊本県南阿蘇村 詳細は決まり次第アップデート
● 福岡県福岡市10月福岡県福岡市 詳細は決まり次第アップデート


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