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人生振り返り 3.11からの「挫折とご縁と使命」編

人生振返り、第三章となる今回のブログは
3.11から、自分の使命に出会うまでを書いていきたいと思います。

前回、当初予定していたボリュームを超える内容となりました。
振返る中で、埋もれていた記憶がどんどん出てきました。

今回は3.11から10年の内、前半の5年。2011年3月~2014年3月
25歳~27歳くらいの人生の歩みを振り返っていきます。

時は、2011年3月11日 東日本大震災を東京・練馬で体感した自分は、何もできずただテレビを見て呆然と立ちすくむことしかできませんでした。

あの時、全ての電車・地下鉄が止まり、金曜日でした。
私は緊急時のヘルメットを被り、茗荷谷寮まで歩いて、帰りました。

すれ違った、ガラの悪い30代くらいの方がマジだりぃ。と言っていた姿に無償に肚がたちました。こいつ、東北がこんな大変な中なのに、その態度許せない! 訳の分からないことに心が乱れていました。

寮に帰宅後、テレビで被災地の映像を見ていると、非常に落ち込みました。
地元の悲惨な状況。
それに対して、自分は何もできない。
この時に感じた「無力感」は忘れません。

災害時緊急連絡で安否確認を行い、どうやら家族が無事であることを知り、ほっとしました。

その当時、会社からは許可なく、被災地にボランティアに行く事は制限されました。

自分に、何かできないのか。
自分は、今何をするべきなのか。
しかし、今の自分には何もできない。。。
ずっと葛藤し、悶々
としていました。

その時にグロービス東京校で確か14日くらいに堀さんが、
緊急セッションを開催してくれました。これが後のKIBOWとなりました。

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各ビジネスリーダーの梅沢さんや、小澤さんがプレゼンテーターとして
登壇されていました。
プレゼンテーターの話を聴いていると、震災から3日間で、
リーダーの考え方、行動力に驚愕しました。

自分は何もできない・どうしたらいいのか。と葛藤・悶々としている時に
ここにいるビジネスリーダーたちは、
グローバルなリーダーの仲間に支援を依頼したり、
ヘリで物資支援をしていたり、
経済界としての支援体制を作っている話を聴き、震えあがりました。

全体セッションが終わり、質疑応答の時間となり、私は挙手しました。
私達は、今何をするべきですか
この質問に対し、その当時ATカーニー代表の梅沢さんの言葉に衝撃をうけました。

今、目の前の仕事で貢献して下さい
「自分が出来ること、それは目の前の仕事です。
 目の前の仕事を通じ、お客様や社会に貢献していく事が、
 回り回って東北の貢献に繋がると信じています。」

このメッセージに目を覚ませていただきました。
まず、目の前の仕事に、これまで以上に集中して貢献しよう。

そして、5年後・10年後私はいつか自分もビジネスリーダーになり、
困っている人・彷徨える人がいた時に、
明確な方向性を示せるリーダーになりたい

思いました。

震災から1ヵ月程立った時に、会社での有志で宮城県の東松島・石巻エリアのボランティア募集がありました。

私は即座に申込をし、被災地にボランティアにいきました。
確か、被災してからもう既に2か月以上経っていましたが、
ヘドロ、泥、ゴミがとてつもなかったのを記憶しています。

そのボランティアの後、私は塩釜の実家に行きました。
1階の会社には腰くらいまで津波が来て大変な状況でしたが、
2階の自宅も家族も無事で安堵しました。

その時に母が一本のビデオを流してくれました。
それは、創業者であり祖父の勝自さんが、
生まれたばかりの私を抱えている映像でした。

肺気腫の病の中にあり、亡くなる直前の撮影だったそうです。

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ガラガラのカスレ声で、創業者・おじいちゃんはこう言っていました。

「いいか、必ず智壮にこの会社を引き継げ

この言葉を聞いた時に、体中に稲妻が走りました。
自分は東京に出てから、挫折の連続・・
夢や理想を全然成し遂げれなく、
仕事も全然出来なく、仕事が恐い、、、
正直、将来どうなってしまうのか不安で仕方がない、、、

そこに、3.11が起き
自分は何をしていくべきなのか。
自分はこれから本当に何をしていくべきなのか。
何のために生まれ、何の為に生きていくのか。


そこをずっと心と頭で問い続けてきた中で、
創業者のこの言霊・遺言は私の人生を決定づけるものとなりました。

そこから、私は「この会社を引継ぎ、この会社の事業を通じ、被災地の震災復興に貢献していきたい」と強く志すようになった。

この志を立てた時から、事業承継への道が始まりました。

結婚式・二次会の青春


自分の人生振返った時に幸せな瞬間のトップ3に
梨奈さんとの結婚式・二次会の思い出があります。

2010年のクリスマスにプロポーズしてから、2011年の年末に結婚予定だった私たちは、3.11が起きて、本当に結婚式を挙げていいのか悩んでいました。

両家・両親から「こんな時だからこそ、今年結婚式はやりましょう」と
背中を押して頂き、2011年12月17日に結婚式を開催することを決めました。

その当時銀行でとても仲良かった、長瀬と小正に結婚式の二次会司会をお願いしました。

梨奈さんの友達のAっ子ちゃんと、Yちゃんの6人で遊びながら、二次会の打合せや準備をしました。

食事、旅行に行ったり本当に楽しかった思い出です。

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この時、感じた仕事とプライベートの両方が充実して、
信頼出来る人と楽しい時を過ごせる事がの幸せ!
だと体感した日々でした。

この当時は私も梨奈さんも荻窪にマンションを借り生活しており、
結婚式は白金高輪にある、シェラトン都ホテル東京で開催しました。

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写真は挙式後、全集号写真です。

二次会は恵比寿で開催しました。
高校、大学、銀行時代の友達や先輩・後輩に囲まれ、
いじられまくっての開催でしたが、自分の人生の中でとても楽しい想い出と
なりました。

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自分の人生の中で好きな写真の一枚です!こうして、参加してくれた皆が笑顔で楽しんで、祝ってもえたことに、いまでも嬉しい気持ちになります。

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二次会で力を貸してくれた、長瀬、小正。Aちゃん、Yちゃん達 写真です。クリスマスソングを聴くと、この時の情景を思い返します。

こうやって振り返ると、苦しい想い出・辛かった想い出の方が
脳は覚えていますが、こうして
「楽しい」「嬉しい」「悦び」「幸せ」
こういった貴重な体験・想いでを思い出し
その想いでと感情を大切にすることは大切」だと思います。

創造と変革の志士とのご縁・出会い

その後は、銀行で一生懸命働きながらグロービスでの学びを続けていきました。
2011年からは平日18時前後に仕事を終えて、電車の中でおにぎりを食べながら、ケースを読みながらほぼ毎日麹町駅・グロービスに通いました。


授業がある日は19時から22時迄ディスカッション式のクラス受講。
授業がない日は図書館かカフェで読書かケースを読んで宿題やレポート作成か、有志とケースの予習・復習・ディスカッション。トップリーダーなどのセミナーがあればほとんど参加するようにしました。

毎日睡眠時間4~5時間くらいで回し、土日も大半はグロービスでの学びに費やしました。若かったから出来ましたが仕事も勉強も一生懸命でした。

これまで勉強はそこまで好きな自分ではなかったのですが、
自ら学び・考え・予習をして、色々な方と同じイシュー(課題)についてディスカッションする形式は、私の内側になる学習意欲や考える楽しさを目覚めさせてくれました。毎日新たな学びの連続で楽しいかったです。
今思い返せば、社会人として志士として成長していく青春時代です。

私の人生を変えるきっかけになったのは、グロービスで年に一度開催される「あすか会議」でした。2012年の6月京都で開催されました。
全国からのグロービス生が集まる中で、これまで体感した事のない「熱量」に感化されました。 

この時に、私の人生において心の友であり、大切なパートナーの
小尾勝吉さんと、たまたま千名近くいる受講生の中で、隣の席になって
出会いました。小尾さんとの出会いは私の人生の中でとても大きな価値に、その後の人生で拡がっていきます。


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(写真は宴会時、クリティカルシンキング同期の杉山さん、菅野さんと)

一人ひとりの目つき、やる気がめちゃくちゃ熱い!
これほどまでに、社会をよくしよう!とする志士達の集まりに興奮しました。

沢山のリーダーからのメッセージや、東日本大震災後の日本経済・社会に対する視座・戦略を聞き「知と志のシャワー」を浴びました。
特に私が感銘を受けたのが、ヨットレーサーであり、冒険家の白石庫一郎さんのセッションでした。その試練・難しい志に向かって生きていく
生き方・生き様」に感化されました。

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その後、毎年あすか会議に参加して自分をアップデートしてきました。
一番感動、心振るえたのは
仙台で開催したあすか会議での田坂広志さんの、魂からのメッセージ

この知性
この魂からの人生観、死生観に魂から震えました。

こうした学び、気づき
こうした努力、経験
こうした志に着火してくれるトップリーダーからの伝播によって
3年たった時には見違える程、自分の中に確固とした
ロジカルシンキング・考える力
志・使命感
仲間

が手に入っていました。
あの失敗と挫折の連続だった自分から大きく変われた
大きく成長させてもらえた経験となりました。

今、思えば最高の投資は「自己啓発・能力開発」
だと思います。
若かりし頃の失敗や挫折は、自分の知覚と器の拡張に貴重な経験であり、
能力開発は自分の知覚と器の拡張に最も効果的なトレーニングだと確信します。

ご縁から、転職。尊敬する方々・経験との出会い

銀行で働き、グロービスで学びながら、
事業承継の事を考えると、一つの課題が見えてきました。

このままでは、この業種・業界は斜陽産業だ。
また、㈱高山も3.11以降 復興需要はあったものの、
競争激化・価格競争の波に飲み込まれてします。
このままでは、倒産してしまうのではないか。。
しかし、MBA的戦略は勝たれても具体的に
どんな商品で、どんな差別化を図ればいいのか・・・

その事がずっと悩みの種でした。
そんな時に、グロービス生なら誰しもが知っている
伊藤羊一さんとの出会いがありました。

羊一さんが、その当時プラスJTXのバイスプレジデントを務めており、
流通業の新しいビジネスモデル、ニューミドルマンのプレゼンを聴いた時に
これからはこの時代だ!と直感的に思いました。

今まで、文具や家具を販売している会社から、
クラウドサービスや介護サービスを提供するんだ!
それによってプラスJTXの販売店である地元密着型の文具屋・事務機屋を
救っていくんだ!というメッセージにとても共感しました。

私はそのプレゼンが終わった直後に伊藤羊一さんに直撃訪問しました。
自己紹介から、自分が文具屋・事務機屋の息子で、事業承継を通じての志を語りました。

今、思えばあまりにも唐突な若気の至りに近いアプローチでしたが、
羊一さんは真摯に話を聴いてくれ、今度メシ行こう!と誘ってもらいました。

羊一さんと、池袋にあるサンシャインシティプリンスホテルで朝食をご一緒しました。
その時に色々な話を聴かせて頂き、自分は是非羊一さんの下で働かせて欲しいとお願いをしました。

その後、直ぐにプラスJTXの淺野プレジデントと、人事部長様との面談の
場を設けて頂きました。そして、あれよあれよとプラスJTXの転職がトントンとすすんでいきました。

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入社日に伊藤羊一さんと撮った写真です。(当時の東池袋本社前)


自分の想いの種が、
行動を起こし、
行動が縁を生み、
縁が新たなステージに
導いてくれる

実はこのご縁も何かの「導き」だったかもしれないと思います。
というのも、入社が決まった後、父から教えてもらったのですが、
弊社創業者の高山勝自さんと、プラスの創業者と親友の仲だったそうです。

高山勝自さんは、プラス創業者の形見としてスーツを持っていたそうです。
その事を、転職が決まってから聞かせて頂いた時に、
セレンディピティ(素敵な偶然に出会ったり予想外のものを発見すること)
を感じました。

私は数多くのご縁・出会いによって、人生が根本から変わる体験
いくつもしてきました。

ふと何か「感じる」ことがあります。
直感や、天から想いの種が降ってくる時があります。
その時は自分のアイディアや創造性と思っていましたが、
最近は、このご縁・出会いは「導き」だと感じています。

プラスJTXで私は東京でのオフィス家具の「工務」に配属となりました。
正直、最初はクラウドサービス等の新規事業に携わりたかったのですが、
淺野プレジデント含め、支社長から、
実家に帰った時に、必ず「現場」を知っていることが役立つと
言う事でした。

正直私の感想は、
私は経営者として、今後の事業再構築の戦略を描く力を身につけたい。
経営者の仕事は意思決定であり、現場の仕事か・・・と
なんとまぁ、頭でっかちな考え方をしていました。

実際に工務での仕事は、各ご契約後
オフィス家具納品、内装工事、移転工事、オフィス作り関係の現場監督・
管理する仕事でした。

これまで、銀行ではお金を扱っており、現物は「お金」です。
正直、「実物の商品・サービス・工事」を扱うのは素人でした。

オフィス家具という商品の特性
オフィス家具納品の現場の知恵
内装・移転工事に関わる知識・経験
オフィスとは、オフィス作りのポイントを
沢山の座学と現場で叩きこんでもらいました。

あの時、親身に教えてくれました
柴山課長、田口さん、朝比奈さんに本当に感謝です。

その後、私はオフィス家具の営業第二部で異動しました。
私の直属の上司は青木岳志課長でした。

私にとっての恩師です。

仕事に取り組む姿勢
私の教育に対する姿勢
お客様へ高品質な提案と納品への拘り
会社の繁栄を考えたプロフェッショナル意識

全てがカッコよく、
どんなに忙しくても、私への熱烈な指導をしてくれました。
私は青木課長が大好きになり、仕事が大好きになりました。

青木課長から沢山の事を学ばせてもらいました。
毎日沢山の体験と学びをさせて頂いたことを
交換日記」にノートに書きました。

何をしたのか:事実
何を感じ、何を学んだのか:学習・成長
反省点・改善点は何か:課題の明確化
この学びを次にどう活かすか:具体的なアクション

毎日このノートを真剣に書きました。
なぜなら、このノートを作ってくれた青木課長の想いが
「高山が実家に帰った時、恐らく迷ったり・困る時があるかもしれない。その時に、今経験している事が役立つ時がくるかもしれない。だから、しっかりと日記として記録として残しておくことが、高山の為になる」と言ってくれたのです。

本当に私の為に。
私の未来の為に、
超忙しい中でも私の教育に愛を注いでくれました。

次の日の朝、出社するとノートの空白にびっしりと赤ペンで青木課長からの
フィードバックや、承認のメッセージが書いてありました。

私はそれが嬉しくて、仕事が大好きになりました。
青木課長の関わりによって、私はオフィス家具の仕事を急速に
教えて頂き、覚えて行きました。

そんな時に父・社長から電話がありました。
「そろそろ戻ってこないか。会社の状況がよくない。」

正直あと2~3年は青木課長の下で、仕事したい。
しかし、会社の状況や決算書を見せてもらった時に、
これは、もう戻らないといけないと思いました。

入社して1年経たず、
大変お世話になって、大好きなプラスJTXを退職する事は
とても心苦しかったです。

退職について青木課長や、支社長、羊一さん、プレジデントに
ご相談行く時は、非常に心苦しかったのですが、
皆さん、会社の経営を心配してくれ、温かく受け止めてくれました。

お世話になった皆様の度量、器の大きさに心から感謝しています。

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最終出勤日に青木課長と撮った2ショット(最高の上司・師匠です)

良い縁
良い友
良い師
との出会いで人生も仕事も好転する。
事を確信しました。

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グロービス2014年Cクラスの同時の皆さん

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プラスJTX時代にお世話になった上司の皆さんと、最終出勤日の写真

こうして、私はグロービスの経営の勉強もやりきり、
2014年3月末のギリギリまで仕事をやって
全てをやり切り、
地元宮城県塩釜市の(株)高山に行くのでした。

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上写真:東京生活を終えて、送迎会してくれた同期の池田さん、ひらのん。
下写真:グロービス経営大学院の卒業式での同期の皆さんと

ここで東京に来てちょうど10年の時が経ち、
地元宮城に行くのでした。

ここからが、事業承継の勝負の茨の道となります。



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