見出し画像

98歳のばあちゃん

2019年11月29日。

母方のばあちゃんが、
息を引き取り天国に旅立ちました。

「ばあちゃんが亡くなったよ」


親からメールが来ていたんですが
自分の目で確かめて
事実を知って驚いています。


知った瞬間は、
「そっか」と冷静な
対応だったんですが、

ふとおばあちゃんの
思い出が頭の中に浮かんできて

2時間に1回くらい、
おばあちゃんのことを
思い出しては、泣いてました


葬式を終えました。

母親は

「仕事でしょ?
無理来なくていいからね」

と気を使ってくれましたが

「最後にばあちゃんの顔
 見てえし帰るよ」

と、帰省しました。


唯一良かったのは
比較的自由な仕事をして良かった。

仕事では迷惑は
かけてしまいましたが

ばあちゃんに
最後に会えてよかったです。

小さい頃の話。

僕はじいちゃんと
ばあちゃんの
家によく通っていました。


家に行くたびに毎回
お菓子と飲み物のヤクルトを
くれるんです。


「ほら、食べな」

ほりこたつに入って
お菓子を食べながら

「今日は学校で
 こんなことがあったよ」

っておばあちゃんに
報告してたっけな。

大学に入って
群馬を離れて

おばあちゃんと
会う機会は減った。


社会人になってから
もっと会う機会が減った。


それでも正月とか
帰るときに話して

「自分がやりたいことをやりな」

「お前がちゃんと働いて
 早く父ちゃん母ちゃんを楽にしてあげな」

と会うたびに
いつも言ってくれました。


いいばあちゃんだった。

本当に感謝しています。


ばあちゃんは
50歳くらいから狭心症という
心臓の病気を患っていました。


本当に急に心臓の
病状が悪化して

「すみ(ばあちゃんの名前)さん
 息してないよ」

本当に苦しみもなく
スッと心臓と呼吸がが止まって
安らかな眠りだったみたいです。


ばあちゃんは
98歳でこの世を旅立ちました。


大正、昭和、平成、令和。

彼女は激動の時代を
生き抜きました。

おばあちゃんは
4人の子どもを立派に育てて
親戚一同からも慕われる
すごく立派な女性だった。

僕も心から尊敬している
女性の1人でした。


唯一の心残りは

生きている時に最後の姿を
見れなかったことです。


東京に戻るときの帰り道。

駅まで行く途中の車の中で
兄と話していました。

______

「生きてるうちにばあちゃん
もっと会っておけばよかったよ。

そういえば、
家の近くに住んでるからって
あんまりばあちゃん家に
行かなかったんよな。

いく理由がないしね。

本当だったら
理由なくフラッと
立ち寄ればいいものの

ちょっと照れくさかったり
素直になれないんだろうね。

大人になるとさ、
理由がないと動けなくなるんだよな。

子供の頃は何も考えなしに
フラッと行けたのに
大人になると理由を求める。

失って後悔したよ。

理由なんてなくても
会いにいくべきだよな。

生きてるうちに
もっと会いに行けば
よかったのは唯一の心残りだ」

_____

そんな話をしてました。

人の命は
いつなくなるのかわからない。


「あの時会っておけば…」
と、後悔は尽きない。

けど、残されたものは
希望を背負って懸命に
生き続けるんだよな。

いつまでも手に届く
範囲に幸せがあると思わないこと。

感謝を忘れないこと。

定期的に
親に会ってなかったら
会いに行こう。

年末年始も
ちゃんと帰ろう。

照れくさいとか
素直になれないとか言ってたら
いつか必ず後悔するから。

「ありがとう」って
ちゃんと言おう。


PS.

葬式の帰り道。

お天気雨が降ってて
でっかい綺麗な虹が出てた。

画像1

ばあちゃんが
見せてくれたんかな。

笑顔になったよ。

ばあちゃん、
ありがとうな。

俺、がんばるよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?