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誰が、何時までには仕事の基本ですが

おはようございます。

英語は日本語とこうも違うのかと思います。

例えば、時制です。
現在形、過去形、未来形を厳格に分けます。
それぞれに完了形や進行形があります。
過去の未来形もあります。

日本語は、それほど厳密に使い分けません。
やったこととやっていないことを
分けるくらいでしょう。

例えば、主語です。
主語がない英語は
ほとんどないでしょう。
日本語は、
主語がないことの方が
多いでしょう。

「私が、わたしが」と我の強いことを言うな
とたしなめられたりもします。

この言葉の違いは、
文化の違いにも表れるはずです。

その違いを説明するには、
植林が分かりやすいでしょう。

自分が苗を植えても、
自分で伐採することは少なく、
子供や孫の代のために植えるわけです。

自分で見ることがない先のために植えるので、
時間の概念がとても永くなります。

そこまで、先のことを考えていると、
自分が植えたのか、他人が植えたのか
というこだわりも後景化します。
自分が自分がというよりも、
誰かが植えなきゃならないねと考えます。

大きな自然界に溶け込む感覚です。

それが日本語の背景にあると
私は思っています。

私は仕事で、会議の最後に、
誰が、何を、何時までにやるかを
はっきりさせることにこだわります。

それを続けてきたから、
ご飯が食べられたとも思っています。

ただ、それは、
日本の文化に背を向けてきた
という自覚もあり、
それを取り戻したいという気持ちも
同じくらい抱えることになりました。

今日もよろしくお願いします。

安島

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