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物語は血痕の彼方に

この物語は真実だけを描いている。
したがって人物や団体名もすべて実名である


「あーーーーーー!」
私は叫びながら、その場に倒れた――。

風呂上がりにビールを飲みながら、扇風機の前に座り火照った体を冷ましていた私は、足の裏にうっすらと赤く浮かび上がった一本の傷跡を触りながら思い出していた。35年前に起こった、あの夏の悲劇を。


私は早朝のラジオ体操に参加したあと、ご近所ジョギング大会に強制参加されられていた。運動音痴で走るのが大の苦手の私は、ヒィヒィ言いつつ、脇腹を押さえながら走っていた。「なんでこんなことしなきゃならんのだ」とぼやきながら考える。ゴール地点はまだまだ先。家の方が近いじゃないか。そう思った時にはすでに足は家へと向かっていた。

家に帰り、冷たいシャワーで汗を流し、さーて漫画でも読むかなーと思っていると、両親が何やら出かける準備をしている。
私は「どっか行くん?」とちょっとワクワクしながら聞いてみた。
母親は、萬田久子か紅の豚に出てくる貴婦人くらいしかかぶったのを見たことがないメチャクチャつばの大きい麦わら帽子をかぶり、芸能人が顔を隠すためにかけるサングラスをして、これ以上ないくらいの日焼け対策をしながら、「はよ、準備しんさい。あんたも行くんよ。貝掘りに!」

「貝掘り」=「潮干狩り」
一大イベントである。

私が住んでいる町から車でおよそ1時間ほど走ったところに、潮干狩りができるスポットがあり、ビーチとは言えないがちょっとした浜辺があった。
両親は晩酌のためのアサリなんかを掘るのだろうが、私はとにかく遊びたい盛り。潮干狩りに行くと貝なんか掘らずに海に入って泳いだり、小さい蟹を追っかけたり、とにかく自由に暴れていた。大喜びで海パン、Tシャツ、サンダル姿に変身し、押入れの奥から浮き輪を見つけてふくらましながら、車に乗り込んだ。

海へ到着。
すでに数人の「貝掘り客」が居る。両親は他の客から少し離れたところで速掘り始めた。私は「行ってくる!」と伝え、海パン一丁で海に向かって走った。背中で母親の「気を付けるんよー!」の声を聴きながら、海へと飛び込もうと思った瞬間、足に激痛が走った。

「あーーーーーー!」
私は叫びながら、その場に倒れた。
激痛である。
見ると足の裏から血がダラダラ流れている。
血ィ!血ィ!血ィ!の流血である。

私の元へ駆けつける両親と、周りにいた大人達。
「おー、どしたんならー?大丈夫なんかー!血ィ出とるでー!」

裸足で走っていた私は、割れた貝殻を踏んでしまったようだ。
足の裏をパックリ切ってしまった。
まだ、海に入っていないのに。さっき到着したばかりなのに。

とりあえず砂にまみれた傷口を海水で洗われ、地獄の痛みを感じて号泣。父親は大泣きする私を抱きかかえてトイレの水道まで行き、再度流水で傷口を洗う。さっきよりも血の流れが弱くなった。看護師である母親はいつ何があってもいいように、ある程度の応急処置セットを常に持っていた。

消毒液、軟膏、ガーゼ、テープ、包帯・・・。
しっかりと処置をしてもらった。

「来たばかりなのに、ごめんね」と泣く私にコーラを買ってくれた父親は、「歩き回らずに、ゆっくりしとけよ」と母親と浜辺に戻って行った。

信じられなかった。
このまま帰るものだと思ったが、どうやら両親は息子の足よりも今夜のおツマミの貝の方が大切なのだ。確かに、私の傷は大したことなかったのかもしれない。だが、痛いのだ。大泣きするくらい痛いのだ。ジンジンするのだ。

コーラを飲んだり、車の座席にあったコロコロコミックを読んだりして時間を潰した私はいつの間にか寝ていた。数時間経ったと思う。目を覚ますと、ほとんど痛みは無かった。血も出ていない。「さすが看護師。なかなかやるなあのオバハン」などと思っていると、両手に大量の貝を持った両親が戻ってきた。

「よし、帰るぞ」

海に来たのに結局一人でずっと車に居た私は、貝を掘り続けて疲れたと文句を言う母親と、暑い!ビール!とブツブツ言いながら運転する父親の背中を見ながら、この両親のもとに産まれてよかったなと思った。

家が近づくと、近所の人がワチャワチャとしていた。
私は、少し嫌な予感がした。

町内会長さんが居た。
「ありゃ、居ったんね!どしたんかー思いよったんよー。息子さんも無事ね!あー、良かった良かった。もうすぐ警察に行くとこじゃったわいねー。」

嫌な予感が的中し、私はすぐにでも車を飛び出して逃げたかった。

この物語の冒頭、私は強制参加させられたジョギング大会を黙って抜けて家に帰ったと記述した。ゴール地点では、ラジオ体操の班長や他の同級生も居る。走りに行ったままなかなか戻ってこない私。班長や同級生は怖くなって子供会の大人たちに相談。私がどこかで怪我をしたのでは?と思った大人たちは「こりゃイケン」と、私を捜索する班と、私の家に行き帰ってこないことを伝える班に分かれた。当然、家には誰も居ない。潮干狩りに出かける私たちと、私が行方不明になったと伝える大人たちのすれ違いだ。

何も知らない両親は、町内会長さん、ご近所さんに平謝り。

私はどこに逃げたら一番良いだろうか?と考える間もなく、絵本で見た鬼の顔をした両親にタコ殴りにされたのち、庭に捨てられた。
「虐待」なんて言葉はまだなかったような時代である。当然の報いだ。

しばらくして、父親が「早よ、風呂入ってこい。」と家に入れてくれた。私は泣きながら汚れた体をきれいにした。鼻をズズッとすすり、ペッと吐き出すと血が混じっていた。


あれから35年。私は当時の両親よりも歳を取った。
貝殻の傷は、体が火照るとうっすらと浮かび上がる。
その傷を見るたびに思い出す、あの悲劇。

私は、海が、嫌いだ。

これでこの物語は終わり。


#わたしと海

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