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【老子】母のお腹に62年!?孔子の思想を否定したナチュラルおじいさんの人生とは?【道教】

どーも、たかしーのです。

今回は『老子』について、書いていきたいと思います!
いたども」と書きますが、その意味は「偉大な先生」という敬称です。ですが、実際はめっちゃおじいちゃんです。(どっちやねん)
あと、実在しない人物かもしれません!(えっ…)

老子はどんな人?

中国古代の思想集団・道家の始祖

中国三大宗教の一つとされる道教を重んじる思想集団・道家の始祖となった中国の人物です。(道教については、後述)
※ちなみに、中国三大宗教とは、儒教・仏教・道教のことです。

前回紹介した孔子は、儒教を作った人(儒教の始祖)ではなく、儒教を整理してまとめた人(儒教の開祖)と書きましたが、

老子は、独自の思想を作り上げ、のちの人物がこれを源流とした道教を広めていることから、道教の始祖ともされています(が、そうじゃないぞという説もいくつかあります)。

ちなみに、孔子が儀礼の教えを受けるため、老子のもとへと赴いたと伝えられており、おそらく孔子と同じ時代に生きた人物とされています(が、これも諸説あります…)。

伝説的エピソードが多く、実在したかどうかも不明

老子の本名は李 聃(り たん)。ですが、李氏ではなく、老子として伝えられています。(なぜだ…)
他にも伝説的なエピソードを多く持ち、謎の多い人物として伝えられています。

その中でも異端とされるのは、老子の誕生エピソード
一説には、老子の母親が流れ星を見たときに、老子を懐妊。その後、62年間もの歳月を経て、母親が梅の木にもたれかかった時に、左の脇から老子を出産。それゆえ、62年間も胎内で過ごしたことから、白髪交じりのあご髭と長い耳たぶを持つ老人の姿で、老子は誕生します。(だから老子なのかもしれない…)

老子誕生の図(wikipediaより抜粋)

そもそも道教とは?

老子や荘子の思想をベースとした中国固有の宗教のこと

老子荘子の思想(あわせて老荘思想)に、中国古来から伝わる神仙思想などが融合してできた中国固有の宗教のことです。
※荘子は、のちに老子の思想を発展させた人物。また、たぶん紹介すると思います!

神仙思想とは、端的にいうと、この世には不老不死の仙人が存在しており、私たち人間も、厳しい修行に耐えるか、不老不死の薬を飲むかすれば、仙人、つまり不老不死になれるという思想です。
かの秦の始皇帝も、晩年は不老不死の薬を部下に探させたことで有名だったりします。

秦の始皇帝(wikipediaより抜粋)

そんな道教のはじまりとされた、老子の思想とは、一体どのようなものだったのでしょうか。

老子の思想

道(みち)

全ての根源が『道』であり、この『道』に従い、生きればよいという思想です。英語だと、この『道』はTao(タオ)と書きます。※決して、Roadのことではありません!

老子が言うには、『道』は人間には理解ができないため、あえて名前を付けるなら『道』としています。

無為自然(むいしぜん)

いたずらに知識を身に着けず、『道』に従ってありのままに生きればよいという思想です。つまり、他人の言葉や本やネットから得た知識に従うのではなく、自分がありのままに思ったことをすればよいと謳っています。情報やうわさ、ノウハウで溢れかえっている現在では、なかなか実践が難しいことですね。

ちなみに、この考え方から出た、老子の代表的な名言があるのですが、これはあの人物を遠まわしにdisっていることでも知られています。

「大道廃、有仁義。」(大道廃れて仁義あり。)

老子『老子道徳経』より

大道」とは人として行うべき正しい道、つまり道理のことを指します。この「大道」が衰退したので、仁や義といった相手を思いやる気持ちをわざわざ体現しないといけないのだ、と意味です。
つまり、言い換えれば、大道などなければ、仁や義は不要ということになります。

例えるなら、食事をするときのマナーって、今でも色々と決まっていますよね。このマナーがきちんと守れている人は立派な人だとされていますよね。
ですが、昨今、このマナーを守れている人が少ないぞ!けしからん!となったら、マナー講師が登場して、マナーについて教育指導をしますよね。

これを、老子は、そもそも食事をするときのマナーとかがなければ、わざわざマナー講師から教育を受けたりもせんでもよくない?と言っているわけです。
むしろ、自分が思ったように、食べたらええやん、という感じのことを、老子は遠まわしに言っているのです。

もう、わかりましたね?

老子は、この言葉から、孔子が開いた儒教を否定しているのです。
この例えでいうと、マナー講師のことを否定しているわけですが、この不自然な教育指導はいらんよね、ということを、この言葉で表現しているのです。

老子に遠まわしでdisられた孔子

和光同塵(わこうどうじん)

自分の知恵や才能を目立たないようにする、世間と交わって生きよという思想です。つまり、自分の才能を生かし、世間と接してしまうと、必要以上にもてはやされ、自然体でありのままに生きることができなくなることを謳っています。ちなみに、老子は自らこの思想を実践して、余生は静かに暮らしたと伝えられています。

小国寡民(しょうこくかみん)

老子が理想とする国家モデルのことで、国土が小さく、国民が少ないほうが良いという思想です。国が大きければ大きいほど、国民に欲が生まれてしまい(どこか遠くへ行きたい、誰々のことがうらやましい、等)、その結果、争いにまで発展してしまう。そうではなく、必要最低限の暮らしに満足することで、ありのままに生きられると説いているのです。現代風に言うと、ミニマリストとして生きよと、ということです。

老子(wikipediaより抜粋)

そんな自然体な思想を後世に伝えた老子ですが、その人生はいかなるものだったのでしょうか。

老子の生涯

老子の生涯については、中国前漢の歴史家・司馬遷(しばせん)が著した『史記』に、いくつかのエピソードが残されています。(あんまりないけどね)

仕事をしながら『道』の思想を練り上げる老子

時は、周王朝(春秋戦国時代となる前)の時代。
(現在の河南省)の国で生まれた老子は、国の蔵書を管理する役人として働いていました。当時としては貴重な書物を実際に触れられる職に就いていたことが影響したのか、のちに「道教」と成る独自の思想を構築し、深めていきます。ですが、名が知れることを避けるため、これら思想は表に出さずに暮らしていました。(これぞ、和光同塵やで!)

老子「周オワタ、ほなさいなら~」

時は流れ、周王朝が衰退したので、この地を去ることを決めた老子は、水牛にのって(牛…!!)、国境にある関所に着くと、その関所にいた役人が、

役人「老子はん、すまんが、お前さんの教えを書いて残してはくれへんか?この通りや~!!」

と懇願し、これにポリシーに反して応じた老子は、自分の思想を『老子道徳経』(上下2編、約5000語)という書に残します(めっちゃ残しとるやん)

この書を残した老子は、祖国をあとにし、去っていきました
一説には、ローマへと向かったとされています。(個人的には、水牛にのっているから、スペインぐらいまで行ってほしかったなぁ)

水牛に乗って周を去る老子(wikipediaより抜粋)

老子の名言

大器晩成

大きな器を作るには時間がかかる。
すなわち、大きな人物になるには時間がかかることの例え。決して、この言葉を悪用してサボってはならない….。

上善如水

最も良い善とは水のようなものである。
水は万物に恵みを与え、器に合わせて形を変える。水は万物に合わせて争わない。すなわち、最善とは水のようなものである。なるほどなぁ。

天網恢恢(てんもうかいかい)疎にして漏らさず

悪事を行って逃げきれたとしても、いずれは捕まえられて天罰を受ける。
天が張りめぐらした網(天網恢恢)は、広くて大きくて、目も粗いようではあるが、悪事をはたらいた人間は決して逃してはくれないぞ、というお言葉。網に例えているところに、なぜかセンスを感じますなぁ。

命名は個々のもの すべての起源である

名前を付けることは、理解するための第一歩である
確かにそうだよなぁという名言。人間も生まれて最初に名前が付けられるのも、人生の第一歩ですし。

大事は小事より起こる

ヨシッ!

おわりに

老子は、正直なところ、あんまり史実が残っておらず、伝説レベルの人物ではありましたが、思いのほか、思想や名言はよく残っているなという印象。
また、今でも通じるような名言などもあり、やはり人間、時代が移り変わっても、根本は変わらんのだなと、書きながら感じました。

今回、取り上げた老子や、前回の孔子以外にも、まだまだ諸子百家と呼ばれる中国のスーパー思想家たちがいるので、おいおい紹介していきたいなと思います。

他にも、この歴史上の人物神話などをベースに、記事を書いていく予定ですので、是非フォローなどしてもらえるとありがたいです!

それでは!

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