超能力者として50年生きてきた私が今も口ずさむ歌
これからお話しするのは私の身に本当に起きたことです。
という書き出しの小説じゃないですよ。
一人の友人以外誰にも語ったことのない私のごく個人的な秘密。
じつは私、超能力があります。
きっかけは祖母の入院
力が目覚めたのはスプーン曲げやユリ・ゲラーが日本中でブームになった1974年よりも少し前の1972年。当時私は東京郊外の中学校に通う1年生でした。
ある日、授業中に教室の前の引き戸ががらがらと開き、学年主任の先生が私を手招きしたんです。「おばあさんが倒れたらしい。すぐに帰りなさい」
倒れたのは母方の祖母だと直感しました。女手ひとつで私の母を育てあげ、大分県の山あいの町で家政婦をしながらひとり暮らしをしているばあちゃんにちがいない。
急いで家に帰ると母が青い顔をしています。
「病院に運ばれて意識不明だって」
小学生の弟も幼稚園の妹も帰宅していました。
幼い妹を都内の叔父夫婦に預け、父と母はその日のうちに飛行機で大分へ。中1の私は小4の弟とふたりで1週間ほど家で留守番することになったんです。
「夜は出前を取って食べなさい」父から1万円札を1枚手渡されていました。
楽しかったなぁ、留守番。(ばあちゃんゴメン)
中華料理屋に電話したり、近所で好きなパン買ったり。もちろんばあちゃんの病状は心配ですよ。でも1,000km離れた東京からは何もしてあげられないし。
いや、待てよ。
12歳の密かな実験
そうだ。あれを送ってみよう。
私は小学生の頃からSF小説や不思議な物語ばかり図書室から借りてくる子供でした。1972年1月〜2月に放映されたNHK少年ドラマシリーズ『タイムトラベラー』はまばたきするのも忘れて観ていました。
ばあちゃんに送ろうと思ったのはテレパシーです。
超能力あると楽しいだろうな、と常々思っていましたから絶好のチャンスが訪れたわけです。朝昼晩ふと思い出しては心をしずめて、ばあちゃん起きろ、と念じました。もちろん家族の誰も知らない私だけの秘密の実験です。
「ばあちゃん、起きろ」
通学路の踏切の前で。
授業中に窓の外を見ながら。
夜お風呂でおならの泡を数えながら。
数日後、予定よりも早く父だけが東京に帰ってきました。とりあえず意識は戻ったぞ。容態が安定したらお母さんも帰ってくるからな。留守番していた息子たちに父は手土産のお菓子(私の大好物の竹田銘菓『三笠野』)を手渡すと、ニヤニヤしながらこう言ったんです。
「ばあちゃんがな、タカシの呼ぶ声が聞こえて目が覚めたって言ってたぞ」
救急車のサイレン
それから数日間は夢の中にいるようでした。
はだしでふかふかの絨毯を歩いているような。
本当にあるのか、テレパシー。
試しに道行く人や前の席の同級生に念を送ってみますが誰一人振り向きません。ばあちゃんだけまぐれ当たりだったのか。ぼんやり歩いていると道の向こうからサイレンが近づいてきたんです。1972年当時、救急車の音はすでにピーポーピーポーでした。すれ違いざまに私は思わず
(がんばれ)
とつぶやいていました。車内に瀕死の人が横たわっていたら、ばあちゃんみたいに助けられるかもしれない。ピーポーピーポー。
神様からもらった超能力。
あなたならどうしますか。
使う。疑う。笑って忘れる。
私は「使う」を選びました。
あれから今年で50年。
つい昨日のようです。
笑われそうですが、あの日以来ほぼ欠かさず道ですれちがう救急車に私は心の声をかけつづけてきました。
がんばれ。
助かれ。
生きろ。
その日の気分でフレーズは変わります。眉間に皺を寄せたりはしませんよ。ぽーんと軽く言葉を投げて、次の瞬間にはもう知らん顔で歩き出します。
たとえば1週間に1回救急車とすれちがうとして、2,500回以上は声をかけてきた計算。すげえな自分(笑)。そのうちの何人かの耳には私の声が聞こえてたりして。
テレパシーで誰かを救う。
ロマンじゃないですか。
でも恥ずかしいので誰にも話しませんでした。
おそらく誰も救いはしなかったんでしょう。
いや、厳密に言えば一人だけ救ったかもしれない。
私自身です。
電柱に突進する30歳
子供の頃から私は、歩きながら考えごとに没頭しすぎる癖がありました。何度も人にぶつかったり、犬のうんちを踏んだり、車にはねられそうになったり、漫画みたいですが電柱にぶつかったこともあります。あれは30歳の時。場所は乃木坂の東大生産技術研究所(今の新国立美術館)正門前のゆるやかな坂を下りきったところ。どんっと電柱にぶつかった瞬間、うっ、となりました。
その数年後、出張先の香港のショッピングモールでは、回廊にそびえる太い円柱へまっすぐ突進していきました。どんっ。うっ。すぐ後ろを歩いていた若い女性が笑いをこらえすぎて肩をふるわせながら足早に追い越していきました。
物思いに耽りながら歩く癖は今もそのままですが、きょうまで大けがもせず無事に来れたのはたぶんサイレンのおかげ。ピーポーピーポー。その都度はっと我に返り、私は救急車に(助かれっ)とつぶやきます。東京で暮らしているとほぼ毎日救急車にすれ違いますよね。
会社勤めを辞め、フリーランスのコピーライターになり、不惑の四十代になっても私はすれ違う救急車に声を投げ続けました。
いい歳したおっさんが超能力なんて本気で信じてたの?
うーん、どうでしょう。あったら楽しいよねぐらいの軽い気持ちかな。
と思っていました。
友人からある話を聞くまでは。
救急車の上を飛ぶ人
覚えていますか、臨死体験ブーム。
立花隆がノンフィクション『臨死体験』を発表したのが1994年。立花氏自身も出演したNHKスペシャルが放映されたのは2014年。その間いくつかのテレビ局が臨死体験者のインタビューや再現ドラマを交えた特別番組を放映していました。
テレビを観た友人が「昨夜の特番、おもしろかったぞ」といって体験談のひとつを聞かせてくれたんです。
話し終えた友人に、私はかみしめるようにつぶやいていました。
「それ、オレかも」
呼びかけ実験、再び
私のカミングアウトを友人は黙ってニヤニヤ聞いていました。その場でスプーンでも曲げて見せればもっと真剣に聞いてくれたのかもしれませんが、なにしろただのテレパシスト(自称)ですからね。
とはいえ、ずっと半信半疑だった超能力の存在がうっすら現実味を帯びてきました。となればやることは決まっています。
そう、テレパシー実験の再開。
中学生のあの頃のように私は道行く人に手当たりしだい呼びかけました。
(おーい)
中には立ち止まり振り向く人もいましたが、あれは偶然だろうな。声かけの対象を動物にも広げてみよう。塀の野良猫、散歩する犬、ゴミを漁るカラス。
収穫ゼロが続いたある日の朝、ついに忘れられない事件が起きました。
場所は都立青山霊園の端っこ。
赤坂から青山の骨董通り方面へ向かって歩いていた私は、10メートルほど先をゆく大型犬にいつものように(おーい)と声をかけたんです。すると、
犬が立ち止まり(おっ)
体ごとこちらを向いて(むむっ?)
走ってきたー!(えーっ)
困り顔の人々
飼い主さんはスポーティーないでたちの女性でしたが、何しろ犬が大きいので抵抗むなしく引っ張られて一緒に小走りしてきました。犬種はテリアっぽい顔立ちのすらっと足の長いタイプ。
私の前で立ち止まったので手の甲を差し出すと、ベージュ色の毛並みの美しい犬はくんくん嗅いでなめてくれました。当惑しているのは飼い主さんです
「すみません。どうしちゃったのかしら……」
「他の誰かと勘違いしたのかもしれないですね、あはは」
飼い主さん、もしこの文章を読んでくださっているとしたら、あの時は本当に失礼しました。じつは私がテレパシーで(!)呼んだんです。
その後も道行く犬たちに声をかけ続け、数年に一度のペースで同じことが起きました。犬種はさまざま。飼い主さんのリードをぐいぐい引っ張りながら私にじゃれついてきます。
「家族以外なついたことないのに」
by 小型犬(犬種不明)の飼い主さん
「えーと、犬がお好きなんですよね」
by 黒豆柴の飼い主さん
飼い主さんたちのとまどう顔を見るのが楽しみになってきました。
2020年にパンデミックが始まってからは呼びかけもマスク越しです。声を出さないので同じなんですけどね。
ギネス認定は無理でも
近頃は毎日何度も救急車とすれ違います。
今の仕事場は近くに大きな病院があるんです。
助かれ
助かれ
助かれ
生死の境をさまよう人々やご家族の皆さんから叱られそうですが、もうほとんど鼻歌です。私、若い頃シンガーソングライターを目指していました。夢は叶わなかったけれど、考えようによっては今もオリジナル曲『たすかれ』を特定の人にだけ無料配信しているのかもしれません。
助かれ ♪
証明しようがないのでギネス認定は無理でしょうが、たぶん世界で一番短い歌。