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嘘をついた日、世界が動き出した。

 翻訳者だった私がコピーライターへ転身した日の話です。

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 3つめの会社を30代で辞めた私はフリーランスの翻訳で食いつないでいました。東京の片隅で辞書片手に生きていくのも悪くないなぁ。そう思いはじめていたある日、家の電話が鳴ったんです。

「マキくんは」

 電話の声は広告プロダクションのディレクターYさんでした。以前、英文資料の翻訳を手伝ったことがあります。

「マキくんは、コピーライターだよね」

 いや違いますよ。
 20代のころ広告会社で働いてましたけど、コピーライターではなかったです。

 と正直に答えたらYさんは「じゃあ他を当たるね」と電話を切ったでしょう。でも私は「はい、そうですよ」と言ってしまったんです。

 嘘つきました。

 打ち合わせの日時を決めて、受話器を置いて、深呼吸。さぁどうする。

 コピーなんて書いたことありません。簡単な商品ちらしの依頼でしたが体感的には電話帳くらい重かった。ギャラは良さそうです。書けたらいいな。いや、ばれるだろ。でも、

 がんばってみよう。
 腹をくくったらじわじわ笑えてきました。

 やけくそだったわけじゃありません。かつて勤めていた会社での経験が役に立ちそうな気がしたんです。

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 その会社は日本企業の海外向け広告や英文パンフレットを作っていました。

 パーティションのあちこちからコーヒーの湯気がたちのぼり、アメリカ人コピーライターたちが長い足をデスクに投げ出して英字紙を読んでいます。社長がニューヨークから引き抜いてきた彼らは日本語が話せません。一方、社内のデザイナーたちは皆日本人で英語は苦手。日米スタッフの意見を調整しながらジョン万次郎のようにプロジェクトを舵取りしてゆく部署に私は配属されていました。

 コピーライターたちは気位が高く冷淡に見えましたが実際はロジカルなだけだった。私が拙い英語で伝えるクライアントの意向やデザイナーの言い分に辛抱強く耳を傾けながら、文案を一緒にリライトしてくれたものです。単語ひとつひとつに明快な根拠を持ち丁寧に積み上げてゆく彼らは誇り高き職人で、キーボードを打つ横顔はかっこよかった。

 車にたとえるなら彼らはドライバー。
 その助手席に私は毎日すわっていたのでした。

 見よう見まねで自分も運転できるかもしれない。英語と日本語で勝手は違うだろうけど、経験をナビがわりにちょっとだけ無免許運転してみようかな。

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 甘かったです。
 A4サイズのちらし1枚に七転八倒しました。
 そりゃそうだ。素人同然なんですから。

 寝不足になりながらやっとの思いで仕上げた初仕事を納品したのは1週間後。
「いいんじゃない」
 Yさんがさらりと言ってギャラを振り込んでくれた時は心底ほっとしました。

 その後コピー書きの受注は少しずつ増え、数ヶ月後には名刺も新調。
 ふふふ。もともと素質あったのかな、オレ。

 違うと思います。
 なぜならその後も冷や汗かいたり赤面したり、危なっかしい場面が何度もあったから。笑ってごまかしながら私は実地で仕事を覚えていきました。Yさん、ごめんなさい。

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 自分はもぐりだと思っていましたから、医師免許を持たない医者が逮捕されたニュースが流れるとびくっとしていました。そんな後ろめたさを忘れさせてくれる案件に私が出会ったのは、コピーライターを名乗るようになって数年後のことです。

 日本語版と英訳版を毎年制作するプロジェクトでした。

 私は日本語版のコピーライターとして参加し、回を重ねるうちに英訳版の校閲や監修も手伝うようになりました。日本語をそのまま英訳しても海外のユーザーに響くとはかぎりませんから、英訳版専用に日本語を書き起こしたり、コピーライティングのセンスを持った翻訳者を選ぶ手伝いもしました。20代の経験が丸ごと役に立ったんです。

 私のような二刀流のコピーライターは当時まだ多くなかったでしょうから、クライアントからは重宝されていたように思います。

「マキくんは」

 あの日Yさんから勘違い電話をもらわなければ、私が嘘をつかなければ、世界は今いる場所へ動き出さなかった。嘘はダメですよ。ただ、とっさに口をついて出る嘘には無意識の本音や、自信や、未来への予感が混じることもあるんじゃないか。四半世紀経った今笑って話せるのは、たぶんあの日笑って一歩を踏み出したからです。

 嘘つきは旅のはじまり。

 逃避行と思うか冒険と思うかは、心持ちひとつです。



若き日の私がお世話になったのは麹町にある広告代理店ケー・アンド・エル。笑い声の絶えない職場でクセの強い上司たちの背中を見ながら今の私の基礎を築きました。アフター6はデスクにビールとつまみを広げて英語まじりでパーティー。映画化したくなるようなドラマチックな日々でした。K&Lの皆さん、その節はありがとうございました!(辞めちゃってごめんね)

椅子に片膝乗せて電話するのが好きだった私(K&L/1987年頃)


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