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「敵は家康」読了者限定読書会レポート (1)

 イベント終了後、たてつづけにハプニングが起こり、御礼とまとめの投稿を書くのが遅れました、すいません!

 さる1月21日、「敵は家康」読了者のみ参加の読書会を、Zoomにて賑々しく行わせていただきました。

 正確な人数はわからないのですが、おそらくのべ40名以上の方においでいただくことができたと思われます。皆様の貴重なお時間を割いていただき、誠にありがとうございました。


 さて、そのイベントで出た、本作品に対する皆様の貴重なご意見の数々を、(記憶する限り)再現してみたいと思います。

 なにせ、慣れない司会兼プレゼンターという役割で心中いっぱいいっぱいだったため、おそらく半分くらい漏れているのではないかと思います。誠に申し訳ない・・・ぜひ別の機会にご教示ください!

 まずは上中下に分けて、ネタバレ部分を除くイベント実況をしたいと思います。当日、参加できなかったみなさんも、これを見てぜひお楽しみください!


 まず第1回は、作者による基調講演(?)の内容から。たいへん申し訳ないのですが、ネタバレに絡む部分などはカットさせていただきます。画像は、当日実際に使用したパワーポイントの画面を再構成したものです。


プレゼンテーション 表紙

 こちらは、表紙です。

 背景になっている写真がなかなか良いと、その撮影場所やモデルを聞かれたのですが、これは自分で撮ったものではなく、単に海外の有料ストックサイトからダウンロードしたものです。実は石つぶてを握っているのが明らかに海外の白人さんの手で、それを誤魔化すのにトリミング苦労しました(笑)。



プレゼンテーション 1

 本作は、私が人生最初に書いた長編小説であり、歴史小説です。
 当初は、「礫」(つぶて)というタイトルでした。デビューはアルファポリスからですが、正直に書くと、当初はライバルサイト(?)である「小説家になろう」へ投稿していました。

 そのとき、私は既に52歳でした(2019年初頭)。
 35歳くらいのとき、ミステリー作家になりたいと(一時的に)思って近所の小説教室に通い始めたことがあったのですが、なんとそこが純文学指向の教室だったため、まったく内容についていけず、すぐに行かなくなってしまい、以降20年近くをただ無為に過ごした失敗談などもお話ししました。

 本作を執筆したきっかけは、転職に伴い、一時的に仕事時間が短くなって、生活に余裕が生まれたからです。
 当時、職場が東京・初台(新宿の隣)にあり、自宅はそこから歩いて5分のところでした。仕事は、ほぼ毎日、夜の7時には終わる環境だったため、かえって暇を持て余してしまい、いちど挫折した小説執筆をやり直してみようと(ふと)思い立ったのです。

 別にプロデビューしたいとかいう意欲はありませんでした(どうなったらなれるのかも知りませんでした)。単に「一作、とにかく完成させてみよう。」それだけを考え、目標にしました。誠に志の低いスタートだったと思います。しかし、それが幸いしたとも思います。その時の、素の自分の感情を、何も考えずにただそのまま原稿に落とし込むことができたからです。


プレゼンテーション 2

 もうひとつ、本作執筆のきっかけとなったことがあります。

 当時、私はインターネットマーケティングの業界に属していたのですが、皆様ご存じの通り、たいへんに個人のこだわりを重視する人種、言い換えれば病んだオタク、ギークたちの多い業界として知られております。
 そのなかに、少数勢力ではありますが、一定数の歴史オタクたちも含まれております。私は彼らの末席に連なり、たまに集まっては、好きな歴史事件や推しの歴史人物などにスポットを当てたプレゼンテーション大会などを行い、互いにほめ合い、けなし合い、まあ素人のファンイベントを仲間うちで楽しく続けていたわけです。

 そして、10数回を数えたそれらのイベントが発展し、最終的に驚くような大舞台に立つことになりました。
 2017年の夏、名古屋の徳川美術館で行われた企画展「天下人の城」。

 全国から観覧者がやって来る、その大イベントの一環として行われたプレゼンテーション大会のトップバッターに指名されたのです。
 私のあと、5組程度のプレゼンターが続け様に10分のプレゼンを行い、最後のトリは、なんとあの奈良大学教授で城郭考古学者の、千田嘉博先生という豪華版・・・ガチもガチの一大歴史イベントです。

 当然のこと、厳しいテーマ縛りがあります。
「三英傑(信長・秀吉・家康)にまつわる城の中で、自分が最も思い入れのある城を指定し、それにまつわる歴史トークをする」
 これがマスト。

 私が選んだテーマが・・・鷲津・丸根砦! 

 ちょっと、奇をてらいすぎたかもしれません(そもそも城じゃねぇ)。ただ、三英傑のうちの二人(信長・家康)の覇業の原点となった場所とはいえると思います。なので、後で怒られてもいいや、とそれで押し通しました。

 内容は、両砦と、アメリカ(テキサス)の伝説的なアラモ砦の規模や戦闘、その後の歴史に果たした大きな役割について、その共通点を考察するものでした(私なりに、真面目にやりました)。

 会場内のウケはそこそこでしたが、しかしこのときに、こんなおっかない最前線の吹きっさらしの無骨な砦に立て篭もった無名の人々の生き様、死に様に興味をもち、いつかなにかの創作のテーマにできればな、とは思いました。

 そのときの漠然とした思いが、2年後、作品として結実することになったわけです。


 長くなったのでまた近日、続きを書きます!

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