モンターニュの折々の言葉 355「150の意味するものとは」 [令和5年4月2日]

「人間ははたして信念のために、思想のために死ねるのだろうか。信念のためと思い込んでいても、それは自分で、自分をそうしてだましているだけで、自分は信念に殉ずるのだという自己陶酔があって、はじめて死ねるのではないか。それは信念のため、思想のために死ぬということとは違うようだ。信念のために死ぬのだと思い込んでいた俺も、俺が死んだら民衆のなかには、きっと俺の死をいたんでくれる人間がいるだろうという、甘ったれた気持ちがないでもなかったのだから、信念のためだけでは死ねないことぐらいそのときにすでにわかりそうなものだった。ここでただひとつ、はっきり今でも思い出せるのは、次のことである。俺はほんとのところ、民衆が俺の死をいたんでくれるより、照子ひとりが俺のために泣いてくれることを望んだのだ。泣いてくれるかどうか分からない、だから泣いてくれることを望んだ。そうだ、それは照子というより、俺のために泣いてくれる女ということだった。俺には、俺のために泣いてくれる女がいない」

高見順「いやな感じ」

 2019年から恵比寿にある日仏会館の会員になっておりますが、コロナ禍ではオンラインで講演を見ることが出来て、これが年金生活者の私には大変に助かった。しかし、今年から、同会館の事業(講演会・研究会等)は恵比寿の会館でしか見ることも聴くこともできないようで、電車賃をかけて、時間をかけてわざわざ恵比寿まで行くのは高齢者には億劫なもの。

 ちなみに、日仏会館が創設あれるにあたっての発起人は渋沢栄一。それと、ポール・クローデル、当時の駐日フランス大使。来年は100周年を迎えるようで、関係者は意気込んでいる感じがあります。それはそれでよろしいのですが、一昨日、昨年度の事業報告書とも言える、「日仏文化」№92が届いていて、この報告書が実は、私には一番ありがたい。講演者や討論者の話した言葉を正確に書き残すための書を制作する作業は大変なことだと思うし、これが、会館のレガシー、文化的遺産でもあるのではないかと、作成者に感謝している次第。

 で、昨年の講演会の中に、私も拝聴した、山際壽一(総合地球環境研究所所長)さんの「人新世の脱構想」のテキストが掲載されていて、記憶を辿りながら読んでおりましたが、彼の言葉で印象に残っていたのが、「言葉を使うようになって、人間の脳が大きくなったのではなく、脳が大きくなったから言葉が出来ていった」という事。興味深いのは、人間の脳が大きく成長する時期は、人間の集団生活の規模である15人前後から、30人前後、そして150人前後になっていく時期に一致するということ。15人というのは、スポーツでいえば最大の団体スポーツであるラグビーの選手の数。これは家族としての単位になる数でもあります。現代人の脳の大きさは1400ccのようですが、これは集団としての数である150人となった生活からほとんど変わっていないということ。150という数字はダンバー数と専門的には言うようですが、言葉が登場する今から7万年前の集団の人数が150で、脳はそれから大きくなっていないことから、信頼できる仲間の数は150であって、過去に喜怒哀楽を共にし、スポーツや音楽など、身体を共鳴し合って付き合った仲間の数がこの150。これをソーシャルキャピタルとして考えている、というのが、山極さんのお話でした。

 今西錦司さんの話や、山崎正和さんの著「社交する人間」にも言及された、銘講演でありましたが、これまでの「Think globally act locallyではなく、Think locally act globallyでなくてはならない」として、文化の個性を発揮させて国を越えた地域間の交流を活性化させないといけないと締めておりました。

 難しいことはさておき、記憶に残っていたのは、150という人が信頼できる仲間の人数。その数字からすると、日仏会館での講演の際の入場者数というか、参加者数は70前後に制限されている。この辺が、会館が改善すべき何かがあるのではないのかなと。

 ところで、奥野健男(1926-1997、文芸評論家・科学技術者、多摩美術大学名誉教授)が「高見順集」(筑摩現代文学大系52)の「人と文学」で解説していますが、「いやな感じ」は、アナキストでテロリストでもある加柴四郎という青年が主人となって展開する、1930年代の日本(東京と北海道が主たる舞台)と中国(満州と上海)における「いやな感じ満載」の「日記風の物語」。

 当時の正統派的な文体とは180度違う、既成の純文学を破壊しようとでもしているかのような、世間的には大変に行儀の悪い小説とも言えましょう。破茶滅茶な言動の主人公ではあるのですが、加柴四郎は、つまりは、高見順という人は、二重人格かと思うわせるようなところが多々あります。読んで頂ければ、それがよく分かるのですが、異常に興奮しているかと思うと、冷静に自己分析をしたり、あるいは状況分析をし始めるところが、知的な東大出の小説家の特徴かなあとも思います。別に嫌味を言っているのではないのです。しかし、次の加柴の言葉を読むと、どこか、その辺に溢れている小説とは違うなあと。

「考えてみれば高見順の文学は、父的なものへの反逆と憎悪の文学であり、永遠に女性的なもの、根の母への加担と憧憬である。いやそこには母的なる者への親近憎悪もあり、表現としては女々しい、女の腐ったような男の心情を通しての文学でもあったのだ。父を代表するパブリックな権力に対し、母を代表するプライベートな好みを押し通したとも言える。大長編群「昭和」の最初の長編「いやな感じ」は「昭和」をそういう女的な、性的なものから見ようとした意図が明確に示されている。」

 高見順(本名高間義雄(後に、芳雄)はご案内のように、私生児としてこの世に生まれ、遺伝子的な父親(旧尾張藩の永井家(永井荷風の)の出)は、福井県知事で、後に枢密院顧問官にもなる、パブリック人間。換言すれば、社会脳の人。その父親は、たまたま一夜のお付き合いで知り合った、プライベートの行為で出来た子供である順を認知しない。順の母(高間古代)は、子供を認知してもらうため、それは自らを認知してもらうためでもありましょうが、順に人生を賭ける女。換言すれば、非社会脳の人。息子も本宅の子どもたちと同じ様に東京大学を出て、立派な公的な人間になって、公的な男に見返ししようとするのですが、それが順には嫌でたまらない。父親に認知されず、母親にも認知されない、言わば承認欲求の塊のような生き方を幼い頃からしてきたのが、高見順とも言えます。こういう人間が作家になると、それはまあ、普通の作家では描けない世界を描くでしょうね。

 作家の特異性というものが必ずしも作品に明確に出るとは思いませんが、従軍経験もある高見順という作家を奥野さんは高く評価しており、昭和の文学者としては、伊藤整と双璧として扱っております。というか、伊藤整も高見順も病で意志半ばであの世に逝った作家であり、そういう意味合いも兼ねてであります。

 閑話休題。作家は、異性の描き方が優れて一流と言われますが、高見順という作家は、女性経験が豊富であるかは別にして、上手ですね。何故上手であると分かるの?という愚問はさておき、頭でひねくりだした女性像ではなく、生の女性を知っているから書けるということでありますが、彼が知っている女性が仮に100人いようとも、それは私的なことでしかない。彼の優れているところは、そうした私的なもの、没個人的な事象から、普遍的な女性というものを言葉で表現しようとした事でありましょう。プライベートな事からパブリックなものへ昇華させようと心血を注ぎ、予期せぬ病で、意志半ばであの世に逝ったのが、この高見順であり、伊藤整ということなのかなと。

 確かに、私たちが日々経験することは、全く個人的なことでしかなく、プライベートなこと。そうした私的な経験から普遍的な真理のようなものを見出すのが、パスカルの言う、「考える葦」としての人間ではないのかと思うのです。つまり、非社会脳による私的な行為を、あるいは思索をしながら生きてはいるけれども、そうした事が実は社会脳による公的な行為、公的な思索となって質的に変化することがあるのが、社会とともに生きることの一つではないかと。

 高見順の小説は、日記だとも言えます。日記小説というものがあるのかわかりませんが、人は何故こうした文章を残そうとするのかが少し分かったような気になったのが、彼の作品の「わが胸の底のここには」、そして「いやな感じ」でした。昨日でしたか、私が役所時代に親しくさせていただいたとある政治家の秘書だった方から、「過去の業績をまとめる作業をしているのですが、カンボジアのPKOに関して、当時の局長さんの名前はSさんで間違いないですか?」という照会メールが来ていました。

 アジアとは殆ど縁のない仕事だけしかしたことのない私に照会してくるというのは、変な話ではありますが、私の頭では、カンボジアならアジア太平洋局の局長さんだろうと思って、歴代アジア・太平洋局長を調べて、その中でカンボジアのPKOに関わったであろう時期の局長さんはTさんじゃないですか」と返信したら、「こちらで自分の持っている書類を調べていたら、その局長さんは国連局長のSさんでした。」という返事が。PKOの話は国連の話ですから、外務省の所管局は確かに国連局。私の早とちりではありましたが、外務省のアジア・太平洋局長のリストを眺めていて、すごい方ばかりだなあと。なお、国連局はいまはなく、国連の案件は総合政策局に併合されていますが、私的な照会であっても、公的なものとなって、後世に遺る可能性はあるでしょう。

 今日のまとめです。人は、私的な存在でありながらも、公的な存在として、他者から承認されたいという、涙ぐましいような希望、期待をどこかに持っているもの。老い先短くなれば、その念は強くなるのでしょう。死んだ後も、誰かに自分のことを覚えておいてもらいたい。大勢でなくても、一人だけでいいから、忘れないでいてもらいたいと思うでしょう。パブリック人間として、あるいはプライベート人間としてであれ、記憶の片隅でいいから、私という人間が生きていたことを時には思い起こしてもらいたいと。

 しかしですね、一緒に長く共に生きてきた家族からさえも忘れられるかもしれないのに、150人にそれを期待したり、あるいは、何万、何十万、何百万人にもそれを期待するのは、どうでしょうか。不思議な符号というか、私のこの「折々の言葉」の送り先の人数は、どうも150前後のようです。その中のたった一人であってもいい、彼・彼女の心の片隅にこの折々の日記文が、というか、書いた人間がいたことを、記憶として残ってくれることを期待して日々書いているのかもしれません。

 バイトのない4月と5月は、私というプライベートな存在としての人間にとってはとても大事な時間。2020年春頃にそれまでに読んだ本のリストを作成していましたが、4月と5月は、コロナ禍以降に読んだ本のリスト作りと、そして、フランス語講座のための参考文の作成、あとはゴルフとランニングの鍛錬の時間に。でありますので、150人と信頼できるような仲間付き合いの時間を持つのはとても難しいかなあと。

 どうも失礼しました。

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