見出し画像

大阪はミナミ、フィルムカメラ写真散歩

 あべのハルカスから見下ろすミナミの街は新鮮だった。

 登山が趣味であるぼくにとって、山上からの山や海の景色は見慣れたものだ。標高1000mを超える山々からの眺めは、それはそれは素晴らしいものである。

 しかし、あべのハルカス16階の庭園から眺める街の姿も、悪くないなと思うのだった。

 ビルの屋外に設けられた庭園は、木々や植え込みに囲まれた緑の空間である。ベンチがいくつも備えられ、家族連れやカップルが思い思いにくつろいでいる。屋外だからもちろん天井はない。地上よりいくらか標高が高く、うだるような暑さの一日でも過ごしやすい。そして、北に向かって展望が開けている。

 眼下には天王寺動物園や、大阪城へと続く大通り「谷町筋」をゆく自動車が、ミニチュア模型みたいに小さく見える。建設中のタワーマンションをはじめ、ビル、またビル。通天閣と新世界、四天王寺などミナミの名所も視界に入る。

 庭園をしばらく散策し、あべのハルカスと目的地のおおよその位置関係を頭に入れた。

 ——といっても、今日は特別な目的があるわけではない。

 フィルムカメラ「ニコンF」に標準レンズを取り付けて、街をぶらぶら歩いてみようと、大阪ミナミの繁華街、天王寺へとやってきたのである。

 あべのハルカスから天王寺動物園の芝生広場を通り抜け、新世界へと歩いてゆく。近年、みるみるうちに洗練されてゆくキタ(梅田界隈)と違い、新世界はあいかわらずゴチャついている。これぞ大阪の下町である。昼夜を問わず——なんなら朝から——串カツや居酒屋でみな飲んでいるのだ。

 ぼくが初めて新世界を訪れたのは高校生のころだった。

 当時、高校の普通科の授業をこなしながら音楽を専門的に学んでいたぼくは、新世界のすぐ近くにあった複合娯楽施設でのライブ実習を終え、先生に串カツに連れて行ってもらったのだ。

 初めての串カツで「二度漬け禁止」の作法を学ぶ。

 剃り込みを入れた、いかにも気合いの入った兄さんが、ねじりハチマキ姿で黙々とカツを揚げている。あたりの大人を見回しても、サラリーマン風は見当たらない。

「川口、知っとるか」

 カツを食べながら、先生からまことしやかなこんな話を聞いた。

「近くの将棋クラブで”賭け将棋”があってなぁ……」

 豚クシの先端から、1滴のソースが滴り落ちる。

「プロ棋士顔負けの腕前の持ち主が、ごろごろいてるっていう話や。そらぁ生活がかかっとるからな」

 当時のぼくにも、もちろん今のぼくにも、その話の真偽を確かめる術はないのだけれど、そんな裏家業がこの日本にあって、世の中には自分の知らない世界が広がっているのだと、17歳のぼくはとてもワクワクしたものである。今から20年以上も前の、懐かしい思い出だ。

映画館「新世界国際劇場」
あべのハルカスができた今も、通天閣はミナミの象徴だ。

 通天閣をフィルムに収め、新世界をぶらぶら歩く。そしてあべのハルカスからの景色を思い出し、たしか四天王寺は通天閣から谷町筋をはさんで東にあったなと、国道25号線を東に向かって歩きだした。

 四天王寺は推古天皇元年(593)に、聖徳太子(厩戸皇子うまやとのおうじ)により建立された。四天王を安置し、この世の全ての人々を救済するためだ。伽藍がらんが南から北に向かい一直線に並び、それらを回廊で囲う形式は、日本でもっとも古い建築様式のひとつである。

 さっそくお参りをしようと、門をくぐろうとしたところで、勢いの良い太鼓の音色が聞こえてきた。

 なんだろうと、音色に誘われて近づいてみると、それは猿まわしの合図だった。

 猿まわしは、猿使いの口上や太鼓に合わせて猿が踊りを見せたりする大道芸の一種だ。その歴史は古く、なんと4500年前、メソポタミア文明の粘土板に、猿まわしの、職業としての記述があったという。日本には奈良時代に中国から伝わり、鎌倉時代に芸能として確立された。

 今日のお猿さんはまだ訓練を始めたばかりだということだ。

 暑いからなのか、大勢の人に囲まれて恥ずかしいからなのか、演技の合間にすぐ猿使いのお姉さんの影に隠れようとして、その姿がとても愛らしかった。

 それでも技は大したもので、高いハードルを飛び越えたり、数メートルは離れた台と台の間を飛んでみせたりして、まるでオリンピック選手の競技を間近で見られたかのようで、大いに楽しませてもらった。その分のチップをカゴに収め、それから四天王寺を参拝して難波へと向かった。

笑顔を絶やさない猿使いの彼女も、技の瞬間だけは表情が変わる。
四天王寺の金堂。聖徳太子のご本地仏である、救世観音が祭られる。
伽藍を囲う回廊。
難波に向かう道すがら立ち寄った、大江神社にて。

 ニコンF、言わずと知れた世界初のプロ用一眼レフに、50mm標準レンズを一本、そしてフィルムも一本のみの、シンプルなセットでミナミを歩いた。現像の上がった写真を見ると、とても60年前のフィルムカメラで撮影したとは思えない、魅力的な絵に仕上がっていた。

 デジタルカメラと違い、撮影できる枚数に限りがあるから無駄打ちはできない。

 ピントや露出は全て自分で設定しなければならない。

 その分だけ、考えて手間をかけて、一枚を撮影する。

 だからその時の記憶がしっかりと頭に刻まれるのだろう。写真を見返すと、当時の心情まで思い起こすことができた。

 その思い出をもとにして、こうやって文章に書き起こす。

 歩いて撮影して、書いては読み返し、他の人にも楽しんでもらう。

 ちょっとした散歩も小さな小さな旅として、何回も味わうのだ。

 これが最近お気に入りの、旅と写真のぼくの楽しみ方である。

撮影データ

  • ボディ:ニコンF

  • レンズ:オートニッコール 50mm f2

  • フィルム:富士スペリアプレミアム400

  • 現像:カメラのみなみや

この記事が参加している募集

#カメラのたのしみ方

55,409件

#旅のフォトアルバム

39,448件

よろしければサポートお願いします。いただいたサポートは私の原動力、そしてクリエイターとしての活動費にあてさせていただきます!